きっと世界で一番特別な夏
――――どれくらいそうしていただろうか。
熱い吐息と鼓動を整えながら、リタは自らの額をキリカの額に預ける。至近距離で見たって変わることの無い彼女の美しさには、最早感動を覚える程だ。
「……多分、色々大変だけどさ」
リタはしみじみと呟いた。キリカは立場もある。いつか、この関係が公になった時には、奇異の目で見られるだろう。もしかしたら、ノルエルタージュのように、蔑まれ、後ろ指をさされるのかもしれない。それでも、彼女は自分を選んでくれたのだ。
その事実だけで、何処までだって飛べる気がした。彼女が隣に居てくれるのなら、きっと何だって出来る。それが例え、この世界の神を葬ることであったとしても。
「いいのよ。貴方さえいれば」
キリカは、優しい声を発した。まだ熱っぽい吐息が、リタの顔をくすぐる。
「ありがとう、キリカ。前にも言ったけどさ、君だけは、私が必ず守りぬいて見せるよ。君が世界で一番幸せだったって、心からの笑顔でその命を終えるまで」
「うん。……貴方にも、そうであって欲しい。今度こそ……、幸せな、生き方を、して、欲しい……。それ、だけが……、私の望み」
キリカの掠れた声は、リタの心を温めてくれた。こんなにも、彼女が自分の事を想ってくれる。それが、どれだけ幸せな事か。キリカも、そう感じてくれているだろうか。
リタは、キリカの頬を流れた涙を、自らの頬で拭った。
「世界一素敵な君が、好きって言ってくれたんだ。それだけで、最高な人生に決まってるじゃん!」
リタはキリカに笑いかけた。キリカもやがて、花の咲いたような笑みを見せる。
「お願い、リタ。もう、貴方じゃなきゃ、駄目みたいだから。ずっと、ずっと――――」
真紅の両眼から溢れる涙を指の腹で拭うと、リタはキリカの唇を塞いだ。その先は、自分が言いたかったからだ。
「うん、キリカ。最初から、私たちは運命共同体だよ? だから、どっちかの命が、いつか尽きるまで――――私たちは二人でひとつだ」
誰かに笑われたっていい。誰からも認められなくていい。
君だけが、笑ってくれるなら。
私は、この道を歩いて行ける。
この生き方を、私自身に誇れる。
「さあ、キリカ? 踊ろう!」
リタはキリカの手を引いて夜空へと誘う。
「そこは、私と踊っていただけますか? じゃないかしら?」
肩をすくめつつ涙声で笑うキリカも楽しそうだ。
「いいからいいから!」
作法なんて必要ない。音楽もいらない。
こんな贅沢なダンスホールを貸切って、君と踊れるんだから。
そうして二人は、時間を忘れて、誰もいない夜空を回り舞う。
いつの日か、輝く魔素の煌めきに彩られたこの空のように、ひとつに――――。きっと、二人はそんな願いを抱いていたのかもしれなかった。
リタとキリカが部屋に戻ったのは、深夜の事であった。あまり遅くならないうちに部屋に戻っていたエリスは、二人を笑顔で出迎えた。二人の様子を見て、大体の事情を察したエリスはただ「おめでとう」と告げたのであった。
その言葉の意味を理解した二人があたふたする様は非常に滑稽だった。
(ちゃんと、伝えられたんだね。良かったね、お姉ちゃん? それから、キリカちゃんも。素直に受け入れられたようで良かった)
キリカは家の事情もあるし、抱え込んでしまうタイプの性格だ。本音を隠して、姉の幸せの為に拒絶するかもしれないと危惧していたが、杞憂に終わったようだ。
姉の幸せそうな顔を見ているだけで、満たされた気分になる。エリスにとっては、それが一番大事なことであった。
だから、そう、それはとても良かったとは思う。思うけれど――――。
「もう……リタ? エリスさんが見ているわ?」
「いいじゃん。……キリカは嫌なの?」
「い、嫌な訳……ないじゃない……」
(うわぁ……! きっつ!)
