意志を持った観測者 1
ラキが自室に戻ってすぐ、エリスが入れ替わるように帰ってきた。ユミアの様子を聞き、安心したリタは先日購入したふかふかのソファに沈み込むように、身体を投げ出す。
「あぁ、何だか、凄く……疲れた……」
途端に頭痛がこれでもかと主張を始めたのを認識し、リタは目を閉じた。安心したせいか分からないが、急に身体もだるくなってきた気がする。
何処までも、深くソファに沈み込むような感覚を覚えながら、瞼を揉んでいるうちに周囲の音も遠くなっていく。エリスが、シャワーを浴びろとかそんな感じのことを言っている気がしたが、どうにも上手く言語を理解することが出来なかった。
そんなリタの身体を、誰かが優しく揺すっている。この懐かしい感触は、きっとエリスだろう。続けて、額に冷たい手のひらが押し付けられ、小さな悲鳴が聞こえた気がした。
その揺らぎも、その手の冷たさも。
そしてその悲鳴さえ、とても心地よく感じ――――リタは、深い眠りに落ちていった。
――――ここは、何処?
リタは、真っ暗な空間に一人立っていた。周囲には何もない。咄嗟に魔眼で解析を行おうとするも、何も反応が無かった。
まずい。
ここが敵地で、これが敵の罠であれば、非常に危険だ。
リタは即座に魔法を行使しようとするも、魔力が身体から抜けていく感覚があるだけで、何も形にならない。下を見れば、部屋着にスリッパ、武器のひとつもない。材質も分からない硬い地面さえ、そこに落ちていきそうな黒色であった。
リタはいつでも反応できるように腰を落とし、そろそろと足先をするように移動を開始する。せめて身を隠す柱か、背中を預けられる壁が欲しいところだ。だが、何処まで行っても何もない空間が広がっており、人の気配も感じない。
息を殺せば、痛いほどの静寂と鼓動だけが響く。今が、生まれて一番孤独なのかもしれないと、ふとそんなことを考えた。
どうなっている?
そもそも、自分は今まで何をしていた?
リタは周囲に意識を向けながらも、必死で記憶を手繰り寄せていた。
……そうだ。魔人と戦って、先生と戦って、ラキと話して……それから?
それからの記憶は特に曖昧だが、確かに自室にエリスが戻ってきた気がする。……エリス?
「エリス! 居るなら返事して!? 大丈夫!?」
リタは思わず大声を出した。敵地であれば、本来慎むべき行動だという事は嫌というほど分かる。それでも、万が一妹が巻き込まれていたなら――――。その考えに至った途端、声が勝手に出ていた。
声は響くことなく、虚空に溶けていく。床以外の反響音が全くない。どれほど広い空間だというのか。リタは思わず唇を噛む。
しかし、暫くしてリタの声に応える音があった。だがそれは、最愛の妹の声ではなかった。
聞こえたのだ、遠くから近付いてくる、硬い足音が。リズムもその靴音も、決してエリスのものではない。
足音から距離を推測しながら、リタはいつでも飛び掛かれるように腰を落とす。これ程までに、痺れるような緊張感を感じるのはいつぶりだろうか。
魔法も、魔眼も、武器さえ使えない。
それでも、必ず生き抜いて、自分の居場所に戻らなければならない。
まだ、相手の姿は見えないが、間もなく視認出来るであろう。リタが更に拳に力を込めた時、若い男の声が聞こえた。
「さっきのが、こっちの言葉か……。出来れば日本語で頼みたいんだが、まだ忘れてないか?」
鋭敏なリタの知覚が拾ったのは、懐かしい言語と、徐々に露わになる黒髪黒目の青年の顔。
「月並みだが、こう挨拶しよう。――――始めまして、オリジン」
「――ッ!」
そして、近江慎太郎の顔をした青年は、にこやかに微笑んだ。
リタは、目の前の青年を前に絶句していた。その姿はとても懐かしく、そして当時は見飽きていた顔でもあったのだから。だが、違和感が拭えない。年齢は、二十歳くらいだろうか。当時の自分より、肉付きが良く血色もいい気がする。
