お土産は追跡術式

 セレスト皇国の首都がすっかり夜闇に包まれたころ、アルトリンヴル大聖堂の廊下を音もなく歩く男が居た。彼の名は、ジェイド・ナスタファ。大司祭に次ぐ地位を持ちながらも、彼が説法などを行うことは無い。表向きの地位としては司祭であるが、彼の存在意義は別にあった。


 ジェイドは、うっすらと明かりの灯る静かな廊下を進むと、とある部屋の前で足を止めた。そして入念に身だしなみを整えると、部屋の主人にだけ聞こえるような絶妙な力加減で扉をノックする。部屋の中から聞こえた、入室を許可する声に安堵しながらジェイドはその部屋へと足を踏み入れた。


 部屋の中には、フローラルな香りが漂っていた。きっとランプの燃料に香油でも混ぜ込んでいるのであろう。ジェイドはそんなことを思いながら、テーブルに広げた書物に向き合う美しい少女に跪いた。


「ジェイド・ナスタファ。只今、帰還いたしました」


「おかえり、ジェイド。首尾はどうだった?」


 部屋に響いたのは、澄んだ声色。何処か少年のような話し方ではあるが、これが彼女の普段の態度である。ジェイドは、目の前で微笑む聖女、ソフィアに深く頭を垂れる。


「依然として、彼の者に繋がる直接的な手掛かりは掴めておりません。しかし、興味深い人間は、数名発見いたしました。――――今夜は遅いですし、報告は明日にいたしましょうか?」


 ジェイドは、ソフィアを慮ってそう提案した。例え、見た目通りの年齢でないとしても、周囲はそう認識すまい。仮にも、聖職者である自分がこんな夜分に少女の部屋を訪ねていたとあっては、信徒たちにも示しがつかないだろう。


「いや、いいよ。それよりジェイド、面白いお土産を持って帰って来たね?」


 楽し気に笑うソフィアの声に、ジェイドは思わず首を傾げてしまう。確かに、彼女の好物は購入しているが、特に面白みも無い。だが、続くソフィアの言葉に、ジェイドは思わず硬直することになった。


「――――ジェイド。追跡術式が仕掛けられてる」


 ソフィアは、そう言うなり立ち上がると、少し冷たい指先をジェイドの首筋に這わせた。ふわりと、ソフィアの美しい髪の毛が浮き上がると、澄んだ硝子の鐘のような音が響く。そして、張り詰めた糸が切れるような感覚と共に、何かが弾けたのをジェイドは感じていた。


 ジェイドは、頭を床に擦り付けるほどに深く垂れると、謝罪の言葉を発した。


「……不覚を取りました。申し訳ございません!」


「いや、いいよ。面白いじゃないか! ジェイドに気付かれずに、術式を仕掛けられるなんて! しかも、三重構造で隠蔽が施してあるんだ! ボクにも分からない術式だ。全く術者の影が掴めやしない。素晴らしい! あぁ、たまらなくワクワクする。ジェイドの正体を知る人間かな? それとも、かな? あはははは!!」


 ソフィアは楽し気に笑っているが、ジェイドは苦虫を噛み潰したような顔で俯くしかなかった。一体誰が? 正直、誰かに恨まれる心当たりなど、数えきれない程ある。


 確かに、自分は表向きは統一教会の司教だ。例え追跡されようと、司教が大聖堂に出入りするなど至極当然の話だ。特に影響はない。


 だが、これが攻撃用の術式だったらどうなっていた? ここにはソフィアだって居るというのに。ジェイドは、あまりの自己嫌悪に吐き気を覚える。守るべき対象に守られるなど、自分はどれだけ矮小で惨めな存在なのだろうか、と。だが、そんなジェイドを意にも介さず、ソフィアは笑顔でジェイドにソファを勧めた。


 テーブルを挟んで、ジェイドはソフィアの正面に座った。小さなランプの明かりを浴びて妖しく輝くソフィアの両目と、同じ色の髪の毛はひどく魅惑的に感じられた。


 どうやら、ジェイドが訪ねるまで、ソフィアは最近編入した皇都の学園の宿題を進めていたようだ。思わずジェイドは、鼻で笑いそうになる。何も知らない人間たちが、滑稽で仕方が無かったのだ。


