意志を持った観測者 4

 何故だか続く言葉が思い浮かばす、リタの視線が下を向いた時であった。


「……さて、そろそろいいか? ここからが一番大事な話だ。取引といこうじゃないか、オリジン」


 ――――来たか。


 観測者の言葉に、リタは視線を戻すと気を引き締める。互いにとって、相手への心情が複雑すぎる状況ではあるが、決して馴れ合いをしたくてこの場にいるわけでは無い。


 世界の理、もしくは女神のせいで、死を免れない運命にあるのは自分とキリカであり、滅ぶのはアルトヘイヴン。その前提からすれば、目の前の男には直接的には関係がないはずである。だが、先ほどの状況を鑑みるに、目の前の相手にも命懸けで成し遂げなければならない何かがある。リタはそう確信していた。


 真剣な顔つきの観測者の顔を真っすぐに見据え、リタは「聞くだけ聞こうか」と、冷静に発する。観測者は小さく頷くと、低い声で話し始めた。


「俺がお前に頼みたいことはひとつだけ。とある人物の救出だ。……それさえ叶えば、後のことは正直どうでもいい。その対価として、お前たちが生き残るために必要な協力は惜しまない」


 とある人物? キリカ……の事ではない気がする。リタが軽く首を傾げる様子を見て、観測は軽く笑うと座り込んだ。


「条件がある」


 リタはそう言って、同じく座り込んだ。パジャマだからといって、胡坐を掻いて座るリタに観測者が軽く苦笑いを漏らした気がするが、今更であろう。


「条件とやらを聞こうか」


「女神の正体と私たちのタイムリミットを、先に話して。ぼかすのも、はぐらかすのもナシ。正確に私の頭で分かるように説明してくれる?」


「……正体について、か。それを話すことは出来るが、その全てを正確に伝えることは難しい」


 そこに込められた感情は何だろうか。分からない。だが、逡巡を見せた観測者の瞳の色は、リタに対する嫌悪感から答えることを渋っているのではないと思わせた。


「どうして?」


「それが、“マザー”の意志だからだ」


 また変な固有名詞が出てきたな。リタは、思わずため息をついた。字面から察するに、クローンを制作した人物だろうか。そして、観測者にとっては大切な人物なのであろう。その単語を発した時に過った彼の表情がそれを物語っている。


 どうせ、殴っても話さないんだろうな、この様子じゃ……。無駄だと知りつつも、リタはげんなりした顔で聞き返した。


「どういう意味?」


「“マザー”のことは、後で話す。俺の目的とも関わることだからな。先に、女神の話をしよう。本当は、お前も薄々気付いてるんじゃないか? 俺は直接行ったことが無いから知らないが、アルトヘイヴンで生きてきて、感じ続けている違和感があるはずだ」


「違和感、ね……」


 リタは唸る。前々から、思っていたことがあったからだ。


 アルトヘイヴンは、自分にとって、都合のいい世界だ。そして、それは即ち、地球人にとって都合が良すぎる世界、とも言い換えられる。


 何かに気付いたようなリタの様子に、観測者は頷いた。


「ここで、大ヒントだ。女神の好物は、コーヒーとサンドウィッチ。この意味、流石に分かるよな?」


 考えれば考える程、それは確信に変わっていく。リタは、吐き気を催しながら声を絞り出した。


「……最悪。地球人同郷、か。――――もしかしてだけど、アルトヘイヴンは、本当に女神が作ったって言うの?」


「いや、それは違う。彼女は、偶然発見された世界に、身勝手に干渉しただけだ」


 リタは観測者の言葉に、安堵の息を漏らした。少なくとも、自分が誰かの妄想の中で生きているのではないと知れただけでも収穫だ。


 何処までが女神の仕業なのか分からない。だが、リタが心から美しいと感じていた世界であり、ノエルが愛して、キリカが生きている世界を構成する一部は、女神がもたらしたものなのだ。そう考えると、嫌悪感を拭うことは出来なかった。


「人間が、世界そのものに干渉する? どうやって? 何故?」


「それは、いつか本人に聞け。今言えるのはこれだけだ。――彼女は、異能科学者集団エミュレイアの次席科学者であり、特異領域観測実験の第一号被験者。コードネーム“アルトリシア”、それが女神の正体だ」


「エミュ、レイア……?」


 リタは思わず絶句する。エミュレイアとは、リタが近江慎太郎として生きていた頃に、ネットで持て囃された科学者の名前だ。中二病なら知っていて当然の、訳の分からない革新的な理論を提唱した人物でもある。


 何故、都市伝説の科学者の名前がここで出る? そして、科学者、と観測者は言ったのか?


