水平線は遥か 4

「くぅぅぅぅ! あのイカ野郎め!」


 海辺を離れて、繁華街を歩きながらリタは悔しそうに地団駄を踏んでいる。よっぽど海で遊びたかったんだろうな、とエリスは思いながらその隣を歩く。イカというのはどうやら、姉が前世暮らしていた世界に存在していた食用生物らしい。


 ほとんど王国の続きのようなものだが、それでも初めての外国への旅行だ。姉の願いを叶えてあげたい気持ちもあるが、こうして一緒に歩くだけでも十分に満たされた気持ちになる。


(お姉ちゃんが何か行動を起こすと、面倒なことになるからね……。折角の旅行だし)


「あー、魚介も美味しいけど、もう肉が食べたい」


 リタはそんな事を言いながら周囲を見渡している。観光客向けなのだろう、至る所に出店が軒を連ね、食欲をそそる香りを漂わせている。とはいえ、先ほど朝食を済ませたばかりだ。昼食にはまだ早い。


「まだ二日目よ?」


 キリカは、リタの方を見ながら笑う。今日も三人はリタを中心に、両側にキリカとエリスという形で歩いていた。やっぱり、こう並ぶのがしっくり来るのだ。そんなエリスから見ても眩しい笑顔を見せるキリカに、リタは微かに頬を染めながら目を逸らす。その様子に、微笑ましいものを感じつつも何処か悔しくなったエリスは、リタの右腕を抱くように身体を密着させた。


「もう。暑いよ~、エリス。――――あ! お肉のパイ生地包みだって! 買っていい!?」


 美味しそうな商品を並べている出店を視界に入れ、目を輝かせているリタの表情に、エリスも自然と笑顔になる。エリスは、銅貨を取り出すとリタに手渡した。


「一個だけだよ?」


 エリスの言葉に一個じゃ足りないよと文句を言いつつも、そそくさと出店の行列に並ぶリタ。真っ白なワンピースに、同じく白の帽子。日差しを浴びて眩しく輝く銀髪と、白い素肌に注目が集まらない訳が無い。


 リタは、後ろに並んだ幼い女の子から何かを話し掛けられたようで、はにかんだ笑みを見せていた。きっと容姿か服装でも褒められたのであろう。それからこちらをリタが指さすと、その女の子は驚いた顔で笑っている。エリスは小さく手を振った。


 王都では若干有名人であるキリカも、ツァイルンでは特に誰かに話し掛けられることも無い。普段よりリラックスした様子である。エリスはそんなキリカと、傍にあったベンチに腰掛けてリタが戻ってくるのを待つ。


 そうして和やかに談笑する二人の下に、いくつかの影が落ちた。日差しを遮った存在に視線を向ければ、どうやら若い男性三人組のようだ。そのうちの一人、いかにも軟派そうな男が下品な笑みを顔に張り付けつつ口を開いた。


「やあ、君たち二人かい? こんなに可愛い子は見たことないよ! 良かったら――――」


 開口一番に、エリスとキリカの容姿を褒めたたえたかと思えば、一緒に遊びに行かないかと誘う。観光地ではよくある光景である。


 キリカが何かを言おうとするのを、エリスは視線で制した。こういう手合いの対処は、はっきり言ってキリカと姉よりは自分の方が向いているだろう。


 だが、エリスが声を発するより早く、割り込む声があった。


「そこの三人組? レディ達が困っているじゃありませんか」


 声を発したのは、三人組の男たちの後ろに立つ、黒髪を肩まで伸ばした長身の男であった。本人は、柔和な雰囲気を醸し出しているつもりなのかもしれない。恐らく多くの人々の目には、柔らかい物腰の美青年として映るであろう。だが、エリスとキリカは気付いていた。その男が、間違いなく只者ではないということに。


 エリスはリタに視線を向ける。リタはこちらを向かずに頷いた。


「何だァ? てめェ」


 三人組の一人が声を荒げようとするも、黒髪の男がその男の肩に触れると途端に怯えたように震え出す。他の二人は、その様子に顔を見合わせていた。


「私はジェイドと申します。通りすがりの聖職者ですよ」


 そう言って、黒髪の男は慇懃に腰を折った。恐らく、彼の言葉は本当であろう。ジェイドと名乗った男の纏う服には確かに、統一教会のシンボルが描かれている。


(三本ライン入りのシンボル!? 中枢の人間が、どうしてこんな所に――――?)


 エリスは、出来る限り感情を表に出さないように、その男を観察する。少なくとも、統一教会の中ではある程度の地位を持つ人物のはずだ。それは胸に描かれているシンボルの種類から読み取ることができる。


 本当に只の通りすがりであればいいし、特に関りを持つことが無ければ構わない。だが、姉も言っていたように統一教会は彼女たちにとっては敵となる可能性が存在する組織だ。とにかく、目立たないに越したことはない。


『キリカちゃん?』


『分かってる。私は黙っておくからお願いね』


 時折ポンコツな面を見せるキリカであるが、基本的には聡明だ。エリスの念話に対して、キリカは全く動かずに返事を返した。自分の演技力の無さを把握しているようで安堵する。


 ジェイドが一歩踏み出せば、気圧されるように男たちが道を空ける。先程ジェイドに触れられた男が、尻餅をついたのを合図に三人は逃げるように散っていった。その様子を見て頷いたジェイドは、満足そうに頷くと、エリス達に笑顔を向けた。


「ありがとうございます」


 エリスは可能な限り、年頃の女の子が浮かべるであろう安堵の笑みを見せつつ、ジェイドに礼を告げる。ジェイドは、そんなエリスに柔和な笑みを向けているが、その目は決して笑っていなかった。


「いえいえ、聖職者として見過ごすわけにもいきませんから。――――お二人には、必要が無いとしても、ね」


「そんなことはありませんよ? 怖くて動けなかったので助かりました」


 エリスは、そう言ってジェイドに頭を下げた。ジェイドはエリスの言葉に笑みを深めている。その顔からは感情は読み取れなかった。


「ところで、お二人はこの辺りのご出身でしょうか?」


「いえ、グランヴィル王国です。ツァイルンには観光で」


 ジェイドの問い掛けに、エリスは正直に答えた。キリカは、一部では名の知れた存在である。余計な勘繰りをさせる糸口を相手に与える訳にはいかない。


「そうでしたか! それはそれは、邪魔をしてはいけませんね」


「とんでもありません。助けていただきありがとうございました」


 ジェイドの言葉に、エリスは改めて頭を下げた。キリカも横でそれに続く。


「そうそう、ここで出会えたのも何かの縁。最後にひとつだけ、聞きたいのですが……お二人の周りに、異常な程の魔力や才能を持つ少年は居ませんか? 十三歳くらいの少年です」


「それなりの才能を持つ人は何人も見たことがありますが、異常な程というのには心当たりがありません。誰か、人探しを?」


 エリスは、ジェイドの言葉に嫌な予感を覚えつつ聞き返す。ジェイドは、エリスの言葉に目を細めた。


「ええ。少しばかり、おとぎ話の登場人物に用がありまして……。探しているんですよ――――、名無しの魔法詠唱者殿の生まれ変わりを、ね」

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