宵闇からの反撃 3

 さて、どうしたものやら……。


 ラルゴ・ヤンバルディは小洒落た夕食の店で、食事を楽しみながらも、テーブルを満たす沈黙を打破する手段を探していた。目の前には、今日まで話したことの無かった着飾った後輩が、緊張の面持ちで食事をしている光景がある。


(服装の話もしたし、天気の話もした。ついでに趣味の話は、全く合わんってことも分かった……。ちょっとくらい、娯楽小説も読んどくんだったぜ)


 思わず頭を抱えそうになるラルゴに、ユミアは可愛らしく小首を傾げた。目を合わせているのが気恥ずかしくなって下を向けば、彼女の豊満な胸部に視線が吸い寄せられる。


(ああ、こんな時に最低だな、俺。だが、これは男の性なんだ。すまん、ユミア)


「そ、そういやさ、ユミアと俺の幼馴染たちとの出会いって聞いてなかったな。折角だし、聞かせてくれるか?」


 誤魔化すように、ラルゴが発したのは、共通の知人の話題であった。鉄板なだけに、もう少し後半まで取っておきたい話題であったが仕方が無い。ユミアも先ほどから続く沈黙に、少し息苦しさを覚えていたのか、途端に明るい笑顔を見せた。


「そうですね! 最初はエリスちゃんと出会ったんです。確か、十歳の時でした――――」


 きっと、ユミアにとってその出会いは、とても大切なものだったのだろう。ラルゴは、適当に相槌を打ちつつも、ユミアの楽しそうな笑顔を眺めていた。


 エリスの最初の出会いについて一通り話し終え、飲み物で喉を潤していたユミアであったが、何かに気付いたように口を開く。


「あ! 忘れてました。そういえば、私は正確な生年月日を知らないので、本当に十歳だったかどうかは分かりません……、あは、どうでもいいですよね?」


 ユミアの言葉に、ラルゴは返す言葉を持ち合わせていなかった。だが、どうでもいいかと聞かれて、頷くのも違う気がする。それに、あんな表情をさせておきたくはない。気まずい一瞬の沈黙を吹き飛ばすように、ラルゴは口を開いた。


「……どうでもいいなんてことは無い。俺は、その、多分頼りない先輩だと思うけどな。でも、折角仲良くなれたしさ。……あれ? 仲良くなってるよな? いや、今はいい。――少なくとも、ユミアのことを今更どうでもいい存在だなんて思えない。話したくないならいいし、今度でもいい。だから、もっと色々聞かせてくれないか?」


「ラルゴ先輩?」


 ユミアは、ラルゴの手をそっと握ると笑みを浮かべた。思わず鼓動が撥ねるも、今は作戦中だ。ユミアはよく頑張っているとラルゴは思う。


 だが、演技だとしても恥ずかしいのだろう、ユミアの頬は赤く手も熱い。恥ずかし気で、精一杯を振り絞ったようなその微笑みに、ラルゴは作戦を忘れて息を吞んだ。


「な、何だ?」


「もしかして、口説いてくれてるんですか?」


 ラルゴにはその瞬間、ユミアが一瞬年上の女性のように思えた。服装や化粧のせいもあるのかもしれない。少し大人の女性の妖艶さを感じるには、たどたどしかったのは事実。それでも、ラルゴはぞくっとした何かを感じたのだ。アホ面を晒していなければいいが、とラルゴは思いながら表情を引き締める。


 とはいえ、後輩にいいようにからかわれるのも、先輩としては複雑だ。ユミアの言葉の意味を理解しながら、ラルゴは出来るだけ冷静な顔を作る。そして、ユミアに顔を近づけると、小声で話した。


「……おいユミア、どっちって答えても地雷だろ?」


「ば、ばれちゃいましたか! ええ、勿論冗談。冗談……です。あは、はは」


 至近距離だからだろう。慌てふためくユミアの姿は、誰が見ても魅力的なはずだ。恋人との初々しい時間を過ごす、初心な少女だと店中の誰もが認識しているに違いない。


 そんな時であった、ラルゴの視線に入るように席を取っていたミハイルが懐中時計を確認するふりをしながら、その蓋で照明を反射させた。ラルゴは視界をちらつく光の意味を理解しながら、立ち上がるとユミアの手を取った。


「ユミア、まだまだ話したかったが、そろそろいい時間だ。送っていくよ」


 ラルゴは、わざとらしくならない程度に、少し大きめの声量でそう告げるとユミアに力強く笑いかけた。




「さて、反撃の時間だ――――」


 ラルゴは、薄暗く人通りもまばらな通りを歩きながら呟きを噛み殺す。現時点までは作戦は順調に進んでいる。視界の隅で頷くエリスの顔に目を合わせないようにしながら、ラルゴは更に人通りの無い通りへ向けて歩みを進める。


 件の襲撃者二人は、問題なく釣れたようだ。とはいえ、目標が二人だけとは限らない。ラルゴは、強く握られた左手に少しだけ力を籠める。やはり、人通りが少なくなるにつれて恐怖がせり上がってきたのか、ユミアの顔が青ざめているような気がする。


