宵闇からの反撃 5
空気が帯電し、筆舌に尽くしがたい臭いが周囲を満たしていた。最早、何度切り刻んで、何度身体を爆散させたかも覚えていない。エリスは、既に言葉すら発せなくなった魔人の男を蹴り飛ばすと、展開していた魔術を全て解除した。横たわる魔人に、最低限の回復魔術を行使すると大きく息を吐く。
(結局、一度も使わなかったね。隠してるんじゃなくて、使えないが正解かな。
魔人は既に目は虚ろで、意識を保っているのかも怪しい有様だ。この程度で済んでいることを、感謝して欲しいくらいだというのに。エリスはそんなことを思いながら、術式の兆候を感知して虚空に声を掛ける。
「こんばんは、先生?」
一瞬風景が歪んだかと思えば、妖しく輝く水銀のような瞳のダークエルフが出現する。エリスの現在の魔術の師である、ロゼッタであった。
「貴様か……。聞きたいことは山ほどあるが、まずは手伝え」
状況は瞬時に察知したらしい。ロゼッタは、胸元から魔術的な強化が施された縄を取り出した。それなりの太さと長さのある縄だ。結構嵩張りそうなものだが、何故そこに仕舞っていたのだろうか。エリスには皆目見当がつかなかったが、そんな疑問は押し殺して素早く魔人を縛りあげていく。
教諭たちや衛兵も、今回の事件の調査にあたっていると聞いていたため、ロゼッタがこの場に現れたことに関しては、特に疑問は覚えなかった。現代最高の魔術師と呼ばれる“始源の魔女”だ。こういった調査に関しても、多くの手段を持っているのであろう。
縛られた魔人を適当に転がすと、ロゼッタはエリスに状況の説明を求めた。彼女が何処まで知っているのかは分からないが、どうせすぐにバレることだ。既に、ユミアやラルゴから事情を聞いている可能性も考慮し、エリスは淡々と表面的な事実だけを話した。
「あれだけ大人しくしていろと、貴様の姉には言い聞かせたはずなんだがな……」
ロゼッタの言葉に、エリスはそ知らぬふりを通しつつ、説明を続ける。ロゼッタは、時折相槌を返しながら話を聞いていたが、男の魔人化のくだりでは眉間の皺を隠せないようであった。話を聞き終えたロゼッタは、溜息を吐くと苦々し気に呟く。
「膨らんだ痣……、魔人因子か。こんな街中で、また厄介な――」
「魔人因子、ですか?」
エリスは、ロゼッタの言葉にあった聞き捨てならない単語について聞き返す。ロゼッタは、一瞬迷ったような素振りを見せるも、静かに話し始めた。
「ああ、そう呼ばれている。高密度変質魔素結晶をベースに、いくつかの工程を経て造られるらしい。直接体組織に影響を与え、
「予想では、人が魔獣化した姿、ですかね?」
エリスの答えに、ロゼッタは満足そうに頷いた。魔人に関してはこれまでも何度も調べようとした。だが、情報が秘匿されているのか、とにかく手掛かりが少ない。それでもエリスは、彼らの不完全な在り方と気配から、そう予測していたのだ。
「そうだ。優秀で助かる。記録上での最初の魔人発生は、約千六百年前と言われている。流石にここまで古いと、まともな資料など勿論無いがな。だが、聞いた話によれば魔人は元々、辺境で暮らす人間の中から突然変異として数例発現したという。彼らは、生殖能力を持たず、種として固定化はされることはなかった。だから当時は、人々にとっての魔人とは、魔獣と同様の変異現象が人に起きたものだった」
「だった?」
「そうだ。根源魔法を使用する魔人が発見されて、状況が大きく変わったからだ。人為的に魔人化するための手段を、多くの人間が模索することになるのは自明の理だろう?」
自嘲気味にそう話すロゼッタの表情を見ながら、エリスは首を傾げる。彼女は何を知っているのだろうか。だが確かに、人類が未だに解明できていないとされる根源魔法を行使する、元人間。そんな存在が現れれば、それを制し自らの力にしたいと望む者も多いだろう。
「そう……、ですね」
「だから、“だった”だ。現在確認されている魔人の殆どは、自ら魔人となる道を選んだ者たちだからな。……少なくとも今の時代、奴らは人類の敵だ。それだけは、決して忘れるな。――すまない、話し過ぎたな。詳しい話は今度だ。まだ奴らの首魁が残っている可能性があるからな、そうだろう?」
ふと何かに気付いたように、話を切り上げるロゼッタにエリスは訝し気な視線を向けるも、彼女はどこ吹く風だ。だが、この話は確実に聞いておかなければならない類のものだと、直感が告げていた。
「ええ、そうですね。ですが、魔人の話はちゃんと聞かせてもらいますよ?」
「ああ、約束しよう。だが、姉妹揃って貴様らの遠慮の無さときたら……。貴様は我の百十年ぶりの弟子という自覚はあるのか?」
ロゼッタの問い掛けに、エリスは苦笑いを返すことしか出来なかった。確かに、彼女から直接魔術の指南を受けるということが、どれだけ特別なことかは理解している。だが、全ては今後のために必要な事なのだ。
勿論、ただ傲慢に教えを受けるだけの人間に成り下がるつもりなどない。例の魔法の教えを受けた暁には、きっと彼女が喜ぶであろう、とっておきの報酬も密かに準備しているのだ。
(報酬だなんて言うと、おこがましいけどね。でも先生は、きっと驚くはず。どんな顔をするのか、ちょっと楽しみ)
