待ちわびた夏へ 3

「さ、流石は俺の娘たち、だな……」


 横から聞こえる師匠クロードの声に、ミハイルも苦笑いで頷いた。目の前では、三人の少女たちが入り乱れながらまるで剣舞のように美しく、それでいてあまりに速く苛烈に斬り結んでいた。


 リタが帰省して二日目の早朝のことである。早朝とはいえ、身体を動かせば普通に汗を掻く程度には気温は上がっている。


 ミハイルとラルゴは、二人がかりでクロードに模擬戦を挑むも簡単にあしらわれてしまった。ミハイルの気のせいで無ければ、自分も努力をしている筈なのに、クロードは更に強くなっているようにも感じた。


 そうしてミハイルとラルゴにクロードが指導している間、いつの間にか始まった女性陣の模擬戦に視線を奪われ今に至るのである。


「ええ、流石としか言いようがありません、師匠。あの“黄金の剣姫”を剣で圧倒できる同年代なんて、僕は見たことがありませんよ」


 ミハイルは、心からの感嘆を言葉にした。目の前では、リタが一人でキリカとエリスの剣をさばいている。お互いにまだまだ本気では無いのであろう。それでも、二人同時に相手に出来る時点で、その力量は言うまでも無い。


「相変わらず常識外れだな、アイツら――――って、師匠!? そう言う意味じゃないですって! ちょっと剣仕舞ってください!!」


 隣でラルゴが呟いた言葉に、頷かなくて良かったと思いながらミハイルは立ち上がる。何だか、目の前の光景を見ていると剣が振りたくて仕方なくなってきたのだ。


 無言で剣を振るミハイルにつられるようにラルゴも立ち上がり、剣を握る。相変わらず、負けず嫌いな男だ。ミハイルはそう思いながらも、ラルゴがそういう男で良かったとも思う。だからこそ、自分だって投げ出さずに続けてこれたのだ。


「その意気だ、お前たち。少なくとも、娘たちより強い男にしか嫁にやらんぞ」


 腕組みをしたクロードが、ニヤニヤしながらそんな言葉を二人に投げた。ミハイルは黙って頷く。最初から届くなんて思っていない。それでも、だ。だからと言って進むことを止めるような男にだけはなりたくなかった。


「それってアイツら、一生結婚できないんじゃ……」


 ラルゴの呆れたような声が、隣から聞こえる。


「一向に構わんッ!!」


 クロードは真面目な顔で強く頷いた。いや、そうじゃないだろう。そんな思いは、心の中に仕舞って、ミハイルはただひたすらに剣を振り続けた。




「――――今、何て言った?」


 引き攣った顔のクロードに苦笑いしつつ、リタは繰り返す。クリシェに帰省して五日目の夕食時間のことである。


「だからー。私たちは、明日の朝、ツァイルンに向けて出発するからって言ったの! キリカのスケジュールもあるし、移動時間もかなりかかるからさ」


「いやいやいや、まだ五日目だろ? な? こっちに帰ってくるのも、飛竜を手配したから、まだ大丈夫じゃないか?」


 引き下がる父親にリタは肩をすくめる。今回の旅行は時間との勝負なのだ。前世で言うところの「時は金なり」であろう。クリシェからツァイルンまでは、丸一日以上の飛行時間がかかる。こういう時に、多少お金に余裕があって良かったと思う。


 クリシェに到着して二日目と三日目は、クロードに頼み込み、冒険者として活動した。組合より、そこそこ報酬の高い討伐依頼を、三人とクロードで受けてこなし、報酬を得ている。


 一応、先輩方の反感を買わないよう、面倒で誰もやりたがらない系統の依頼を選んでこなした。登録したばかりの三人であるが、高位冒険者と同行であれば、それなりの依頼を受託することは可能だ。


 クリシェには現在、付近に拠点を構えている高位冒険者は居ない。場合によってはクロード自ら討伐に赴くくらいだ。溜まっていた面倒な依頼が片付いて、職員に感謝される程であった。