目の前で、顔を赤らめながらべったりとくっついている二人を見ながら、エリスは大きく溜息をついた。さっきからずっとこの調子だ。
(けしかけたのは自分だけど……。これは、ちょっと……)
エリスはげんなりした顔で、もう冷めてしまった紅茶を一気に煽る。これが本当に、あのキリカなのか? エリスは目の前の光景が信じられなかった。蕩けたような視線で、姉の首筋に顔を埋めている。……羨ましいし、正直ムカつく。そこは私の特等席だったのに。
それにしても姉も姉だ。妹の目の前で何をしているのか。身内がいちゃついてるのを見るのがこんなにキツイとは思わなかった。最早、嫉妬を通り越して怒りしか覚えない。
「ねえキリカ? 今夜は、一緒に――――」
「……ダメよ。それは、まだ……、早い、かなって」
(何なのこの人たち!? 私の気も知らないで――――って、それは自業自得だけど……。この短時間で、ここまで変わるとはね……)
エリスは必死に怒りを抑え込みながら、土産用の硬い菓子を取り出して噛み砕く。こうでもしていないと、平静を保てそうに無かった。
「ふふふ……! もうちょっとだけ、我慢しといてあげる……!」
青筋を浮かべながら笑うエリスの呟きなど、耳に入っていないであろう二人の周囲には、花畑が広がっているように感じた。だが、万が一学院でもあの調子だと色々マズい。流石に自重してくれると信じたいが。
このままだと、あの二人は朝まで続けるに違いない。エリスは意を決して、手を叩く。
「はいはい、二人とも? 明日は朝早いんだからもう寝るよ?」
何か言いたそうにしている二人を、エリスは視線で黙らせると続ける。
「……今日は、私が真ん中のベッド。キリカちゃんとお姉ちゃんは、それぞれ両端ね」
「エリスぅ~。私は――――」
唇を尖らせる姉も可愛いが、これ以上はこっちの精神が耐えられそうにない。エリスは、リタの言葉を遮って、笑顔を向けた。
「文句あるの?」
「無いです」
怯えたような顔で頷いた姉に、エリスは視線で着替えを促す。そそくさと部屋着に着替えを始めるリタとキリカは小声で何かを話している。
「……二人とも? 聞こえてるから」
エリスの声に、肩を震わせた二人は、誤魔化すような笑みを浮かべてそれぞれのベッドに入っていった。その様子を確認したエリスは、部屋の照明を落とすと昨夜まではリタが使っていたベッドに潜り込む。シーツは交換されているが、どこか姉の匂いがした気がした。
それにしても、先が思いやられる――――。
よっぽど疲れていたのか、両隣からはすぐに寝息が聞こえてきた。エリスはただ、真っ暗な天井を眺めながら、これからどうしようかと深いため息をついた。
迎えた翌朝。
リタは、昨夜のことが夢で無かったことを確認し、幸せな朝を迎えた。早朝だが、外はすっかり明るい。エリスが窓を開けてくれていたようで、爽やかな夏の空気をリタは胸いっぱいに吸い込んだ。
(昨夜、私は遂にキリカと――。それはいい、というか、それは最高なんだけど……。やっちゃったな、私たち……。恥ずかしすぎてエリスと目を合わせられない!)
昨夜は、色々ありすぎてタガが外れていたとしか言いようがない。エリスの前で、キリカといちゃついていたことを思い出し、起き抜けだというのにリタは悶絶してしまう。それはキリカも同じようで、枕に顔を埋めて唸っている。
「あのさ、二人とも? 一番きつかったの私なんだけど?」
エリスはジト目でこちらを見ている。それはもう、すまないとしか言いようがない。エリスは呆れたように肩をすくめると、リタを見て不敵に笑った。
「……次は、私の番だから。――――覚悟しといてね?」
エリスの呟きは、窓の外で囀る鳥たちの声に搔き消され、リタの耳には届かなかった。
(もう何年も前だけど、エリスのあんな顔を何処かで――――)
リタの脳裏に、いつしか泡沫の夢のように消えた記憶の残滓が過る。だが、リタはどうしてもそれを思い出すことが出来なかった。
そうして三人の初めての旅は終わりを告げた。
あの日の予感は正しかったと、帰りの飛竜の客室の中でリタは思う。どうしたって、今年の夏は忘れられそうにない。そして、夏休みはまだ続くのだ。きっと更に思い出は増えるだろう。その先の新学期だって、楽しいに違いない。
こんな日々がいつまでも続くように。
その為に、私は戦う。
思わず力が入りそうになるリタの左手に、キリカの手が触れた。隣を見れば、静かに頷いている。
反対側でぶすっとしているエリスの頭を右手で撫でながら、リタはそっとキリカの手を握り返した――――。
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