宵闇からの反撃 4

 エリスは、素早く周囲を見渡しながら状況の把握に努める。特に外部からの干渉も感じなければ、新手の気配も無い。だが、だからと言って簡単に片付くとは思えなかった。


 そんな時であった。吹き飛ばされていた痣の男が、呻き声をあげた。両腕共に肘から先を失い、立ち上がれないようだ。放置すれば失血死することは想像に難くないが、そんなことが頭にないのか、必死にもがいている。


 ユミアの視線に入らないよう、エリスは身体をずらしつつ右腕を男に向けた。泳がせるつもりであるが、それで誰かが怪我をすれば元も子もない。最悪の場合に備え、確実に男の頭を吹き飛ばせる威力の魔術を待機させながら、エリスは視線を細める。


 その男は憎悪に満ちた視線をこちらに向けると何かを呟き始めた。遠目でも分かるくらいに男の首元の痣が脈打ったのが見えた。そして立ち込める異様な気配。


(あまり良くない方向だね。もう一人は、逃走の体勢に入ってるし、別れるしかないか)


「……あっぐ! 殺、ス! コロし、てや゛るぅ! ――ッあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!」


 全身を痙攣させながら、白目を剥いて叫び声を上げる男。そして、全身がどす黒く変色するとともに脈打つ血管が浮かび上がる。赤黒い筋繊維のようなものが肘の先から伸びると、両腕を形成した。皮膚が焼け爛れるように紫色に変色し、眼球が黒くなっていく。それは、数年前に見たことのある姿であり、因縁を感じる姿でもあった。


 全身から湯気を上げながら、その男――魔人――はゆっくりと立ち上がると、周囲を睥睨する。その視線を浴びた、ラルゴとユミアの肩が撥ねる音すら聞こえてきそうなほどの緊張感が、夜闇を満たしていく。


(何故、魔人が? あの痣は何だったの?)


 いくつもの疑問が頭を満たしそうになるが、少なくとも今は考え事をしている場合ではない。とにかく、友人たちの安全が最優先だ。エリスは、気を引き締めつつ魔人を睨みつける。


「――――マジかよ……!」


 後ろから聞こえたラルゴの驚いた声と、ユミアが息を吞んだ気配を感じつつも、エリスは魔人から目を逸らさない。もう一人の男を注視していたキリカとミハイルも、魔人の登場に驚きを隠せていなかった。


 エリスの脳裏には、目の前の魔人を殺すという選択肢が過っていた。それはきっと、生きた状態で捕縛するよりは、よっぽど簡単で安全な方法なのだろう。だが、情報収集の手段を失うと同時に、きっと姉を悲しませてしまう。


 エリスは奥歯を噛みしめると、声を張り上げた。


「ラル君、ユミアちゃん、目標地点まで即時撤退! ミハ兄は、新手に備えて二人の殿を! キリカちゃんは、二号標的を追跡!」


 普段あまり大きな声を出さないエリスの迫力に、それぞれは即座に行動を開始した。逃げ出すユミアに、視線を向ける魔人を視線で牽制しつつ、エリスは全員が魔人から十分な距離をとるまで行動を起こさなかった。


 魔人は、自分の姿を見ても動じないエリスに興味を覚えたのかもしれない。もしくは、力を得たことによる慢心だろうか。目の前の魔人は、身体の調子を確認するように肩を回すと、腕組みをしてエリスに視線を向けた。


 特にその口から何かを発するでもなく、徐々に周囲は静寂を取り戻していく。そんな様子を観察しながら、エリスはリタへの秘匿通信を繋いでいた。


『お姉ちゃん、聞こえる? 一号標的が魔人化した。私が交戦する。三人は撤退中、キリカちゃんは二号標的を追跡中』


 脳内で響く、姉の心配そうな声にエリスは思わず口元を緩めそうになった。油断するつもりは無いが、まず負けることは無いだろうと予想される。こんなことで姉の手を煩わせる訳にはいかない。


『うん、二号標的は魔人化してない。――――私は大丈夫だよ、うん。ありがとう』


 通信を切断したエリスは、一度構えを解くと魔人に声を掛けた。


「質問しても?」


 魔人は、僅かに唇の端を吊り上げると頷いた。


「大人しく捕まって、知ってること全部話せば痛い思いしなくて済むけど、どう?」


 エリスの問い掛けを、魔人は鼻で笑う。そして魔人の両手の甲から、真っ黒な刃物のようなものが皮膚を突き破り飛び出した。まるで、大型魔獣の爪のようだとエリスは思う。その意味は明白だ。


「それじゃ、全部の方に聞くとするよ」


 エリスの言葉に、魔人はピクリと眉尻を動かすと殺気を強めていく。こんな簡単なブラフに引っかかる奴に、こんな力を与える存在の考えが読めない。


 だが、最重要標的は姉が叩くと言うのだ。そこに失敗など有り得るはずがあろうか。自分ごときが心配することすらおこがましいというものだ。エリスはふっと息を吐くと頭を振った。


「――――どちらにせよ、結末は一緒だけどね?」


 笑みを浮かべて肩をすくめるエリスの様子が癪に障ったのかは分からないが、魔人は一瞬顔を歪めると構えを取ろうとした。


 そして、その表情が一瞬驚きに染まったかと思えば、徐々に苦々しいものに変わっていく。魔人の足が瞬時に凍り付き、地面に縫い留められたからだ。最初から周辺領域には、氷結形上級魔術『永久凍土ニブルヘイム』を限定展開している。徐々浸食し、音も無く一気に絡めとれるようにと、魔人化をする前から準備はしていたのだ。