「君は……、もしかして私? いや、違う……?」
動揺を隠せないまま、リタはどうにか声を絞り出した。男は、リタの言葉に軽く肩をすくめつつ、微笑みを浮かべたまま鷹揚に頷いた。
「そう、俺は君自身じゃない。君以外の君でもない」
(うわぁ……、凄くカッコつけてる。大した顔じゃ無いクセに。めっちゃ私っぽいんですけど……)
そんなことを考えながらも、リタはその青年の眼を見据える。前世の自分とは異なり
青年はただ立っているだけだ。予想が正しければ、彼がきっとそうなのだろう。
本当に本物か? そんな考えが頭を過るも、それを証明する手段などない。だが、日本語を話し、あの顔をしている。しかも、自分の記憶とは少し違う顔つきだ。その事実だけでも、かなり確信に近いものをリタは抱いていた。
しかし、何が起きるか分からない以上、油断をすることなど出来ない。リタは、距離を保ちつつその一挙手一投足を見逃すまいと、臨戦態勢のまま声を掛けた。
「一応聞くけど、何者?」
「君たちの行く末を、観測する者だ」
(一々仕草が腹立つな……)
ゆったりした動作で、こちらにお辞儀をするその男を見て、リタのこめかみには青筋が浮かんでいた。よもや、自分も周囲からこんな風に見られているのだろうか?
いや、今は余計なことを考えるのはよそう。
目の前の男が、本当にそうならば、聞かなければならない話がある。
「そっか、やっぱりね。だからあんなに頭が痛かったのか……。じゃ、君がイヴ――じゃなかった、あの白髪の人が言ってた“観測者”、だよね?」
「くっくっく。イヴ、イヴか……。成程確かに、君たちが手にしたのは禁断の果実だったのかもしれないな? さしずめ君は、アダムとでも? いや、その姿を鑑みれば、礎となって散った君の方をそう呼ぶべきろうな」
可笑しくてたまらないという様子で、笑いを噛み殺す男を見て、リタは思わず拳に力が入るのを感じていた。
(あ、無理。これが同族嫌悪!? これが続いたら絶対殴っちゃうな)
そして男は微笑みながら両手を大きく広げて、上を見上げるとこう発した。
「それでは、君の疑問に答えようじゃないか。ああそうとも、俺こそが観測者と呼ばれる者だ。そして同時に、滅び行く世界で、君
イヴに続き、回りくどい話し方をする奴だ。もしかして流行ってるんだろうか。リタはそう思いつつも、背筋に汗が流れるのを感じていた。何か、嫌な予感がする。
一度言葉を切った観測者は、ほんの少しの逡巡を見せた。リタは、高鳴る緊張感の中、続く言葉を待つ。
「俺は、特異領域観測用生体プロセッサ、第六世代
「え……?」
リタの唇から漏れ出したのは、掠れたような声だった。
こいつは、何を言っている?
何かが軋む音がした。気付けば、かなり強く拳を握っていたようだ。痺れを感じながら拳を開きつつ、リタは観測者の発した言葉の意味を咀嚼する。
確かに、前世の自分は魔素が扱えることに関して、その力があることが周囲にバレれば、クローンでも製造されるかもと妄想していたことには違いない。
だが、まさか本当にそんなことが起きるとは思ってもいなかった。そもそも、自分はその力を秘匿していたはずだ。イヴの言うように、並行世界らしきものが存在するのだとすれば、別の自分は違ったのだろうか?
いや、違う。
それが本当に自分自身であれば、そんなことは有り得ない。有り得るはずが無い。
呆然とするリタをひと睨みすると、観測者は低い声で発した。
「そのおめでたい頭でも、少しは理解できたか? 君……いや、もう取り繕うのはやめよう。お前の疑問の全てに答えてやる気はさらさら無い。――――先に言っておく、俺はお前が大嫌いだ。
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