アンバー、襲来 4

 赤面するアンバーを眺めながら、リタは少しずつ自分が彼女を一人の女の子として扱いつつあることに気付いていた。最早、ドラゴンとしての姿より、目の前のふくれっ面の幼女の姿が、リタにとってのアンバーとなりつつあったのだ。


 彼女を他の魔物などと一緒にすれば、また怒られるだろうが――――。

 竜種とは、ここまで干渉しても大丈夫な存在なんだろうか。こんなに、人間に馴染ませて大丈夫なんだろうか。それは、彼女の為になるのだろうか。ふとそんな思いがリタの脳裏を過った。


 一度そんな考えを抱いてしまえば、途端に思考が塗り潰されていく。

 我ながら、自分勝手も甚だしい。これまで、数えきれない程の魔物の命を奪ってきたというのに。アンバーだけを特別扱いしようとしている。彼女の為になるか? そんな考えは傲慢にもほどがある。


 人の姿をしているから?

 人の言葉を話すから?

 同じ食卓を囲んだから?


 違う。多分そうじゃない。

 私はいつも、自分勝手な決断をしてきたに過ぎない。


 魔獣――通常は魔力を持たない動物などが魔素などの影響で変異したもの――はまだしも、恐らく意志を持つであろう魔物も数えきれない程殺してきた。魔人騒動の際には、クリシェを襲撃しようとしていた魔人だって殺した。


 そんな私が、今は幸せな時間を享受しているのか――――。本当に、私は、ここに――――。


 リタは、ネガティブになる思考を追い出すように、大きく息を吐きだした。そろそろあの日だから、ちょっと沈んでしまっただけに違いない。


(まぁ、今更か。……大丈夫、私はまだ私のままだ。アンバーが何者であろうと、少なくとも本気で敵対しない限りは、こんな関係のままでいられたらいいな……) 


 いつしか、この命を賭けるべき戦場に立った時に、一瞬だって後悔しないように。

 精神が摩耗してしまった時に、こんな時間を思い出せるように。


 今はまだ、この陽だまりのような時間に、私は生きていたい。




 騒ぎ立てるアンバーを見ながらアンニュイな表情を浮かべるリタに、エリスが心配そうな声を掛けた。全く、情けない。頭を振って思考を追い出したリタは、エリスに微笑みを返すと立ち上がる。


 向かいの席では、完全にふくれてしまったアンバーをなだめようと、キリカがアンバーの赤髪を優しく撫でている。本当に、この場面だけ見れば姉妹のようだとリタは思う。だったら、こういうのはどうだろうか。


 リタは、アンバーに近寄ると小さく耳打ちをする。訝し気な顔をするアンバーに、少しだけ魔力を与えてなだめすかしつつ、キリカとエリスに聞こえない声量で続けた。


「う、うむ……? 分かったのじゃ」


 どうやら、アンバーも了承してくれたらしい。首を傾げつつも、小さく頷いた。後は、彼女の演技力に期待だが、竜種に人の感情を表現させるのは流石に難しいかもしれない。だが、これできっと、キリカの面白い顔が見れるはずだ。


 キリカとエリスは、顔を見合わせて苦笑いをしていた。どうせ、私が変なことを企んでいるとでも考えているのであろう。……正解だが、何となくスッキリしない。とはいえ、仕方が無い。


 そうしてアンバーは、キリカの手を握ると上目遣いでこう言った。


「ねえねえ、キリカおねーたま? おかしちょーだい?」


「ぷっ! ……ふふ、リタに仕込まれたのね? しょうがないわね」


 棒読み気味のアンバーの声に、キリカは小さく吹き出すと、手元にあった焼き菓子をアンバーに手渡した。アンバーめ、演技が下手過ぎるだろう。折角だからキリカにも、妹に甘えられる幸福を味合わせてやろうと思ったのに。ついでに、きっと慌てて赤面する可愛い顔が見れるだろうと期待してたのに。何だか、中途半端な結末になってしまった。不完全燃焼だ……。


「これでよかったかのう? 言われた通りやってみたが、別に面白くもなんともないのじゃ。とりあえず、魔力をくれるかの?」


「アンバー演技下手過ぎ……」


 リタは、溜息をつきながらアンバーに魔力を流す。やはり、竜種じゃダメだったか。ムカつくから、ちょっと強めに流しとこう。痺れたように痙攣するアンバーを余所に、リタは決意する。


(仕方が無い。アンバーに教えてやろう! 稀代の名女優たる私の完璧な演技を!!)