 魔人とはいえ、元の人間の戦闘経験が貧相であれば、どうしようもないようだ。今度はエリスが、鼻で笑う番であった。それは正しく、氷の微笑とでも称されるだろうか。何処までも冷たく、敵対する者を凍てつかせる笑みであった。


「ふふ」


「何をした?」


 魔人の低い声が響いた。戦いなど知らない、女子供であればその迫力だけで気絶していたに違いない。殺気をまき散らしながらも、明らかに焦りの色を隠せていない。


「自分で考えたら? ……じゃ、私もムカついてるから、覚悟してね?」


 そうしてエリスは笑みを深めると右手を魔人に伸ばした。どうやら遠距離攻撃の手段は持ち合わせていないようだ。どちらにせよ、多少魔術の心得があったところで、ねじ伏せるだけであるが。


氷結牢獄アイシクルジェイル


 母親から受け継いだ、得意の氷結系統の魔術を選んだ。魔人は必死に両腕を振り回してもがくも、エリスの魔術の前には何の意味も成していなかった。氷の結晶が魔人を包むと、更に氷柱が突き刺さる。それらは、まるで牢獄のように男の四肢を拘束し、凍てつかせていく。そしてさらに、念動で氷塊を操作し、魔人を仰向けに転がした。


 身動きも、声を上げることもできず、氷のオブジェと化した魔人にエリスは笑いかける。それはまるで寝台に寝転がる病人に死を宣告するようでも、磔にされた生贄に刻限を告げるようでもあった。


「魔人って頑丈だよね? ……私の友達が味わった以上の苦痛に塗れて、愚かさを悔いろ!」


 エリスが右腕を水平に伸ばすと、数十メートルに及んで地面が抉れた。抉られた地面の大量の土砂が空中に集まると、軋みを上げながら圧縮され巨大で鋭利な巨岩の体を成していく。


 既に表情筋すら動かせない魔人であったが、その視界に映ったのは絶望以外の何物でも無かっただろう。重さがどれくらいになるかも想像できない程のそれは、エリスの腕の動きに合わせて空中を滑るように移動すると、魔人の上空数十メートルで静止した。じりじりと焦らすように、浮かんだ巨石の鋭利な先端を小刻みに揺らしながら、エリスは少しの間待機する。


 ――さて、十分に恐怖を感じてくれただろうか。ユミアが味わった、命を奪われそうになる恐怖を。次は、痛みを味合わせてやる番だ。こいつは、私の友人を殺そうとしたのだ。初めて、自ら友誼を結んだ人間を。


(それと、お姉ちゃんの笑顔を曇らせた分は、別にあるからね……!)


 丹田から湧き上がる灼熱の怒りを魔力波に変え、エリスは吼えた。


巨岩槌スレッジハンマーッ!!』


 高速詠唱で告げられた魔術名は、正しく断罪の時を示す鐘であった。エリスが振り下ろした拳と連動するように、その巨大な鉄槌は自由落下の速度を遥かに超える速度で、けたたましい音を響かせて氷の牢獄を粉砕する。そしてそれは、魔人の胴体と四肢が、すり潰された肉片と化し四散することと同義であった。


 爆音の後を飾るのは、細かな硝子片が擦り合わされるような音と共に、空中を煌めく氷の破片と砂塵。徐々にそれが晴れていくと同時に、抉れた地面と魔人の生首が露わになる。エリスは、冷たい視線でそれを一瞥すると、魔人が自らの死を認識するより早く回復魔術を行使した。


 元より姉から学んだだけで回復魔術はそこまで得意でない。それに加え、わざと中途半端な構成で行使された回復魔術は、魔人の四肢を不完全な状態で復元していく。エリスは、横たわる魔人に近づくと、まばらに再構築された筋繊維の隙間から見える臓器に、氷で作った短剣を差し込んだ。気持ちのいいものでは無いが、この場面ではいつでも殺せるという余裕を見せつけなければならないだろう。思わず魔人が漏らした苦悶の声に、エリスは微笑む。


「少しは、話す気になったかな?」


「馬鹿が!」


 だが、魔人はにやりと笑うとエリスの細腕を切り裂かんと、その右腕を振った。中々の再生能力だ。回復魔術の範囲を超えて、復元された右腕の甲から飛び出した黒い刃がエリスに向かって走った。魔人の身体能力から放たれるそれは、常人に反応など出来る筈もない一撃であった。


 元より遠距離攻撃手段を持っていない魔人であったが、魔術師相手に接近戦なら負ける筈も無いと思っていたのだ。油断したのかは知らないが、回復魔術までご丁寧に掛けてくれるなど、彼にとってあまりにも好都合であった。


 姿勢が悪いとはいえ、その一撃はエリスの右腕を縦に咲き、白い首筋を掻き切る一閃の筈だった。


 だが、魔人の攻撃は空を切った。魔人は慌てて立ち上がって、周囲を見渡すも少女の姿は見えない。そして、下を見れば背中から貫通したのであろう氷の刃が腹部を貫いていた。


「お姉ちゃんなら、きっとこう言うよね? “そうこなくっちゃ!”ってね。……ああでも、これで心置きなく痛めつけられる」


 エリスは、もうひとつ氷の刃を作り出すと、魔人の首筋を優しく撫でた。確かに、魔人の肩が震えたを認識したエリスは、満足げに頷いた。


「次は、私の大切な人を悲しませた分だよ。心行くまで、味わってくれる?」


 後方から聞こえる、少女の美しい声。膨れ上がる膨大な魔力と、吹き荒れる魔素。


 魔人は最早、振り返ることすら出来なかった。

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