嵐の前の逢瀬 2
ようやく午後の授業も終わり、リタは待ちに待った放課後を迎えようとしていた。尚、遅刻した午後の授業はしこたま怒られたが、キリカと一緒に叱られるのも何だか新鮮で楽しかった。
(今日の先生、めっちゃ喋るじゃん……)
リタは静かにため息を吐いた。壇上ではロゼッタが非常に珍しいことに長話をしている。リタはこれまで、彼女が授業以外で長い話をしている所は殆ど見たことが無かった。
ロゼッタによれば、ここ最近学院生にちょっかいを出す輩が居るらしい。学院に張り巡らされた結界にも、内部を伺うような術式が幾つも引っ掛かっているようだ。リタはそれに関しては、特に思うところが無かった。いわば、この学院で学んでいることは、突き詰めれば戦争の技術でもある。敵対国家や組織から、何らかのアプローチはあって当然であろう。そして、それに対する対策も言わずもがなである。
とはいえ、そう考えれば最も標的になりうるのは、間違いなくこの学級の生徒達だろう、とリタは思う。この学院の核はロゼッタだが、生半可な輩ではロゼッタ本人に太刀打ちできまい。それに、情報を収集するのにもまだ若さを持て余す生徒たちの方が、色々な意味で御しやすいというものだ。
「――――既に学院生でも怪我人が出ている。徐々にエスカレートしている印象だな。相手方の目的や組織は調査中だが、どうも今回は様子がおかしくてな……いや、それはいいか。貴様らは確かに、選抜された生徒達ではあるが、まだ子供。下らない義憤に駆られて自滅しないよう、重々気を付けることだな」
相変わらずの物言いに、リタはふっと笑いを漏らす。だが、そんな笑みも長くは続かなかった。
「それから、再来月に控えた、学院対抗の交流戦術大会についてだが――――」
(今日は本当に長い。まだ続くの? つか、学院対抗? 戦術大会? 交流を深める気が微塵も感じられないんですけど……)
リタは、話を聞くのを諦めて窓の外へ視線を向けた。校庭では、既に解放されたのであろう生徒たちの姿が見える。
ロゼッタの話す戦術大会は、はっきり言ってしまえば学校対抗の戦争ごっこだ。言い方は悪いが、主目的も大きく違わないだろうとリタは思う。所謂代理戦争であり、国や組織の保有する将来的な戦力を見せつける目的が大きいのだろうと予想する。
それが無駄な血を流さないための抑止力に繋がっているのであれば、存在価値はあるのかもしれない。そう考えれば逆に不謹慎にも思えてくるのだが、学生視点からすれば、他国の生徒たちと武を競い、交流するというのは純粋に凄く楽しそうだ。
(ま、私はパスかな。最近色々、不穏な感じだし。政治関連の面倒事は、本当に勘弁だからね)
リタは、そんなことを考えながら、もう一度小さく溜息をついた。
「やっと終わった~。ふぁ~」
思わず、声が漏れてしまうのも仕方が無いと言えるだろう。リタは、欠伸をしながら身体を伸ばす。隣の席のエリスは、「それじゃ、行ってくるね」と告げてロゼッタの後を追っていった。相変わらず真面目な妹だが、最近は何の魔術を習っているのだろうか。今度聞いてみるのもいいかもしれない。
出来れば、諜報に特化した魔法でも開発したいところだが、たとえ使えたとしてもリタは自分がそういうことに向いてない性格であることを理解していた。今後の事を考えると、信頼のできる情報の入手手段を増やしておきたいところだ。
とはいえ、今日はキリカと過ごすと決めたのだ。他のことは、その後で考えればいい。どうもそわそわしてしまう。だが、すぐに行こうと言うのも、何だかがっついてるように思われそうで嫌だ。そんな風に迷っていたのがいけなかったのかもしれない。リタに、声を掛ける人間がいた。第四王子のアレクである。
「なぁ、リタ? お前、この後時間あるか? ちょっと、模擬戦でも――」
「あ゛ぁ゛ん!?」
今から、キリカとようやく二人で過ごせるというのに、暇なものか。悪気は無かったが、思いのほか低い声が出てしまった。
「どこから声出してんだよ!? 目ェ怖ッ!? 完全に据わってんじゃねぇか!?」
「……ごめんごめん、今日はちょっと用事があるからさ。また今度ね!」
リタは、慌てて笑顔を張り付けると、アレクに向かって両手を合わせた。アレクは頭は悪いが、憎めない奴だ。今日でなければ、やぶさかでもないのだが。
「あーはいはい、分かったよ。忘れんなよ?」
アレクは、渋々ながらリタの言葉に頷いた。いつの間にか、隣に来ていたキリカが、そんな二人に笑顔を向ける。
「ご機嫌よう、殿下。それからリタも。……今日
一瞬だが、周囲の温度が数度下がった気がした。全くもってやましいことなど無いというのに、キリカの笑顔が非常に怖い。気のせいで無ければ、アレクは震えているようにも見える。
キリカとアレクは、表面上は婚約者同士の関係だ。その裏で、自分はキリカと恋人同士なのだという、非常に複雑な状況である。……これはまずい。周囲が表面だけを見れば、色々な憶測を呼ぶであろう。またモニカあたりが下らない勘繰りを始める前に撤退しなければならない。
「それじゃ、アレク! ま、また明日~」
「お、おう。また明日な」
リタは、無理矢理笑顔を作るとアレクに小さく手を振った。アレクも引き攣った笑みで、手を振り返している。そうしてリタは何か言いたげなキリカの背を押して歩き始めた。
「――――ごめんなさい。こういうの初めてだから、その……。少し、嫉妬してしまったの」
