第三章:観測者の意志と聖女の思惑

アンバー、襲来 1

 王立メルカヴァル魔導戦術学院は、夏季休暇を終え、学院生たちは新学期を迎えていた。まだまだ夏の余韻を残しつつあるが、薄手の長袖の合服に変わった制服を纏い、リタは今日も学院生活を満喫していた。


 夏季休暇で大きく変わったことは、二つ。


 一つ目は、キリカに自分の気持ちを伝え、受け入れられたことだ。前世を入れても、これ程幸福で満たされた時間があるなんて初めて知った。


 物語の登場人物を、もう馬鹿に出来ないとも思う。あれからというもの、確かに視界は澄み渡り、綺麗だと感じていたこの世界が、更に鮮やかに思えたのだ。


 だが、夏季休暇の後半はキリカが忙しく、会う時間を作れなかった。だから、久し振りに会った最終日に多少いちゃついてしまったのは仕方が無かったことだと、リタは思う。思い返せば、かなり恥ずかしいが、エリスに苦言を呈されたのも、もう懐かしく感じる程だ。


 それでも普段は、普通の親友同士として、学内では振る舞っている。……多分、バレてはいないと信じたい。いつかは、せめてお互いの親くらいには打ち明けたいと願うが、まだそこまでは踏ん切りがつかなかった。少なくとも、この国の一般的な考えでは同性同士の恋愛などもっての外だったからだ。


 一応、お互いに貴族令嬢という立場もある。キリカに至っては公爵令嬢だ。さらに言えば、お互いに少なくない才能を持っている。王国の行く末を背負うような、優秀な血を後世に残すことを周囲から強く求められるのも仕方が無い。実際に、この世界は決して平和でも無ければ、人類が世界中を支配できている訳でもないからだ。


 本音を言えば、友人たちなどにも祝福されたいと思う。だが、それは流石に高望みが過ぎるという事は分かっていた。自分が、これ以上の幸せを望むことなどおこがましいのだ。だからせめて、キリカが笑ってくれるように、二人の未来を掴み取れるように、その為に生きたいと思う。



 そして二つ目は、女子寮の自分の部屋が大きく豪奢な部屋に変わり、ルームメイトが妹に変わったことだ。


 武闘大会の後、退学者が出たこともあり一年生であるリタ達の学年は、寮での部屋割りが変更されていた。そこにどんな意志が働いたのかは分からないが、姉妹の隣の部屋は、ラキとユミアの相部屋となっていた。これは素直に嬉しいことだとリタは思う。主に、妹がご立腹の際の緊急避難先として。


 そんなエリスだが、最近色々と様子がおかしい。時折、何かをノートに書き込んでは満足そうに頷いているが、決して内容を教えてくれない。そして、不気味なほどにリタを甘やかしてくる時があるのだ。それは構わないし、昔から色々なことは妹に丸投げしてきたが、本当にこれでいいのだろうか。そう思ってしまうのも事実。


 家事もスケジュール管理も全部、エリスがやってくれるのだ。それが当然だと思わないようにしないとはいけないと思う。


 とはいえ、エリスも望んでやっているらしいし、このままでもいいんじゃないだろうか。


 そうして結局リタは甘やかされて生きるのだ。

 それが将来、どんな結果を生むのか、知らないまま――――。




「……やっぱり、気のせいじゃないか」


 放課後を迎え、賑やかな笑い声に包まれる教室にて、リタは頭を抱えていた。リタはクラスでは、後方の窓際の席に座っている。さっきから、窓の方から視線を感じていた。どうにか気のせいだと思い込もうとしていたが、どうやら無理らしい。


 視線を向ければ、小汚い赤髪の幼女が窓に張り付き、何かを喚いているようだ。自称、誇り高き竜種、アンバーの人化した姿である。


 これでも王国一の学院だ。流石に防音も建て付けもしっかりしている。とはいえ、その異様な光景に、教室の視線が集まりつつあるのをリタは察していた。


「お姉ちゃん、もしかして……?」


 エリスの呆れたような声に、リタは肩をすくめた。放課後を迎え、一番にこちらに歩み寄ってきたキリカも、その様子を見て驚いている。


「うん、残念だけどあれがアンバーなんだ。……とりあえず、面倒なことになる前に捕まえて、寮の部屋に運ぼうかな」


 リタの声に、二人の少女は呆れたような笑みを返した。リタは苦笑いをしながら窓を開ける。途端に聞こえる幼女の声が響き、すえた臭いが鼻を突き刺した。


「ファーッハッハッハ! 久しいな、小娘! 一か月以上もおらんかったようじゃが、まあよかろう! 今日こそ妾が――――ん゛ン゛ーー!?」


(それにしても流石は竜種。絶対お風呂とか入ってない感じだよね……)


