襲撃者の影 1

 リタとキリカは、学院の医務室に向かって疾走していた。夕日もそろそろ沈むだろう。薄暗い学院の敷地内を、ひた走る。途中で、通りすがる生徒たちの荷物を吹き飛ばした気もするが今だけは許してほしい。


「キリカ!? 医務室ってどこ!?」


「言うと思った! こっちよ!」


 ラキとエリスはユミアの着替えを準備している。詳しい話は後にしたが、ユミアはかなり重症らしい。学院に常駐している回復術師の技量をリタは知らなかった。後遺症が残るような傷になって欲しくは無い。ユミアはエリスが初めて自分から作った友人であり、既に自分にとっても大切な友人の一人だった。


 事情は後で聞けばいい、今はとにかく急ぐだけだ。自分の力が必要にならないのであれば、それが一番である。いくつかの校舎の角を曲がり、時に跳躍し、壁を蹴って疾走した二人は医務室の扉を開けた。


 充満する血の匂いに、リタは顔を顰めつつ部屋の奥に向かう。白いカーテンで仕切られて見えないが、何人もの教員たちが詰めかけていた。


(間違いない、あそこだ!)


 教員たちの切羽詰まった様子に、明らかに微弱なユミアの気配。リタは思わず声を上げる。


「ユミアッ!」


 リタは、教員たちの間を掻き分けるようにユミアが寝かされているであろうベッドの方へと向かう。そしてベッドに寝かされたユミアを視界に入れた途端、リタは血の気が引いたような気がした。


 ユミアは、痙攣しつつ口の端から泡を吹いている。ベッドと制服を赤黒く染め上げたのは、彼女の血に違いない。虚ろな目で、喉を掻き毟るように動くユミアの細い手を、褐色の手が掴んだ。


「騒々しいな――――貴様か」


 ロゼッタは、リタを一瞥するとすぐにユミアへと向き合う。回復術師は何をやっているのか。リタは思わず叫びそうになるも、すぐに状況を理解した。


(ただの刺し傷じゃない。魔術で継続破壊されてる……クソッ!)


 ロゼッタは、ユミアの患部に巣食う術式に丁寧に干渉している。そこらの回復術師では、ロゼッタの行使する魔術と干渉して、まともに治療も出来ないだろう。とはいえ、治療も続けないと、このままでは間違いなくユミアは死ぬ。リタは腕まくりをしつつ、口を開く。


「……手伝います」


「おい、君」


 リタが、ユミアに右手を翳したところで、他の教員から声が掛かる。いきなり学生がしゃしゃり出てきて、恐らく他の教員が匙を投げたであろう少女に向き合おうと言うのだ。そりゃ、気持ちは分かる。だが、今は黙っていて欲しい。そんな気持ちが通じたわけでは無いだろうが、ロゼッタはリタに視線を向けると微かに頷いた。


「諸君、下がれ。リタ・アステライト、貴様は残れ。――――我が声を掛けるまで、何人たりとも入室を禁ずる」


 流石はロゼッタというところだろうか。誰一人、異論を挟むことなく部屋から退出していく。心配そうな顔で退出するキリカに、リタは強く頷いた。


「先生、そのまま続けて下さい。私が治療しつつ補助します」


「貴様、誰に向かって物を言っている?」


 ロゼッタは、こんな状況だというのにニヤリと笑うと、一気に術式の繋がりを破壊していく。ただでさえ、今回の魔術は非常に神経を使う。至近距離でそんなに出力を上げないで欲しい。溜息を吐きつつ、ロゼッタの魔力波と干渉しないようにリタは魔術を紡いだ。


 ユミアも徐々に落ち着いてきている。恐らく意識が戻るまでには時間が掛かるだろうが、生命維持が問題が無い段階までは達しただろう。


 リタは、制服の袖で額の汗を拭いつつ、息を吐いた。干渉術式を排除しながらの治療は、単純な治療とは訳が違う、非常に疲れる作業だ。今後の為にはなるだろうが、そもそも友人の命を背負っての治療など、そんな機会は無いに越したことはない。


 さぁ、もうひと踏ん張りだ。傷一つ残さないから、安心してねユミア。リタは、自分の頬を叩いて気合を入れると、最後の仕上げに入った。




 そうして、ユミアが穏やかな呼吸を取り戻したころには、すっかり外は暗くなっていた。治療は終わったが、出血が多すぎた。治癒魔術で、自然治癒力も向上させているが、暫くは安静にした方がいいだろう。リタは、ロゼッタに声を掛ける。


「――――まるで虫ですね?」


「ああ」


 ロゼッタは、忌々し気に手のひらに展開した術式を眺めている。ユミアの傷口に埋め込まれていた魔術式の中核はまるで虫のような形をした、見たことも無い術式であった。どうやら、一定のロジックに従って何パターンかの動きをするように組まれているようだ。


「術式の完成度と、術者の技量が比例してませんね」


 ユミアの刺し傷は、見たところ背中から腹部を貫かれている。わざわざ術式を埋め込んで何がしたいのか分からないが、殺すにせよ苦しませるにせよ、もっと最適な場所はいくらでもあるのだ。それによって救われた友人の前では言いたくないが、非常に気になる点であった。


「そうだな。分かっていると思うが、これのことは口外無用だ。今回のは、根深い問題が絡んでいる可能性がある」


 ロゼッタも、今回実際にユミアに手を出した人間とは別に、何らかの目的を持って行動している存在が居ることに気付いているのであろう。


「先生は、この術式に心当たりが?」


「西の方で、少し、な」


 ロゼッタは、考え込むようなそぶりを見せる。王国の西と言えば、ダルヴァン帝国であるが、事はそう単純では無いということであろう。特徴のある術式という事は、ダルヴァン帝国の仕業に見せかけたい輩も使う可能性があるという事だ。特に今回の術者は何処か怪しい。詳しい事情はユミアとラキに聞くしかないだろう。


「まぁ帝国って考えれば、多くの人にとっては辻褄が合うかもしれませんが……。それで、得をする存在? いや、それにしては杜撰ですね? 更に別の――――」


「考えても、仕方が無いだろうな。……どちらにせよ、貴様が何かすると碌なことにならん。衛兵と我々に任せておけ」


 ロゼッタの視線に苦笑いを返しながらも、既にリタの中では怒りの炎が燃え上がっていた。リタは、そっとユミアの紫色の髪を撫でる。彼女には色々と恩もある。それに、ユミアのような純粋で気のいい人間が、悪戯に傷つけられて黙っていられるはずもない。


 少なくとも、私にとっての友達は、そういうものなんだ。

 誰だか知らないが、必ず報いを受けさせる。


 リタはそんな決意を胸に、強く拳を握りしめた。

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