「なぁ、ユミア? 折角だし、もう少しだけ遠回りしてもいいか?」


 ラルゴは、打ち合わせ通りの言葉を発する。どうにか、それっぽく話せただろうか。このまま若い二人は夜闇に溶けていくのだ。熱に浮かされた恋人同士のように。


 ひんやりとした夜風までも、緊張を孕んでいるようにも感じて来た。大通りから離れるにつれ、質素な家も増え既に通りは舗装されていない。出来るだけ、無関係な人間を巻き込むことは避けたい。ラルゴは街の外周に近い穀倉地帯へとユミアを誘う。


 そうして歩き続けた二人は、周囲を静寂が支配する目標地点へと到達した。特に連絡が無いという事は、他のメンバーは既に配置についているのだろう。


 そしてすっかり、周囲に人の姿が無くなった時であった。


「――――そこのお二人さん? 少し話さないか?」


 首に布を巻いた、男が話しかけて来た。少し後ろには、もう一人の男が控えている。話しかけてきた男の眼光は鋭く、口元は笑みの形を作っているものの戦意を隠せてはいない。どうやら、ユミアが見た彼の痣、もしくは彼女が生きているという事実は彼らを焦らせるには十分だったようだ。


 隣で小さく息を吞む音が聞こえた。ラルゴは左腕で、ユミアを抱き寄せると男に向かって笑みを見せた。


「丁度いい。俺も、お前に聞きたいことがあったんだ。俺の女に手を出した理由と、必死に隠してるその首の痣についてな!」


 ラルゴがそう言い放つと、男の眉尻がピクリと動いた。痣については、ブラフでしかない。だが、男の見せた表情から、それが彼にとって重大な秘密のひとつだという事がはっきりと読み取れた。


「……聞く必要は無い」


 男は静かに吐き捨てると、右足を軽く引いた。膨れ上がる殺意。間違いなく、やる気だ。この場所は、街中から離れているし、確かに周囲は暗い。だが、自分たちの暮らす街の中で、こんな簡単に暴力に訴える存在がいるという事実は、ラルゴの胸に言いようも無い不快感をもたらした。


「そうかよ」


 ラルゴはいつでもユミアを庇えるように、腰を落とす。もう一人の男が、後方で剣を抜いたのが見えた。その瞬間、剣を抜いた男は数メートル真横に吹き飛んでいた。くぐもった声をあげた男に剣を突き付けるのは、腐れ縁の幼馴染、ミハイルだ。


 それを一瞥もせずに、目の前の男はこちらに向かって駆けだした。この季節にしては、やけに分厚い上着を着ている。帯剣している様子もない。


(隠し武器に気を付けろって、リタなら言うだろうな。そして、それがどうやら正解だったみたいだ)


 男の袖から、数十センチにもなろうかという黒い爪のような刃物が三本伸びてきた。ラルゴはそれを躱しつつ、男から突き出された左腕を捻る。ラルゴの驚いた顔がだということに気付かない男は、にやりと笑うと空いている右腕をユミアに向かって突き出した。


 ユミアの悲鳴が響き渡る。彼女の右手はラルゴから離れ、頭を守るように動く。勿論、そんな彼女の抵抗が間に合うはずも無い。だが、同時にラルゴは視界の隅で煌めいた銀の輝きの正体を知っていた。


 とはいえ、せめて最後までカッコつけさせてくれ。そんな思いが通じたのかは分からないが、男の突き出した右腕を切り飛ばしたのは、ラルゴが瞬時に展開した第二種戦闘装備であった。袖の内側に隠していたブレスレットと連動し、魔力を流せば瞬時に手に収まり高速で抜剣が可能な装備だ。ラルゴの左手に握られた鞘からは、極薄の魔力刃が伸びている。


 音も無く、斬り飛ばされた右腕から吹き出る鮮血。そして、割り込んできたエリスの振るった刃が、男の左腕を斬り落とした。更に、両腕が地面に落ちるより早く、高速で突っ込んできたキリカが、男を遠くへ蹴り飛ばす。何本か骨を砕いたのであろう、敵であってもあまり聞きたくない嫌な音が鮮明に聞こえた。男は両腕から鮮血をまき散らしながら、回転しながら吹き飛んでいった。


 一瞬の出来事に、男は何が起きたかも理解できなかったことだろう。ラルゴは、装備の魔力刃を格納すると震えるユミアの手を優しく握った。




 ユミアは、あまりに速い男の攻撃に目を閉じたまま、いつ来るか分からない痛みに怯えていた。一瞬がとても長く感じる時間であった。


 ――――まだ、生きている。どこも、痛くない。


 ユミアは、自らの手に伝わる体温を感じ、恐る恐る顔を上げた。そして、ゆっくりと固く閉じられていた瞼を開く。夜闇の中でも、はっきりと見えたもの。それは、二人の少女の後姿とラルゴの男くさい笑みであった。


 まだまだ、何が起こるかは分からない。作戦は継続中であり、安全な場所に退避するまで安心は出来ない。だが、ユミアは大きな安堵を感じた。この人たちが居れば、間違いなく大丈夫なのだと。


 今まで、恐怖だけを感じていた筈だった。きっと早鐘を打つ鼓動も、小刻みに震える手も、力の入らない両膝も、そのためだろう。


 しかし、続くラルゴの言葉は、そんなユミアの感情をもっと他の何かで染め上げていくような響きを持っていたのだった。


「大丈夫か、ユミア? 言ったろ? ――――絶対に、俺が守るってよ」

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