水平線は遥か 1

 いい加減移動時間に嫌気が差して来た頃、リタの脳内にコールが鳴り響いた。マルクティ商会からの通信だ。周囲は既に真っ暗だ。こんな時間に向こうからの通信は珍しいなと思いながら、リタはそのコールに応える。


「はい、どうされました?」


「夜分に申し訳ございません、リタお嬢様。お耳に入れておきたいことが」


 慌てたようなパウロの声に、リタは気を引き締める。まさか、新商品の件で何かトラブルでも起きたのだろうか。そんなリタの様子に、キリカとエリスは顔を見合わせている。だが、続く言葉は、リタを驚かせるに十分であった。


「セレスト皇国とエルファスティア共和連合を中心に、長距離通信を可能にするという魔道具が急に広まっているようでございます。勿論、我々が提供したことも無ければ、これの存在は秘匿しておりますが――――」


 パウロの言葉に、リタは思わず息を吞んだ。


(……魔道具に関しては、商品化で先を越されたのはどうでもいいけど、どういう技術を使ってるのかは気になる。今の王国の技術水準では、絶対に無理だと思うんだけどな。外国は違うのか、もしくは一から理論を構築できる程の天才が居るのか。一応、暗号化技術を再検討しておかないとまずいかな)


「……成程。商会のことは、信頼しておりますので大丈夫ですよ。それよりパウロさん、私も解析したいので一組手に入れることは出来ますか?」


 リタは出来る限り平静を装ってそう返した。パウロとは商売に関してのやり取りの他に、普段から情報収集も頼んでいる。一応、新しい商機にいち早く気付くためだと言い訳しているが、彼が本当にそれを信じてくれているかは不明だ。


「勿論でございます。必ず、手に入れてみせましょう。それから、こちらも丁度入った情報ですが、セレスト皇国で先月、聖女が降臨したとの話でございます。話によればお嬢様と同い年だとか。また、直接的な関係があるかは不明ですが、セレスト皇国と統一教会が何かをしようとしているのは間違い無いかと。商人仲間にも聞いておりますが、貴重な魔導金属などの取引量が急に増えていると――――」


「分かりました。後日伺いますので、詳しい情報を集めておいていただけると助かります」


 手短に会話を済ませたリタは、鞄から菓子と果実水を取り出す。考え事に甘いものは必需品なのだ。


(私とキリカが再会を果たしたタイミングで、聖女が降臨する……。それは、流石に考え過ぎだよね?)


 恐らく、これから急速に世界は変わっていくであろう。何だか、嫌な予感がする。せめてそれが、誰かの意志で無い事を祈るばかりだ。


 それにしても、統一教会か――――。

 もう一人のキリカが言うように、私たちの行く先に女神の存在が関わってくるのならば、仮想敵として考えておかなければならない。


 折角の旅行だが、幸いにも今は時間がある。リタは早速、遮音の結界を張ると、二人に情報を共有した。二人はリタの言葉に、神妙な顔で頷いた。言葉の意味をすぐに理解してくれるのはありがたい。そしてリタはすぐさま、長距離通信用の術式の改良に取り組むのであった。




「お姉ちゃん、よくそれ食べられるね?」


「本当ね……」


 リタは、エリスとキリカから引き攣った笑顔を向けられていた。三人がツァイルンに到着したのは、翌日の昼であった。宿の予約だけ最優先で済ませた後、早速腹ごしらえにと入った食堂にて出された料理は、二人にとっては受け入れづらいものであったようだ。


「見た目はアレだけど、結構美味しいよ?」


 リタは、濃いめのソースで和えられた、タコともイカともつかない謎の魔物肉を口一杯に頬張る。コリっとした食感と、噛めば噛むほどしみ出す旨味が合わさって中々美味い。若干臭みはあるが、それを中和するためのソースなのであろう。


(そう言えば前世でも、タコとか食べない国の人がいるって聞いたことあるしね。ま、確かに初見じゃエグイ見た目だけど)


 エリスとキリカは、魚を煮込んだ料理を上品に食べ進めている。食堂は、昼時とあってとても賑わっていた。美しい容姿の三人の少女に注目が集まるのはいつもの事であるが、それ以上に大皿に盛られた魔物肉を豪快に食べ進めるリタが視線の中心であったが、彼女がそれに気付くことは無かった。


 食事を終えた三人は、ツァイルンの街を歩く。異国情緒あふれる通りの佇まいに、リタのテンションは上がりっぱなしだ。急峻な崖に沿うように建てられた色とりどりの建物と、青い海のコントラストは言うまでも無く美しい。また、通りを歩くだけでも王国とは違う匂いが鼻をくすぐり、元々海運と交易で栄えたこともあってか、時に色々な建築様式が混ざり合い独特の空気感を形成していた。