 だが、それでも――――。

 出来ることなら、目の前の彼女には、そんな普通の女の子としての生活を送って欲しかった。そのためなら、自分は何だって捧げられる。


 それが決して叶わないことを知っていたジェイドは、ただソフィアが楽し気に宿題を終わらせる姿を、眺めていることしか出来なかった。




「――――そう。ご苦労様」


 ソフィアは、ジェイドに対して優しく労うような笑みを見せた。ジェイドは今回、都市国家連合体およびグランヴィル王国の一部の教会を視察という名目で訪れながら、ソフィアの密命を受け情報収集にあたっていたのだ。


「勿体なきお言葉でございます、ソフィア様」


「それにしても……。ボクも気になるね、その三人」


 ソフィアの言葉が指しているのは、ジェイドが直接会話を交わした、王国出身だという三人の少女のことだ。その中の一人は、“黄金の剣姫”とも特徴が一致している。ジェイドが声を掛けたあの時、三人の男たちに囲まれながらも、一切の恐怖や緊張を覚えず、すぐに身体が動かせるように自然体で観察していた二人。それから、気配を感じさせずに、ジェイドの後方から近付いてきたオッドアイの少女。只者だと考える方が、無理な話である。


「あの年齢で、あそこまでの領域に至る人間が、三人も同時に居るのは到底偶然とは思えません。やはり、あの三人の誰かが術式を――――?」


「ううん、ジェイド。それは流石に早計じゃないかな? 例えばだけど、その三人の誰かが、例の姫君だと仮定すれば、あの彼が陰から見守っていてもおかしくはないだろう? ジェイドが気付かないくらいだし、ボクは術者が彼だったらいいなって心から思ってるよ!」


 ソフィアは、うっとりするような笑みを浮かべた。その瞳に灯る狂的な光に、ジェイドは複雑な感情を覚える。そんなジェイドの様子に気付いたのか、ソフィアはからかうような笑みを見せた。


「もしくは、彼に女装癖があったりしてね?」


 そう言って片目を閉じるソフィアに、ジェイドは首を振る。


「いいえ。歩く姿だけでも、骨格や筋肉の付き方で分かります。私が見た限り、その三人は確実に女性でした」


「冗談、知ってるよ! それから、ジェイドはボクのこともそんな目で見てるのかい?」


 自分を抱きしめるように両手を自身に回したソフィアに、ジェイドは思わず慌ててしまう。


「滅相もございません、ソフィア様! お戯れを……」


 ジェイドの謝罪に、ソフィアはからからと笑った。こうした表情は、とても天真爛漫で少女らしいとジェイドは思う。


 だが、ソフィアの笑顔は、そう長くは続かなかった。


「さて、可能性は高まったね。王立メルカヴァル魔導戦術学院、だっけ? 彼自身には無いけど、姫君の血は王国に縁がある。きっと光に吸い寄せられるように、集うはずさ。彼は必ず、姫君を見つける。そこに失敗など、有り得るはずがないからね! ジェイド、分かってると思うけど――――」


「はい、今度は失態などお見せいたしません。ひと先ず、決して足が付かないような連中を通して、軽く煽ってみます。目標が動けば良し、動かなくとも周辺の情報は得られます」


「うんうん、駄目なら今度のアレの時に、ボクが直接見るから気楽にね!」


 ジェイドの言葉に、ソフィアは満足そうに頷くと立ち上がった。そのまま、窓の方に近寄ると、大きく輝く二つの月に向かって囁く。


「さぁ、お手並み拝見といこうじゃないか、シンタロウ・オウミ?」





 王立メルカヴァル魔導戦術学院、女子寮――――。


 寮に備え付けられたテラスにて、白銀の長髪に美しいオッドアイの少女が、夜空を見上げて微笑んでいた。二つの月が照らす素肌は、神秘的な輝きを放っている。


 消灯時間を迎え、すっかりと静まり返った女子寮を背に、リタ・アステライトは呟く。


「へぇ、あの術式を解除できる術者がいるんだ。――――でも、残念だったね。術式は構造だよ」


 リタは、夜の空気を思い切り肺に取り込むと、ゆっくりと吐き出した。まだ寒くは無いが、もう夏の暑さを忘れつつある季節に、切なさを覚える。


 どうせなら、盗聴できるようにしとけば良かっただろうか。

 だが、欲をかいて失敗するのは避けたい。とりあえず、恐らく教会側であろう人間に、それなりの術者がいると分かっただけでも良しとしよう。


 とはいえ、向こうも知ったはずだ。誰かから、捕捉されているという事を。

 どちらにせよ、自分を探している相手だ。こちらから動くことも視野に、今後のことを考えなければ。


 うっすらと輝いていたリタの右眼は、すっかり元通りの深い真紅を取り戻す。リタは、静かに月夜に背を向けると、自室へと歩き始めた。

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