「ええ、一応。先生が言ったんですよ? 遠慮などいらない、と。望みは口に出せと」
エリスの発した言葉に、ロゼッタは軽く笑うと肩をすくめる。本格的に魔術の指南を受けるようになってから、ロゼッタの色々な面を知ることになった。彼女は普段、強い感情を表に出すことは無い。だが、それは恐らく魔術師としての特性が関係しているだけなのだ。ロゼッタは、超速度で多重展開する正確無比な術式を戦術の核としている。あの演算能力を発揮するのに、感情は邪魔になるだけなのだろう。
エリス自身、ロゼッタと仲良くなれただとか、理解できたなどとは思っていない。それでも、これだけは分かる。ロゼッタ自身は、ちゃんと相手のことを慮ることの出来る人間だ。周囲からは、誤解されそうな言動も多いが、恐らくわざとだろう。
「……そうだったな。とりあえず今はいい。ところで、エリス。
ロゼッタの言葉に、次はエリスが肩をすくめる番だった。まだ、連絡は来ていない。ただ事実を述べるだけでいいのだ。
「さぁ? 今頃部屋で寛いでいるのでは?」
「……くく、そうか。貴様はもう帰寮しろ。門限はとっくに過ぎているぞ?」
エリスの表情を見て、口角を上げたロゼッタは追い払うように手を振っている。
「それでは、先生。そちらの方にもよろしくお伝えください」
エリスが物陰に視線を向けつつ小声で発した内容に、ロゼッタは頭を押さえるような仕草を見せた。エリスは、してやったりという顔を見せつけると、魔人の処理をロゼッタに託しその場を離れた。
「レディの会話を盗み聞きとは趣味が悪いな、ダグラス」
生意気な弟子が走り去ったのを見届けたロゼッタは、近くの小屋の陰に隠れていた存在へと声を掛ける。陰からは、土色の地味な服にフードを目深に被った男が姿を見せた。
「ああいや、すまない。盗み聞きするつもりは無かったんだ」
そう言いながら、ロゼッタの方に歩み寄った男は、被っていたフードを脱いだ。茶髪のいかにも軽率そうな顔つきの男である。無精髭と、あまり手入れされていない頭髪からはだらしなさが垣間見えるものの、それは全て周囲を騙し、市井に溶け込むためのものに過ぎない。
ロゼッタは、胸元から小さな首飾りのモチーフを取り出して、ダグラスと呼んだ男に見せた。ダグラスも同じように服のポケットからモチーフを取り出すと、ロゼッタのそれにかざす。どちらも同じく、美しい翡翠色の宝石を、精緻な銀の翼が包み込むようなデザインが施されている。お互いに大切そうに、それを仕舞うとロゼッタは口を開いた。
「とはいえ、我が弟子は優秀でな。貴様の存在に気付いていたぞ?」
「あっはっは! そりゃすごい! 流石は
ダグラスの笑顔に、ロゼッタは訝し気な視線を向けた。
「貴様、この前五人目の妻を娶ったんじゃなかったか?」
「おいおい、ロゼッタちゃん。僕より若いってのに、ボケるには早いぜ!? もう五十年も前の話じゃないか! ……もう何年も前に、逝っちまったよ」
ロゼッタは、ダグラスの言葉に目を伏せた。自分のことはよく覚えているというのに、他の人間の出来事になると、どうも時間の感覚が曖昧になる。まだまだ、ダークエルフとしては若いという自覚はあるが、非常に複雑な気分であった。
「今回も相手は純粋な人間種だったな、すまない……。普通の暮らしは、どうだった?」
「ああ、いつも通りさ。今回も最高だったよ」
お互いに寿命が長いとはいえ、少し寂し気な笑みを見せたダグラスと、たまにはゆっくり話すのも悪くないとロゼッタは思う。だが、今回はタイミングが悪い。基本的にこの男と会うこと自体が、こういう場面でしかないというのもあるが。
「久しぶりの再会だ、世間話を続けたいのは山々なんだが……。我の生徒に手を出した阿呆の首魁を追わねばならんのでな。後は、手筈通りに頼む。情報は幾らあっても困らないからな」
「ああ、了解。努力はするよ。――――そうだ、次は一杯どうだ?」
ダグラスは軽々と魔人を担ぎあげると、片手でグラスを煽るジェスチャーを返した。ロゼッタも、それに笑みを返す。
「悪くない提案だ」
「それにしても、中々学院長が板についてるんじゃないか? ちゃんと生徒には愛想を振りまいてるのかい、泣き虫ロゼッタちゃん?」
からかうようなダグラスの言葉に、文句のひとつでも言ってやろうと思ったロゼッタであったが、瞬きをする間にダグラスと魔人の姿は消えていた。ロゼッタは大きく溜息を吐く。そうしてロゼッタは夜空を見上げ、首魁を探すために周囲の魔力反応の探査を開始した。
だが、結局のところ、時を置かずして街外れに出現した巨大な光の柱に、ロゼッタは探査を終了することになった。遅れてきた雷鳴のような音が、空気を震わせている。
「成程、首魁はあそこか。……全く。どいつもこいつも、手加減というものを知らんのか?」
呆れた表情でそう笑みを零したロゼッタは、荒れ果てた周辺一帯の復旧を念話で他の教員たちに命じると、次の場所へ向かうために転移術式を発動したのであった。
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