意志を持った観測者 2

 それにしても、腹の立つ奴だ。


 ここがどこで、どんな空間なのかは分からない。しかし、いきなりこんな所に呼び出しておきながら、一方的に話し、挙句の果てには「お前が嫌い」だと言う。リタは、思わず笑いを漏らした。


「こんな真っ暗な所に、か弱い美少女を呼び出しておいて、その言い草とはね……。まぁでも、うん。私の頭でも十分に理解できたよ。君が、性格の悪い童貞クソ野郎ってことはね」


 目の前の人物の話を信じるならば、多少は気持ちは分からんでもない。自分が誰かのクローンで、そのオリジナルが、お世辞にも立派な人間とはとても言い難い人物であったならば。きっと、自らの存在価値について、色々と考えたのかもしれない。


 とはいえ、である。リタにコンタクトを取るということは、互いにとってそれが必要であるからだ。それに対し、わざわざ敵対するような言葉を選ぶ必要性は、リタの頭では分からなかった。


「童貞……クソ野郎……? あ、いや、お前が“か弱い美少女”を自称している点に関しては、疑問を呈さざるを得ないが――――」 


 目を逸らしながら、そう話を続けようとする観測者に対し、リタは畳みかけるように挑発的な笑みを浮かべつつ言葉を返す。


「その反応は間違いなく童貞ですね。ええ、そうでしょうとも」


「それが事実かどうかは、さておき――――」


 リタの言葉を努めて無視するように話し始めた観測者を見て、リタは思わず吹き出した。その様子が気に食わないのか、観測者は小さく舌打ちをする。そして黒い外套のポケットに手を突っ込むと金属製の物体を取り出し、こちらに向けた。


 形状から推測するに、銃であろう。見たことも無い形状であるが、間違いない。観測者はその銃口をリタの額に向けた。


「少し、黙っていろ。手足を吹き飛ばされたいか? ひとつだけ、忠告しておく。この空間で死ねば、お前は現実でも死ぬ。手足の欠損程度なら、多少の後遺症は出るが、生きて現実に戻ることは出来るだろう。お前も、わざわざ痛い思いをしたいとは思わないよな?」


 観測者の言動に、リタは強く拳を握った。舐めた真似をしてくれる。痛い目を見るのはお前の方だ。リタは、再度魔力を練る。魔力自体は存在し、身体から抜けていく感覚がある。それは即ち、リタが知覚できない何かと反応をしているという事でもある。


 思わず唇を噛みそうになった時、視界に光る文字が過った気がした。どうやら、その文字列は観測者には知覚できないようだ。


 これは、魔眼が見せているのか? それとも別の? 分からない。けれど、見間違いで無ければ、アルファベットの「i」だった気がする。懐古心が芽生えそうになるのを押し殺し、その意味を反芻する。


「成程……。虚数領域、ね」


「……!」


 リタの呟きに、観測者が目を見開いたのが分かった。


「エミュレイアの次元波動関数、その虚数解が指し示す領域……か。懐かしいなぁ。当時は、めっちゃネットで調べてたよ。……ずっと、ただの都市伝説だと思ってたんだけどね。まさか、私の定義した魔法式上の虚数領域が、本当にそうだったなんてさ」


 もし、この仮説が正しければ、今いる空間は虚数領域上に観測者が定義した空間。普段から魔法の行使に際して、アルトヘイヴンの物理法則を超越した魔法を行使する際は、この虚数領域とエネルギーや物質の相互交換を実施しているのだ。


 ああ、そうか。リタは思わず笑みを漏らす。


 この身体も、私の一部。同じ深層領域に繋がれた、虚数存在の自分。それを自覚した途端に、全身に血が巡るような感覚と共に、確かな魔力活性を知覚した。


 目の前で視線を細める観測者に問いかけるように、リタは口を開く。


「ということは、この私自身は、世界の双極状態における次元定数の不均衡に伴う、深層意識の虚数世界への流出ってところかな?」


 きっと、今なら出来るはずだ。いや、出来る。

 出来なければ、おかしい。


 この虚数領域で、私がもう一度、魔の理を再構成してやる。


 リタは、即座に自身の魔法式の根幹となるいくつかの関数を修正した。最初に魔法を開発した際にアルトヘイヴンの特性に合わせて定義した次元定数を変更するのだ。



 ――――そして、リタの右眼は真紅の輝きを放った。


 途端に視界に広がるのは、圧倒的な情報。魔眼の魔力解析の位相をずらしてみれば、宇宙空間で輝く星雲のような、圧倒的な魔素とエネルギーの輝きが満たしていることに気付いた。


 観測者は、左足を半歩引きつつ笑みを浮かべる。


「そう、エミュレイアの第五法則だな。ふむ……。本当に、自分自身でその解に至ったのか? 中々どうして侮れないな、オリジン?」


「そう言えばさっき、私の疑問に答える気は無いって言ってたよね……? 力づくで吐かせてあげる」


 リタの言葉の意味に気付いた観測者が、銃の引き金を引いた。魔眼の解析結果によれば、何らかの指向性高エネルギー射出装置とある。弾速は光速、知覚した瞬間には既に着弾している速度――――。


 単純なエネルギーの放出であれば、障壁で弾くだけだ。そう思っていた。だが、観測者の放った光速の弾丸はリタの障壁を抉り、魔力を乱した。


(あー、はいはい。私対策もばっちりってことね。けど……、面白いじゃん!)