「そうだ。お前は都市伝説だと言ったな? 彼は実在するだ。彼らの目的は、超光速人造異相粒子マギナ・タキオネーヴァを用いた未来の観測と収束による世界の救済。元々、俺はその為に造られた」


「ごめん、全然ついていけないんだけど……?」


 リタは思わず頭を抱えた。観測者の話すことが余りにも突飛過ぎたのだ。ただただ、疑問が脳内を埋め尽くしていく。


「それを語るのは、またの機会にしよう。もっとも、そんな機会があれば、だが……。それより、もうひとつの疑問は、タイムリミットだったか? お前、今は何歳だ?」


 確かに、観測者の言う通りそんな話はいつでもいいだろう。リタ自身、彼の事情には然程興味は湧かないが、女神の正体に迫る可能性のある情報だ。いつか、聞かなければならないのは事実。


 だが今は――――それよりも、大切な疑問がある。自分たちに残された時間だ。


「うん? 十三歳だけど……?」


「彼女は?」


「彼女って? キリカのこと?」


 話の流れからして、恐らく間違い無いだろう。だが、それくらいのことは、観測者と名乗るくらいなら分かりそうなものだが……。実際にリタの考えが伝わったのか、首を傾げるリタに観測は軽く頷いた。


「それが、今の彼女の名か……。言い訳でもないが、今のお前たちのことは、俺じゃ観測不可能だ。そもそも、お前自身の干渉力が強すぎる。それに加え、お前自身の可能性が、お前として生まれた時点で既に収束しているのもある。極め付きは、お前の存在が依存する時間軸が、地球ともアルトヘイヴンともズレてることだな。まぁその為にわざわざ、イヴが干渉してお前が転生する前に長めに時間を調整したんだが……それはいいか。それで、彼女は何歳なんだ?」


(コイツ……! 絶対、わざと私じゃ理解できないように喋ってやがる)


 相変わらず意味不明な事を発する観測者に、ジト目を向けながらリタは答える。


「私と同い年」


「そうか。それならば、タイムリミットは五年を切っている。彼女は、絶対に十八歳の誕生日を迎えられない。必ず、十七歳でその生涯を終えるように、世界の理で定められているからだ。いや、彼女の魂が、今も尚その理に囚われていると表現したほうが正しいか? だから、彼女の十八歳の誕生日の前日。恐らく、そこが虚無の天蓋だろう」


 目の前の男の言葉を信じるならば、もう五年も無いのか。とはいえ、間違ってはいないだろうという確信もある。あの時、自分が破壊した惑星魔法は時限式の巨大な魔法陣であり、何度も繰り返されるように作られていたからだ。辻褄が合わないことも無い。


 リタは、ただ強く拳を握りしめた。目覚めてからは、忙しくなるだろう。だが、聞きなれない単語を聞き返すことをリタは忘れていなかった。


「虚無の天蓋?」


「そこから先に、あらゆる情報が存在できない大いなる天井。幾億も存在した可能性の、最終収束点。……要するに、お前たちの運命の終着点だ。そして、お前たちが必ず――そう必ず、その先へと到達しなければならない特異点でもある」


 とりあえず、最低限の情報は得ることが出来た。後は、観測者の語る救いたい人とやらの救出の難易度を勘案し、取引に応じるべきか決めるだけだ。とはいえ、現時点でリタの気持ちは殆ど決まりつつあった。


 それにしても、情報が多すぎて頭が痛い。リタは、頭部を押さえつつ、ふとした疑問を投げかけた。


「まぁ、本当に何となく分かった、ような? 気がする……。てか、関係ないんだけどさ、“虚無の天蓋”って名付けたの君でしょ?」


 リタの質問に対して、訝し気な視線を向けつつ観測者は答えた。


「……それがどうした?」


「はぁ。やっぱコイツも中二病じゃん……。前世の私ってこんな風に見えてたの? 友達いなかったけど。うわぁ……キッツいなぁ」


 リタは、苦笑いをしつつ大きなため息をついた。

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