告白

 ツァイルンへの旅行の三日目と四日目は瞬く間に過ぎて行った。心配事はあるにせよ、この時間を楽しまないなんて選択肢は彼女たちには無かったのだ。


 三日目は、ツァイルンでは割と有名らしい美容のお店に行った。所謂エステというやつだ。南国のような内装の建物では、不思議な香りのする香がたかれており、内容も含めて満足度の高い体験であった。


 残念ながら、リタは魔力のせいもあってか肌の手入れや骨格の矯正は全く効果は無かったのだが、自慢の長髪が更に艶を増した気がする。尚、キリカは肩のコリをほぐすと言われているマッサージを受けていたが、あまりの痛みに悶絶し涙目になっていた。


 四日目の午前中は、エリスの希望で色々な歴史的な建造物を見学し、午後は多少綺麗になったビーチでのんびりと過ごした。ビーチで寛げるまでには紆余曲折あったのだが、それに関してはあまり思い出したくないリタであった。


(結局水着の出番は無かったな~。ま、来年使えばいいいかな? ……いや、来年も同じ水着がフィットした時はちょっとショックかも)


 リタにとっての最大の難関である入浴に関しては、完全に無になることでどうにかなった。その時の他二人の表情を鑑みるに、どうにかなっていない気もするが、今更であろう。



 そうして迎えた五日目の夜のこと。リタは夕食を終えて寛ぎながら、キリカを連れ出すタイミングを計りかねていた。明日の朝には王都へ向けて出発する予定だ。キリカと約束したのは、今夜の事である。


(緊張で何も考えられない……)


 そんなリタの心情を知ってか知らずか、キリカがおずおずと口を開いた。


「今日は本当に疲れたわね」


 キリカは少し疲労の残る顔で笑った。気だるそうに、お土産用に購入したはずの果物を固めたお菓子を齧っている。


「本当。お姉ちゃんはどうして何回も迷子になるかな?」


 エリスも少しジトっとした目でこちらを見ながら、紅茶のカップを傾けている。


「しょうがないじゃん! あの迷子の子をほっとけなかったんだから!」


 リタは苦笑いで答える。今日は、街中で泣いている男の子を発見し、流れで両親を探すことになったのだ。結局のところ、冒険者組合を通じて解決することになったのだが、いつの間にか二人とはぐれたリタの方向音痴が炸裂し非常に時間が掛かってしまったのであった。


「ほっとけないのは分かるけどさ、自分が迷子って――」


「ふふ」


 エリスの呆れたような声に、キリカの笑い声が重なる。リタはただ赤面しつつ俯くしかなかった。魔法でも使えば良かったのだが、何だか使ったら負けな気がして意地を張った結果がこれである。


 リタはとりあえず、キリカに声を掛けるタイミングをどうしようかと思いながら、机の上に広げた菓子に手を付けた。




 エリスは、挙動不審な姉と、その様子につられるようにそわそわしているキリカを見ながら、内心で溜息をついた。相変わらず、こういう方面では分かりやすすぎる。


(お姉ちゃんは、本当に戦うこと以外はポンコツだし……。そこが、可愛い所でもあるんだけどね)


 とはいえ、そんな様子を見せられるこっちの気持ちも考えて欲しいものだ。


「ちょっと、最後の夜だし散歩でも行ってくるよ」


 エリスは、姉にアイコンタクトをしながら立ち上がった。上辺だけの心配する声もかかったが、元より遠くまで出歩くつもりなど無いのだ。肩をすくめつつ、薄めの上着を羽織ったエリスは部屋を出た。


『お姉ちゃん、頑張ってね』


 エリスはリタに念話を送る。


『なななな何のこと!?』


 途端に返ってきた、慌てるような声に思わず笑みを漏らした。エリスは特にそれに返事をせずにゆっくりと歩く。そうしてエリスは宿を出ると、まだ賑やかさを残す街の広場へと繰り出していった。