 リタは、思わず舌なめずりをしつつ、低い姿勢で疾走した。銃口は常にリタの数歩を正確にトレースしている。


 決して、観測者の身体能力や戦闘勘がずば抜けている訳ではない。しかし、何度左右のステップで攪乱しようとも、正確無比にこちらの行く先に銃口が向き、弾丸を放つ。左肩が抉られ、髪が焼ける匂いが漂う中、リタは自身に回復魔法を行使する。次元定数を変更した魔法が問題なく発動したことに、安堵の息を漏らしつつ観測者の周囲を駆け続けた。


 わざと観測者の銃口の向く先を避けるように走っても、即座に修正される。転移魔法の発動兆候を見せただけで、銃口を後ろに向ける観測者の様子を観察しつつ、リタは状況を整理する。


 もしかして、こちらの思考が読めるのだろうか? 一瞬だけ、そんな考えが頭を過った。リタは瞬時に脳内を、初めて女子寮の大浴場に行った際の光景で染め上げるが、反応が無い。……おかしい。童貞が、あの光景を見て正気で居られるはずが無い。自分のクローンなら尚更だ。


 という事は、まさか――――。奴には、未来が見えているのか?


 観測者だなんて、大層な名を自称しているくらいだ。少なくとも、それに近しいことはやってのけるだろう。


 ならば、反応が出来ない物量と速度で押し切るのみ。

 それが、通常の思考であろう。誰でも分かる。


 だからこそ、あえて正面切って突っ込む。

 これまでそうやって生きてきたように。奴に見せつけ、打ち破るのだ。


 リタは、銃口を向け続ける観測者に向かって啖呵を切った。


「……流石に、それは卑怯だなって思ったけどさ。シリンダー生まれの童貞野郎には、丁度いいハンデだよね!」


 いくつもの弾丸が、身体を掠め肉を抉る。障壁は最小範囲で全力展開。最悪、自分の頭部さえ守れればいい。額に向いた銃口を遮るように左手を伸ばせば、弾け飛び鮮血をまき散らす。今夜は、痛いのばっかりだな。そんなことを考えながら、それでも、リタは止まらず走り続ける。


 転移など、使うつもりは無い。真正面から、ぶん殴るのだ。

 これも、母さんの遺伝かな? リタは少しだけ笑いそうになりながら、左手を再生しつつ走る。


 止まらないリタを見て舌打ちをした観測者は、銃口を下に向けた。右脚の太ももから先が吹き飛ばされ、バランスを崩し掛けたが、即座に足を再生しつつ身体を前進させていく。そのリタの表情と気迫に、一瞬だけ観測者が顔を顰めた気がした。


 どんな生活を向こうで送っているのかなんて知らない。けれど、多数の戦闘経験を積んでいるはずは無いだろう。それが今の判断の迷いを生んだのだ。


 それに、どんな事情があろうと、どれだけの強い意志を持っていようと――――。

 私の覚悟が、それに劣っているなんて、有り得るはずが無い。


 既に二人は、至近距離。額に押し付けられた銃口を凶暴な笑みを見せながら押し返すリタに、観測者が心からの恐怖を感じた瞬間。観測者は、時間が止まったような感覚を覚えていた。


 一瞬先の未来さえ見えない。

 だが、観測した未来ではなく、自身の直感はその結末を知っていた。


 彼の時間を再び動かしたのは、耳をつんざく少女の咆哮。


「歯ぁ食いしばれッ!!」


 そしてリタの振り抜いた拳が、観測者の頬骨を砕いた。


 リタは即座に、観測者の銃を奪い取ると、炎熱魔法で銃口を溶解する。大の字で地面に倒れ伏した観測者は、苦々し気に口を開いた。


「……あ゛ぁー、クソ。やっぱ、お前の事、大嫌いだわ」


「まだ無駄口叩く余裕があるんだ、へぇ……。私の魔法、見せてあげる」


 リタは、観測者に笑顔を向けると、見せつけるように右手に光る剣を作り出した。


「おい、何をするつもりだ……?」


 上体を起こした観測者が、徐々に後ろに下がっていく。いい気味だ。リタは更に笑みを深めてジリジリと焦らすように前進する。そして、右手に生成した魔力剣の形状を折れ曲がった形に変え、口を開いた。


「この剣こそ、私の痛みを再現する剣――――。去勢剣チェリーデストロイヤー!!」


「は?」


 呆けた声を発した観測者の股間に剣を向けると、小さな悲鳴が聞こえた気がした。リタは飛び切りの笑顔でポーズを取りつつウインクを投げる。


「お前にどんな未来が見えようと、全て私が変えてやる! とりあえず、お前も女の子にしてやろうか!?」


「地獄みてぇな決め台詞だな!?」

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