「お姉ちゃん、ここで一番有名な観光地って大聖堂だけど行ってみる?」


「うーん、教会はちょっと……」


 別に教会そのものに恨みがある訳ではない。慈善学校では世話になったし、手伝いもしていた。孤児院出身のユミアとだって仲良くやっている。それでも、タイミング的にも、特に外国の教会となると、少し気が引けてしまうリタであった。


「いいじゃない、時間あるんだから。それに、私達なら大丈夫よ。行きましょう!」


 だが、キリカは行く気満々のようだ。リタの左腕に、右腕を絡ませてキリカは進んでいく。


「はいはい、行きますかね」


「全く、キリカちゃんには甘いんだから。――――キリカちゃん? 大聖堂はそっちじゃないよ」


 そんなことを言いながら、エリスもリタの右腕に腕を絡ませる。そうなれば、もうリタはただ笑顔で歩くしかない。


(まぁでも、三人ならきっと楽しいかもね)


「ちょっと二人とも、あそこの出店の串買うから待って!!」


 リタは鼻腔をくすぐる香りに、足を止めようとするも、両側の二人は止まらなかった。


「リタ? 流石に食べ過ぎよ?」


「お姉ちゃん、太るよ?」


 そうしてリタは、華奢な割にパワフルな二人の少女に石畳を引きずられるように、大聖堂へと向かっていった。




 大聖堂は、これまでにリタが見たことが無い不思議な雰囲気を醸し出していた。エリス曰く、過去に交易のあった諸外国の文化が入り混じっているという。大理石で建造された建物であるが、所々に朱色で幾何学模様や壁画が描かれており、普段は全く興味の無いリタでさえそのロマンを感じたほどだ。


 回廊や祭壇も大理石の装飾が細部にまで施されている。交易の拠点だったからだろうか、人口の割に大聖堂はかなり凝った造りのようだ。もしくは、当時から続く統一教会の影響の大きさだろうか。


 静謐な空気が満たす祭壇にて、大した信心も無く祈りを捧げたリタはキリカに問いかける。


「そう言えばさ、キリカの名前の“ルナリア”って洗礼名だよね?」


 リタの纏っている微妙な空気を感じたのだろう。キリカは、リタの不安を払拭するように笑顔で話した。


「ええ、そうよ。先代の当主、私のお爺様が以前教会の修道士に助けられたことがあってね。それから我が家では教会の洗礼を受けるようにしているのよ。でも安心して? 別に私は信心深い教徒って訳じゃないから」


「そう、だね。一応安心した。そう言えば、キリカのお爺さんって屋敷に暮らしてないよね? あ、ごめん……」


「ううん、そうじゃないの。先代の方、お父様の父君は元気よ。元気すぎるくらいにね。今は隠居と言いつつ、世界中をお婆様と旅して回ってるわ。お母様の両親は、早くに亡くなってしまったらしいけれど」


 何処か遠くを見るような目で話すキリカに、リタはどう話を続けていいか分からなかった。前世でも、今生でも、祖父母には縁が無い人生だったからだ。


 そんな二人の微妙な空気感を察してか、エリスが明るい声で大通りの観光を提案してくれた。今では一大観光地となったツァイルンだ。大通りには食料品店やお土産屋をはじめとした多くの店が軒を連ねている。見て歩くだけで、最高に楽しいはずだ。


「それじゃ、行こうか!」


 今度はリタが、二人の少女の手を取って歩き始めた。まだまだ、この旅は始まったばかりだ。何日あったって、街の全てを回るのは難しいだろうが、彼女たちとならどこへ行っても楽しいだろう。両親へのお土産も忘れないようにしなくてはならない。




 大聖堂の外に出たリタに、夏の容赦ない日差しが燦然と降り注いだ。王国よりも数段強い日差しを、帽子で遮りながら、リタは海を見る。上空からも見たが、ここからの景色も格別だ。


 ツァイルンは時に崖の街とも称される。聖堂は街の中央あたりにあるため、下方に目を向ければ海や街並みが一望できるのだ。思わず目を奪われたリタは立ち止まる。


(こんなに綺麗な海見るの、初めてだな)


 日差しを受けて輝く水面と、白い波。何処までも透き通る空と、海が交わる水平線を眺めながらリタは改めて、誰かとこの景色を共有できることの幸せをただ噛みしめていた。

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