意志を持った観測者 3
リタの言葉に、思わず叫んでしまった観測者は涙目で頬をさすっている。微妙に顔の左側の形がおかしいのは、先ほどリタが頬骨を砕いた影響であろう。
だとしても、簡単に回復魔法を使ってやるつもりなどない。何故なら、何度も使うのは手間だからである。リタは、無言で観測者に微笑みかけると、右手の剣を振るった。
その瞬間、観測者の左腕が血飛沫と共に舞った。右手で傷口を押さえながら、苦悶の声を上げる観測者に冷たい視線を向けたリタは、そのまま彼の右の太ももに剣を突き刺した。周囲には、絶叫が響き渡る。
去勢剣チェリーデストロイヤーは、光熱エネルギーの塊である。何かが焼け焦げる音と、醜悪な臭いを発しながら観測者の右足は焼き焦がされていく。先程、自らが傷つけられた分を、しっかりと返してやるのだ。
下を向いて嗚咽を漏らしながら痛みに耐える観測者に、リタは静かに告げた。
「もし、だけどさ……。私が銃口を向けられて尚、甘い対応をするような人間だと勘違いしてるんだったら、認識を改めるべきだよ。――――それで? 君から見て、私は
顔を上げた観測者は、ひどい顔をしている。だが、それでも尚彼は、その両目には意志の光を宿し、笑みを浮かべたのだ。リタは、唇の端を吊り上げる。
「ふーん。私のコピーの割には、中々やるじゃん? でもさ、多分だけど私の方が体感年齢的には年上だし、共同戦線を張るにしてもどっちが上かははっきりしとかないと、めんどいじゃん? ということで、仕上げに――――生まれ変わりの痛みを教えてあげる」
リタは、右手を水平に伸ばすと去勢剣をひと回転させ、両手で胸の前に掲げた。そして、反対に持ち替えて切先を下に向ける。観測者が目を見開き、唾液に塗れた唇から更に何か言葉を絞り出そうとしたのが分かった。
だが、彼はどんな言葉も発することが出来ない。リタが、躊躇なくその剣を彼の股間に突き刺したからだ。筆舌に尽くしがたい音をリタの耳は拾った。観測者は白目を剥いて、仰向けに倒れていく。リタは、彼の生命の灯が潰える寸前に、回復魔法を行使した。
(あああああ、もう相棒と別れて十三年も経ってるのに、ヒュンってなった!!)
思わず内股になった自分の膝に力を入れると、リタは去勢剣を右手に持ち顔の前で天に掲げた。そして、役目を終えた剣が光の粒となって消えていくと同時に、目を開けた観測者が呟く。
「生き、てる……? ……もう治ってるのか。凄まじいな、魔法とやらは」
「とりあえず、その汚いモン仕舞ってくれる?」
リタは、出来るだけ見ないようにしながら吐き捨てた。そう、回復魔法では服は修復できないのである。自業自得ではあるし、遺伝子上は昔の自分と同じモノのはずだが、どうにも嫌悪感が拭えなかったのだ。
因みに、リタのパジャマに関しては魔力を通しやすい繊維を織り込んでいるため、爆散した左腕はどうにもならなかったが、綺麗に千切れ飛んだ右足は修復済みである。
観測者は自分の下腹部に視線を向け、まだそこに自身の相棒が存在していることに安堵の息を漏らす。一応状況は認識したのか、急いで上着を脱ぐと腰に巻きつけた。
「あ、やば……忘れてた」
口元を押さえて、不穏な言葉を漏らしたリタを見て、思わず身構えた観測者を責められるものなどいないだろう。観測者はこの時、これ以上まだ何かあるのかと、来る苦痛を前に折れそうになる心に喝を入れたのだ。
目の前の男がそんなことを考えていることなど露知らず、リタは観測者に向けて右手を掲げると、両足を開き左手を顔に当てた。
「去勢――――完了だッ!!」
満足そうな顔でそう言い放ったリタの後ろから射す後光を見て、あんぐりと口を開けた観測者は叫ぶ。
「お前、もしかしてヤバい草でも吸ってんのか!?」
肩で息をする観測者を見て、リタはもう一度軽く吹き出す。さっきまで大袈裟な身振り手振りをしていたのはどっちだと。
「それで? 質問に答える気にはなった?」
笑みを浮かべるリタに対し、肩をすくめる観測者。肯定と捉えてもいいだろう。どちらにせよ、必要ならば力づくで吐かせるだけだ。
とはいえ、互いの緊張をほぐすためにも、最初は軽い質問から入らなければ。そんなことを考えていたリタは、観測者に問いかける。
「どう? 美少女に去勢された気分は?」
「はぁ、最初の質問がそれか……? とりあえず、史上最悪の気分だ。お前が一秒でも早く、死を迎えるように心から祈らせてくれ」
大きく溜息を吐いた観測者は、腰に巻かれた上着のポケットをまさぐると折れ曲がった紙の煙草を取り出した。
「そんな骨董品みたいなの、君がいる世界にはまだあるんだ」