 窓を開けた途端に聞こえる、姦しい声を遮るようにアンバーの口を手で押さえると、そのままリタは窓から飛び出す。そして暴れるアンバーを魔術で拘束し、寮の自室へと担いで運ぶのであった。




 窓を全開にした自室にて、リタは顔を顰めているエリスとキリカに苦笑いを返す。床には、目を回して気絶しているアンバーが転がっていた。人化とは言っても、人間らしく振る舞うつもりが無いのか、知能が足りないのかは分からないが、せめて下着ぐらいは着用して欲しいものだ。


「で、なんでアンバーは気絶してるの?」


 エリスが引き攣った笑みで聞いてくる。毛皮の隙間から見えそうになる、色々なところを出来るだけ見ないようにしながらリタは肩をすくめた。


「襲ってきたから返り討ちにした」


「リタ……。最早、鬼畜の所業ね」


 キリカの引いたような顔に、リタは慌てて言い訳を始める。勿論、絵面的には幼女を虐待しているようにしか見えないのは分かっているが、アンバーはれっきとした竜種だ。しかも、先に攻撃を仕掛けてきたのはアンバーなのだ。


 どうやら人化していてもブレスは吐けるらしく、アンバーは部屋に付くなりブレスを放とうと魔力を口内でエネルギーに変換し大きく口を開けたのだ。買ったばかりの家具を駄目にされては困る。一応手加減はしたが、慌ててしまっていたのは間違いない。アンバーの顎にアッパーカットを叩き込んだのは良かったが、そのままアンバーは天井に顔面を強打、気絶し今に至る。


(とりあえず、部屋の内装を強化しといてよかった、うん)


「いや、流石に部屋でブレス吐かれたら困るじゃん? ね? 大体、二回も見逃してやったのに――――」


「まぁ、お姉ちゃんが恨まれてるのは当然として、どうするの?」


 色々と言いたいことはあったのだが、エリスに遮られてしまった。リタは唇を尖らせながら続ける。


「もう! 一応、あの結晶の事とか話そうかなって思ってるんだ。話が通じれば、だけど」


 リタは、以前アンバーから引っこ抜いたマグナタイト結晶の事を、若干気にしていた。価値が分かった途端に罪悪感が芽生えるなんて、我ながら現金なものだとは思うが、一応ちゃんとしておきたい。一部は売ってしまったし、一部はエリスのアクセサリーを輝かせているが、そこは勘弁してほしいとリタは思う。


「とりあえず、この子をお風呂にでも入れてあげない?」


 床に転がっている幼女を見るに見かねて、キリカはそんなことを口に出した。確かに、悪くない提案だが、部屋の風呂が臭くならないだろうか。リタの脳裏に、一瞬外の水場で丸洗いをするという案も浮かんだ。だが、今のアンバーの見た目は幼女だ。そんなことをすれば、完全に社会的に死ぬのは間違いない。


「仕方ないか……。エリス? 捨ててもいいタオルか、柔らかいブラシってあったっけ?」


 この時、リタには特に他意は無かった。自分が引き起こした結末であるし、さっさと面倒なことは終わらせようと思っていただけだ。だが――――


「……ねえ、お姉ちゃん? もしかしてアンバーの身体を洗うつもり? へぇ~、もしかしてお姉ちゃんって……」


 何かおかしい事を言っただろうか。エリスの笑顔が非常に怖い。リタは、後ずさりしながら首を傾げた。


「ねえ、リタ……? 少し、私とお話しが必要じゃないかしら? さっきからチラチラと、アンバーのどこを見ているのかしら、ね? まさかとは思うけど――――」


 そして、キリカさんも非常に怒っていらっしゃる。笑顔なのに、こめかみがぴくぴくしている。リタは、更に後ずさりをするも、背中に壁の感触を感じて怖気が走った。


「えっと、流石に私もそこまで終わってないというか、幼女は守備範囲外というか、ね? エリスもキリカも、一旦落ち着いて話さない?」


 だが、笑みを浮かべた二人が止まることは無い。追い詰められたリタに向かって、ゆっくりと近づいてくる。


(あ、これ完全にダメなパターンのやつだ)


「ねえ、待って!? 勘違い! 違う、違うから! 聞いて!? ……えっ、何!? やめっ――――」


 そうしてリタは、アンバーが風呂から上がるまで、目隠しをされた状態で椅子に縛り付けられることになった。

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