 今は、静かな場所になどいたくなかった。特に目的地などない。近くの広場で、星でも眺めていよう。エリスの溜息は街の喧騒に溶けて行った。




 リタは、意を決してキリカに声を掛けた。ツァイルンに来た初日の夜に約束した通り、彼女に伝える決意を固めたのだ。


 だが、大事な場面で戻ってきたエリスと鉢合わせするのも恥ずかしい。何だかエリスは勘付いているような気もするが、今はいいだろう。リタは高鳴る鼓動を必死に抑え込み、キリカの手を握る。そうして彼女たちは、ツァイルンの遥か上空へと転移した。


 ただ、静寂と時折風が吹く音が周囲を満たしていた。眼下に広がる大海の潮騒も、ここまでは聞こえなかった。遥かまで続く水平線を輝かせる星々の光は、いつにも増して綺麗に思える。


 リタは手を繋いだまま、正面からキリカの顔を見た。月明りを浴びて柔らかい光を放つ金髪は、後ろで纏められており、髪束が風になびく。キリカはじっとこちらを見ている。星明りに照らされ、青白く見える素肌ではあるが、星々を浮かべた透き通る両目と相まって、神秘的な美しさを放っていた。


「それで? 話って何?」


 キリカの声で、リタは我に返った。彼女に見とれていて、肝心な事を忘れていたのだ。


「キリカ、大事な話があるんだ。聞いて欲しい」


 自分の鼓動がうるさすぎて、リタはちゃんと言葉を発しているかさえ分からなかった。だが、確かにキリカは頷いた。どことなく、緊張しているような面持ちであった。


「あのさ……、その……。もしかしたら君は、こんな事を言う私の事を、軽蔑するかもしれない。だけど、やっぱり、あの……。後悔、したく、ないから。例えば、君に拒絶されるとしても、言わなきゃって、お、思ったんだ。だから、もし、君が嫌だったら全然……いいん、だけど」


 言葉を発しながら、リタは自分で自分を殴りたくなった。


(クソッ! 自分が傷つかないための前置き並べ立てるなんて、ダサすぎるだろ私! キリカの前でカッコ悪い真似するな! しっかりしろ! 後悔しないって決めただろうが!)


「――――ごめん、キリカ。今のは無し」


 右手を繋いだまま、リタは思い切り左の拳で自分の頬を殴りつけた。キリカは驚いた顔をしているが、それは今はどうでもいい。


 目を見開き、膝に力を籠める。そうすれば、身体の奥底から覚悟が湧いてくる。君がくれた人生で、後悔するような生き方をしてたまるか。


 例え届かなくたって構わない。

 私が約束を果たすことには違いは無い。


 だって君は、世界一可愛くて素敵な女の子なんだ。

 好きになるに決まってるじゃんか。

 私には勿体ないって、そりゃそうだろう。そんなのは嫌というほど分かってる。


 だからって、もう誤魔化し続けることなんて出来ないよ。

 この気持ちを隠して君と接していくなんて、出来る訳がないじゃないか。


 私は絶対に、君にだけは、本気で向き合うと決めてたんだから。


 リタは大きく息を吸うと、目の前にいる世界で一番大切で、大好きな女の子に告げた。


「キリカ! 君が好きだ――――!」



 風が凪ぎ、星空が固唾を飲んだかのような静寂が二人を包み込んだ。


 キリカの真紅の瞳に浮かんだ星々が、瞬くように揺れ動く。もう、鼓動の音さえ聞こえなくなっていた。ただ、キリカの濡れたように艶やかな唇が言葉を発するのを待つ。


 そうして、キリカが浮かべたのは泣き笑いのような表情であった。


 頬を伝う涙が意味するのは何だろうか。煌めく雫が、夜空に滴るまでの時間に、リタの脳内にはキリカとのいくつもの思い出が過っていた。


「ありがとう、リタ。……本当はね、私なんかが貴方と、とかまだ考えてしまうの。でも、やっぱり、――――私も、貴方の事が、好き」


 それは、今にも消えそうな声だった。


 うっすらと開かれた唇から、震えるように紡ぎ出された言葉をリタは確かに聞いた。だが、この方面での人生経験が圧倒的に足りてないリタは、キリカの言葉の意味を計りかねていた。