リタは、思わずそんな言葉を発した。紙巻き煙草なんて、創作物の中でしか見たことが無い。アルトヘイヴンにも煙草らしきものはあるが、パイプで吸う物か、粗雑な葉巻みたいなものしか見たことが無い。そもそも、リタの周囲には吸っている人間が居ないため、よく知らなかった。
「俺がいる世界か……。勘違いしているかもしれないが、俺は間違いなく、お前が消失した地球の同じ時間軸上、Z地点から二百七十六年後から来ているぞ? わざわざ、時間調整の為にコールドスリープで眠ってたんだ。感謝しろよ?」
「ってことは、本当に正真正銘
Z地点と言うのはよく分からないが、文脈から推測するに自分が邪神を復活させようとしたあの日のことだろう。二百七十六年という年月が向こうで経過している点に関しては、アルトヘイヴンと地球では時間の流れが異なるからなのかもしれない。
色々な疑問が、いくつも頭を過る。だが、自分や観測者に関する疑問より、もっと先に解決しなければならない疑問が沢山ある。どうにか、口をつきそうになった質問を飲み込んだリタに、観測者は溜息を吐いた。
「はぁ……。だからそうだって言ってるだろ。調子が狂う奴だな。お前も一本吸うか?」
「やめとく。というか、未成年の前で吸うのやめてくんない?」
溜息をつきながら、しわくちゃな煙草を差し出す観測者に、リタは拒絶の意を返した。自分のクローンとはいえ、よく分からない奴のポケットで蒸された煙草など口に含みたくはない。そもそも、この空間でわざわざ煙草を吸う理由も良く分からない。きっと、私が思いのほか美少女だったから、カッコつけているだけだろうと、リタは都合のいい結論を出した。
無言で肩をすくめた観測者は、ポケットから取り出した金属製の装置で口に咥えた煙草に火を着けると、ゆっくりと立ち上がり、わざとリタの顔にかかるように紫煙を吐き出した。
リタは、目に染みる煙の感触を感じながら、不快感を募らせていく。とりあえず、もう一発殴っておくべきだろうか。そんな考えが胸に去来するも、これ以上状況を拗らせるのは得策ではない。
さっさと疑問を解決したい気持ちはあるが、なんだか余裕が無い感じを醸し出すのは負けた気がして嫌だ。リタはとりあえず、嫌味を投げつけることに決めた。
「そんな至近距離で私と相対して大丈夫? 自分で言うのもアレだけど、童貞には刺激が強い美少女だと思うんだけど? パジャマだし」
咳込みそうになるのを堪えながらも、リタは精一杯の魅惑的な笑みを浮かべた。この身長差だ。恐らく、丁度パジャマの隙間から、谷間がチラリと……見えてるはず、多分。そんなことを考えていたリタの思惑通りなのか分からないが、観測者はその視線をリタの胸元に向けると、数秒ほど凝視し鼻で笑った。
(女の子になると、胸への視線に敏感になるって言うけどさ……。そういうレベルじゃないじゃん、コイツ。しかも、鼻で笑いやがった)
こめかみに青筋を浮かべるリタの様子に気付かない観測者は、ゆっくりと話し始めた。
「確かに、多少は可愛い顔をしているようだが、性格が終わってたら美少女とは呼べないな。そもそも、お前は本当に心から、今の自分を受け入れているのか?」
「当たり前じゃん! この命も、この身体も、私にとって大事な人たちがくれたんだから」
観測者のふざけた質問に対して、リタはそう返した。何を今更問うのか。多少口調に刺々しさが混じってしまったのは、仕方ないのかもしれない。
「それは、分かってる。……でも、だからだよ。お前は、そんな自分を受け入れるべきだと、受け入れなければならないと、そう結論付けて思考を放棄しているだけじゃないのか? お前に、それを否定することなんて出来る訳が無いからな。許されざることだと、余りにも傲慢だと、そう思ってるんだろう? だからお前は、心の奥底から自分が女性になったことを喜んでいる訳じゃないはずだ。違うか?」
確かに、そう考えることも出来るだろう。かと言って、他に選択肢があるはずも無い。理解していることとはいえ、自分と同じ顔した男から言われるのは、非常に不快だ。リタは、一瞬の沈黙の後、口を開いた。
「……私はそれでも、君と同じ顔をしてた頃よりは大分マシだと思ってるよ。今は、割と楽しんでるしね? 大体、それの何が悪いっての?」
「いや、勿論悪くなど無いさ。俺たちにとっては、お前が
リタの胸中を見透かすように、そう話した観測者を睨みつけながら、リタは静かに両膝に力を込める。ほんの小さな棘が、胸の奥で疼いたような、そんな気がしたのだ。
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