 リタは頭から煙を発しているアンバーに、「よく見ておいて」と言い残すと、寝室へ向かう。そしてリタは手早くフリル付きの可愛らしい服に着替えを済ませると、髪を頭の両側で結んだ。更に、両手からスチームを出しつつ、髪の毛を巻いていく。


「よし、これでどっからどう見てもお嬢様。一応、キリカもお嬢様だからね……。くふふふふ。久し振りの幼女ムーブ、とくと味わうがいい……!!」


 鏡に映る完璧な自分の姿に、リタは黒い笑みを漏らす。仕上げとばかりに、リタは魔術で周囲を輝かせる。七色の星屑が舞うような、何の意味も無い視覚効果魔術だ。そのまま、無邪気な笑顔を顔に張り付けると、勢いよく居間に飛び込んだ。


 キリカが、目を見開いているのが分かった。丁度、エリスも紅茶を口に含んだ状態で硬直している。アンバーは……お菓子に夢中で見ていないようだ。後でひっぱたく。


 リタは、そのままキリカに駆け寄ると、低い姿勢を維持したまま、まるで幼女が背伸びをして抱き着くような姿勢で彼女の両肩に触れた。


(姿勢よし、上目遣いよし、表情よし! これでも食らえ!!)


「キリカおねーたん、リタとあそんでくれる?」


 リタは、ほんのり頬を染めつつ、ちょこんと首を傾げた。我が父を攻め落とす際に、飽きる程練習した表情である。


「ガッ――――!」


 一瞬、キリカの物とは思えないような声が聞こえた気がした。合わせて、一瞬キリカが白目を剥いた気がしたが、キリカがそんな顔をするはずがない、見間違いだろう。


「ごっふ!!」


 むせかえる声に振り返れば、いつもは行儀のいいエリスが盛大に紅茶を噴き出している場面だった。それを正面から浴びたアンバーが熱い熱いと騒ぎ始め、手元の紅茶を更に零す。


(えぇ……。もしかして、大惨事……?)


 引き攣った笑みを浮かべながら視線を戻したリタの目に映ったのは、顔を真っ赤にしたキリカが、鼻を押さえながら勢いよく目を逸らす瞬間であった。


「これはまずいことになった……」


 リタは、恐らく間もなく訪れるであろう、お説教の時間を前に頭を抱えた。




「あー、その……。エリスさん? 大丈夫かしら?」


「うん、大丈夫……。キリカちゃんこそ、大丈夫?」


「ええ。私は姉妹とか居ないから、今まで知らなかったけれど、思ったよりクるわね」


 浴室では、鼻を押さえた二人が、アンバーをもう一度入浴させていた。尚、リタは椅子の上に正座をさせられたうえ、完全に縛られている。因みに、エリスからの逆らえない要求により、リタはエリスにも幼女ムーブで妹演技をする羽目になった。


「のう、ヌシら。さっきから妾の頭を五回くらい洗っておるのに気付いておるか……?」


 あまりにも頭を濡らされるのをアンバーが嫌がるため、アンバーはエリスの魔術で拘束され、キリカがシャワーをかけていた。だが、そんなアンバーの呟きは、二人の耳には入っていない。


「それにしても、あれね……。何か、変な感覚に目覚めそうだったわ」


「キリカちゃん……。実は、私も、ちょっと、ね? でも、お姉ちゃんには内緒だよ」


 そう言って、二人は照れた笑みを交わし合った。暫く、あの姿は封印するしか無いだろう。思いのほか、破壊力が高すぎたからだ。


「――――ぷはッ! 聞かんか! ――あ、っぷ! この! お、溺れる! 死ぬ!!」


「「あ、忘れてた」」


 重なる二人の声と、アンバーの抗議する声が浴室に響いた。



「人間怖い……怖いのじゃ……。あんなに自然体で竜種を殺そうとするとは……何なのじゃ……こやつらは……」


 浴室を出ても尚、アンバーは虚ろな目でブツブツと何かを呟いている。エリスとキリカが、服を着せながら謝るも、アンバーの機嫌が戻るまでには暫くの時間を要した。




 こうして、不思議な出会いを果たした三人とアンバーは、改めて縁を結ぶことになった。この出会いが、決して偶然ではないとリタが知るのは、きっとまだ先の話。


 ――――いつしか、彼女たちが広い世界へ羽ばたく時。

 少しだけ成長した赤茶色の翼が、大きな空へ誘うのかもしれない。

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