「キリカ。私が言ってるのは、その……。親友とかそういう意味じゃなくて――――」


 不意に近くで香ったのは、懐かしく暖かなキリカの匂いであった。暖かく、柔らかな感触が頬に触れている。


 キリカの顔がゆっくりと離れる。ほんのり湿った頬の感覚を確認し、リタは思わず左手で頬に触れる。


「私のは、こういう意味よ」


 ポカンと固まってしまうリタに、キリカは気恥ずかしそうに告げた。だが、その顔は徐々に悪戯っぽい笑みに変わっていく。


「いつかの仕返しよ」


 キリカの言葉に、リタは何の反応も出来ずにいた。こんなことがあっていいのだろうか。これは本当に現実なのだろうか。


 リタは目の前で微笑む少女から目が離せなかった。その姿は神々しいまでに美しく、間違いなく自分は彼女に全てを捧げるために生まれてきたのだと強く認識させられた。


 そして、先ほど自分に触れていたであろう薄桃色の唇に視線が吸い寄せられる。これが夢だとしても、ここで終わらせるわけにはいかない。


「キリカ――――。だったら、そっちじゃ嫌だ」


 そうしてリタはキリカの唇に、自らの唇を押し当てた。その感触は期待通り暖かく、柔らかかった。きっと今頃キリカは目を白黒させているであろう。強張る彼女の身体に手を回し、抱き寄せる。


 少しずつ、キリカの身体から力が抜けていく。リタはゆっくりと顔を離す。暗くても分かるほどキリカの顔は赤かった。自分だってそうだろう。吐息の混じり合う距離で、見つめ合う。


 キリカは少し呆然としながら、右手の指で唇を撫でている。そんな彼女が、どうしようもなく愛おしかった。今更存在を主張し始めた心臓に静かにしろと告げるも、言う事を聞いてくれそうにない。


 リタは、そっとキリカの頬に手を添えた。キリカははっとした顔で、唇を撫でていた右手を下げる。もう一度、ゆっくりと顔を近づければ、キリカは察したように潤んだ瞳を閉じた。そしてリタは、先ほどよりも優しく、唇を重ねた。


 今は、もう何も考えられそうにない。

 この世界に、二人きり。そんな気分であった。


 そうして息が苦しくなるほどの長い口づけを交わした二人は、どちらともなく笑い合う。リタが見上げた先にあった満点の星空に、一筋の光が流れる。


「流れ星」


 キリカも見ていたのだろう、小さく呟いた。彼女の温もりを腕の中に感じながら、リタは続ける。


「きっと、祝福してくれてるんだよ。……流石にクサかったかな?」


「いいえ、私もそう思うわ」


 はにかむキリカの顔が、どうしようもなく可愛くて、リタは少し無理やりだが勢いよくキスをしようとした。


「キリカ――――」


 だが、勢い余って歯をぶつけてしまった。前世で童貞を拗らせたツケが回ってきたのかもしれない。恥ずかしさに顔から火が出そうだ。


「もう……」


 今度はキリカが優しくリタの頬に手を触れる。


 どちらともなく、唇を重ね合う。何度も、角度を変えながら柔らかな唇をついばむと、リタはキリカの唇を舌で押し開いた。キリカの身体が一瞬驚いたように強張るも、すぐに彼女も舌を絡めてくる。


「はぁ……はぁ……。んむっ――! リタ……、ん――――」


「キ、リカ――――ッ、くぁ……」


 時折漏れるくぐもった熱い吐息と、小さな水音だけが夜空に響く。ほんのり甘い彼女の雫を飲み下し、ただキリカの体温に溺れていく。


 上空は多少涼しいが、抱き合っていれば汗ばむのは仕方が無い。お互いの体温により上気した肌からは、むせかえるような甘い香りがした。


 そして二人は、何度も、何度も、唇を重ねた。それはまるで、長い年月の空白を埋めていくような、そんな時間だったのかもしれない。

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