 クロードは、姉妹が家を出てからというもの、空き時間にはひたすらトレーニングを重ねていると聞いている。いつの間にか、冒険者資格も再発行し、執務の合間を縫って駆け出し冒険者達をしごいているらしい。本人曰く、実戦感覚が鈍らないように、とのことだ。


(でも、きっと寂しいんだろうな……)


 リタはそんな父親に、若干の罪悪感を覚えるが、あまり計画を狂わせる訳にはいかない。


「あのさ、私とエリスは旅行終わったらまた帰省するって言ってるでしょ? それに流石にキリカも何日もウチで過ごすのは気を遣うだろうし。もう次の飛竜も予約してるんだよ? ――――大体、父さんだって仕事が溜まってるくせに!」


 そんなリタとクロードの会話を、リィナはにこやかに見守っている。エリスは特に興味を持つことも無く、キリカと談笑している。


(何だか、我が家の食卓にキリカが馴染んでるのって、いいな)


 リタはそんな光景に胸を熱くしつつ、父親のグラスに高い酒を注ぐ。成長した愛娘のお酌に、機嫌を良くするクロードの表情に、リタは勝利を確信したのであった。




 クリシェに帰省して、六日目の朝。姉妹とキリカはツァイルンに向かう飛竜の籠に乗り込んでいた。今回は一頭立てだ。帰省の際に使用したものより、手狭になるのは仕方が無い。若干、公爵令嬢が乗るにはふさわしく無いかもしれないが、学生の旅行という事を考えれば、贅沢過ぎるくらいだろう。


(ついに、私達だけの旅が始まるのか。楽しみだなー。夏休みって最高!)


 リタは今生で初めて迎える、本当の友人との旅行に、胸を高鳴らせていた。


 乗り込んだ籠は新しくはないが、最低限は客室の体を成している。内部の環境は魔術でどうにでもなるから問題は無い筈だ。


 最後まで引き留めようとするクロードの頭を思い切りフライパンで殴るリィナの姿に、キリカが完全に引いていた気がするが、気のせいだろう。その後、「この両親にして――」とキリカが何かを呟いていた気がするが、それも気のせいに違いない。


 見送りにきた両親に手を振って、三人は海洋都市国家ツァイルンに向けて旅立った。




 ツァイルンは、急峻な海岸に面して築かれた都市である。現在は主に海産と観光を主な産業とする、人口三千人程度の美しい都市だ。一応独立した海洋国家であり、数百年前はその複雑な地形により外敵の侵入を防ぎ、強盛を誇ったらしい。


 空の旅を彩る、エリスの蘊蓄とキリカの補足に耳を傾けながらリタはひたすら菓子を貪る。リィナが持たせてくれた手作りの甘い焼き菓子だ。素朴ではあるが、変わらぬ母の味もまた、リタの心を明るくした。


「リタ? 貴方、まだ食べるの?」


 向かいの座席から、キリカの呆れたような視線が突き刺さる。何だか、いつもキリカに呆れられていないだろうか。リタは、そんなことを思いながらも、笑顔で返す。


「キリカもまだ食べる? はい」


 リィナは、リタの食欲を良く知っている。恐らく、他の人間が見ればそれだけで胃がもたれそうな量を準備してくれていた。二人に多少分けたところで、まだまだ沢山あるのだ。


「いえ、遠慮しておくわ」


 だが、キリカは引き攣った笑みでそう返した。美味しいと言っていた筈だが、もうお腹いっぱいなのだろうか。


「エリスは?」


「私も、もうお腹いっぱい」


 リタは、そんな二人に肩をすくめつつ、更に口に運ぶ。もっと色々食べないと成長しないよ、と言おうと思ったが、結果が目に見えている。口に出さなかった自分を褒めたい。


(あれ? 私って結構普段から、沢山食べてるけど……。いや、数年後に差が出るはず……)


 差が出るのが、お腹だったらどうしようと思いながら、リタはもう三枚だけ口に放り込んで残りの菓子を仕舞うのであった。

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