女子寮へと向かう途中、唐突にキリカがそう発した。繋いでいる手に力が入ったのが分かる。先程のやり取りの事を指しているのは明白であった。ここまでの道中、キリカは無言だったのだから。
「一応、聞いておきたいんだけどさ。どっちに?」
本当に情けないが、前世で童貞を完全に拗らせていたリタには、女の子の機微を読む能力など皆無だ。多少の期待は持っているが、勘違いしていたら恥ずかしすぎる。リタはおずおずと、キリカに聞き返した。
「ばか……。言わなくても分かるでしょう?」
隣を見れば、恥ずかし気に目を逸らすキリカの表情が目に入る。その耳の赤さに、リタは嬉しくなりつつ、繋いだ手を引き寄せた。思わず頬が緩む。
「ごめん。でも、キリカがそう思ってくれて、私は凄く嬉しい」
「もう」
照れているのか、ふくれているのか分からないが、そんなキリカも凄く可愛い。リタは、まだ外だというのに恥ずかしい事を発しようとした自分の口を気合で閉じて寮への道を急いだ。
女子寮に到着した二人は、売店で冷たく冷やされた果実水を購入すると、リタの部屋へと向かって歩く。お互いに、いつの間にか無言になってしまう。
正直に言えば、緊張していた。鼓動も、どんどん早くなっているのが分かる。繋いだ手に汗を掻いていないか、そんなことが心配になってしまう。
角部屋であるリタの部屋に近づくにつれ、他の生徒とすれ違うことも無くなる。確かに、キリカと触れ合う面積が増えつつあるのをリタは感じていた。
ああ、これは本気でヤバいな。
リタは、沸騰しそうになる頭を冷やそうと、天井を見上げてみるも何の効果も得られなかった。キリカも、どこか緊張した表情で床を見ている。きっと触れば熱をもっているであろうことがはっきり分かるほどに、首筋から耳まで真っ赤だ。
そうして二人は、部屋の扉の前に到着した。リタは、震えそうになる手で、何とか鍵を開けると部屋の扉を開く。そして、キリカの手を引いて部屋に入ると、扉が閉まり切るより早く彼女の唇に口づけた。
昼休みに約束していた続きだ。正直言えば、さっきからこのこと以外もう考えられなくなっていた。強く唇を重ねたリタは、そっとキリカの頬を撫でる。
「キリカが、可愛いからダメなんだよ? 君とキスしたくてたまらなかったんだ」
リタの言葉に、キリカは小さく頷いた。そして、キリカの手がリタの首筋をなぞった。
「ねえ、もっと……」
熱い吐息が、リタの顔にかかる。潤んだ真紅の瞳に映った自分も、同じ表情をしているに違いない。それがきっと、免罪符だった。
そのまま二人は、まだ玄関だという事も忘れて、時についばむように、時に貪るように唇を重ね合った。唾液と吐息が混ざり合っていく中で、確かにリタはキリカとの強い繋がりを感じていた。
(世界中の恋人たちは、こんな感覚を味わってたのか。……凄すぎる。もう、脳が溶けそう)
どれくらいの時間が経ったのかも最早分からない。少なくとも、売店で購入した果実水の容器にはびっしりと水滴がまとわりつき、中身もぬるくなるくらいの時間は経っていたであろう。
額を合わせながら、汗ばんだ身体を決して離さずに、二人は微笑みあっていた。荒い吐息も、痛いほどの鼓動を感じる心臓さえ心地よかった。願わくばキリカも、そうであって欲しいとリタは思う。
「なんか、おかしくなりそう。ちょっと怖いくらい」
そう言ってリタは笑う。それはまごうことなき本音であった。恋に溺れるとは、きっとこういうことを言うのかもしれない。
「恥ずかしいけれど、私もそう思うわ。……す、好きな人との、キスが、こんなに凄いだなんて、知らなかったから――――」
キリカの発した「好きな人」という言葉、それはある意味で魔法かもしれないとリタは思った。冷静な時の自分が聞けば、転げまわるかもしれないが、今ならどんな恥ずかしい台詞でも吐けそうだ。
だが、そんな言葉を発するより早く、気持ちを伝える手段を知っている。きっと、彼女も望んでくれるから。リタは、キリカを強く抱きしめると、もう何度目か分からないキスをした。
この時の二人には、完全にお互いのことしか頭に無かった。だから、普段であれば気付けたことにも気付かなかったのだ。
ガチャリ、とドアノブが回る音がして扉が開かれた。
「ただい……ま……?」
二人は、抱き合ったまま硬直する。突き刺さるエリスの呆れたような視線。沸騰するように、自分の顔が熱くなったのをリタは感じていた。きっとキリカだってそうだろう。
「あのさ、鍵くらい掛けたら? それから、別に玄関じゃなくても良くない?」
エリスの言葉に、何も返せずリタは俯いた。キリカは、今更慌てて身体を離すと身だしなみを整えている。完全に手遅れだが、言わぬが花という奴だろう。
そのまま、三人の間には気まずい沈黙が流れた。それを破ったのは、また別の人間であった。慌ただしい足音が近づいてきたかと思えば、乱暴に扉がノックされたのだ。
それに、リタが応えるより早く、扉が開かれた。そこに居たのは、息を切らせて汗を滲ませるラキであった。肩で息をしながら、その顔には深い後悔が刻まれている。尋常ではない様子に、一気にリタは体温が冷えていく感触を覚えた。
嫌な予感がする。
そして、息を整えながらラキが発した言葉に、その予感が正しかったことをリタは知った。
「はぁ、はぁ……。リタ、エリス、それから剣姫もいたか。聞いてくれ! ――――ユミアが刺された!」
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