待ちわびた夏へ 2
一行がクリシェの街へと飛び立った翌日。
昼下がりの居室では、リタとキリカが肩を寄せ合って寝息を立てていた。
ミハイルはそんな二人の寝顔に気付くと、何処か罪悪感のようなものを感じ目を逸らす。昨日は二人とも、あまり眠れなかったと話していたのだ。だが、どうしてか何度目を逸らそうと、視線が吸い寄せられた。窓から射しこむ日の光に照らされた二人の少女。その金銀の髪は、美しく輝いている。
普段はどちらも意志の強そうな目をしているが、しっかりと閉じられた瞼からは睫毛の長さが伺えた。まるで神自らが作ったのではないかと思える造形の顔は、神聖さを感じるくらいに美しい。だが、そこに落ちた前髪が無防備さと少女性を強調しているようにも思えた。
リタ・アステライトという少女は、彼にとって幼馴染であり、憧れであり、特別であった。ミハイルは慈善学校には通っていなかったが、よく稽古の前後に遊んだものだ。昔から変わった面白い女の子だった。そしてそれは今も変わらない。誰よりも強く、真っすぐな意志を持っている。だが、それと同時にいつか儚い夢のように目の前から消えてしまうのでは無いかという感覚をミハイルは覚えていた。
ふと視線を感じて斜め前に視線を向ければ、エリスが悪戯っぽい目でこちらを見ている。敗北を悟ったミハイルは、どうか
「お姉ちゃん、キリカちゃん、そろそろ起きて?」
エリスの声に、リタはぼんやりと瞼を開いた。どうやら、かなりの時間眠っていたようだ。昨夜はあんなに緊張していたというのに、キリカの肩に頭を預けて寝ていたことに気付き苦笑いを漏らす。向かいの座席のラルゴは、口をあんぐりと開け、間抜けな寝顔を晒している。後でエリスに、あんな顔をしていなかったかどうか聞かなければならない。
窓の外を見れば、飛竜は徐々に降下しているようで、懐かしいクリシェの街が見えた。リタは伸びをして身体をほぐすと、隣で恥ずかしそうに前髪を整えているキリカに笑いかけた。
まだ十分に外が明るい時間帯に、一行はクリシェの街へと到着した。勿論、街中に降りることは難しいため、街の外の開けた場所だ。そこには、いつから待っていたのかは知らないが、クロードとラルゴの両親が待っていた。既に、王都へと引っ越しているミハイルは暫く宿を拠点にするらしい。
「おかえり、二人とも!! それから、ようこそキリカ嬢」
クロードは満面の笑みで両手を広げていた。胸に飛び込んで来いというつもりかもしれない。だがはっきり言って割と頻繁に帰省しているし、流石に恥ずかしい。リタは笑顔の父に荷物を押し付けると、先に行くと告げてキリカとエリスの手を取って歩き始めた。
そんな娘たちとその友人の様子に、クロードは複雑な気持ちになりつつも、ミハイルを手招きして呼び寄せる。ミハイルは丁寧なお辞儀をしながら、明るい声を発した。
「師匠、ご無沙汰しております。今年の夏も、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「おう、ミハイル。久しぶりだな。とりあえず、そんなことより、だな? ――――うちの娘たちに、手を出したりしてないよな?」
「ええ、勿論。僕には、師匠の許可なくそんなことをする度胸はありませんよ」
若干苦笑い気味でそう答えたミハイルにクロードは胸を撫でおろす。ラルゴは両親と共に実家に帰るだろうし、話すのは後日でいいだろう。
「そうか。宿まで送ろう。色々、普段の娘たちの様子とか聞かせてもらいたいこともあるしな」
「えっと、僕は先輩で普段の様子と言われましても――――」
クロードは笑顔でミハイルを黙らせると、引き攣った笑顔のミハイルを尋問しながら、宿への道を歩くのであった。
リタは実家の前で若干の感慨深さを感じていた。普段の帰省は転移だった彼女にとって、門を潜るのは久しぶりだったのだ。庭は変わらず綺麗に整えられているようで安心する。
そうして玄関を潜った三人を笑顔のリィナが出迎えてくれた。リィナはリタとキリカの事情を知っていることもあってか、姉妹の次にキリカも抱きしめていた。キリカの恥ずかしそうに頬を染めつつも、何処か嬉しそうな表情は、少し可笑しかった。
公爵家の令嬢とはいえ、立場的には公爵本人ではないキリカである。子爵本人であるクロードよりは下の立場となる。実際、この辺りの上下関係は複雑らしいのだが、キリカの願いもありリィナは友人の母として接することに決めたようだ。
(そうは言っても母さん、馴れ馴れしすぎでは……? でも、キリカはお母さんを亡くしてるし、嫌がってる風には見えないからいいのかな?)
そうして案内されたリビングには、リィナが腕によりをかけて準備したのであろう多くの料理が準備されている。漂う香りに、思わず空腹を覚えたリタであったがリィナに促され、先に入浴を済ませることにした。
入浴と聞いて思わずギョッとしてしまうリタであったが、家の風呂は大きくない。当然の如く別々に入ることになり、胸を撫でおろす。湯上りのキリカの髪を纏めた艶やかな姿に、思わずドキリとする場面もあったが、どうにかリタは平静を保ったまま、夕食にありつくことが出来たのであった。
高い酒を飲み、上機嫌のクロードがキリカに失礼な事を言わないか冷や冷やする場面もあったが、今夜は和やかで楽しい時間であった。風呂も食事も、正直キリカの家で味わったものとは比べることもおこがましいものではあったが、きっとキリカも楽しんでくれたに違いない。
「――――いいご両親ね」
しみじみとした顔で、キリカがそう呟く。夕食を済ませた三人は、姉妹の部屋でピロートークに勤しんでいた。
キリカは昔、父親に前世の記憶について話したことがあるが、あまり信じて貰えず、結局今もちゃんと話していないという。もしかしたら、全てを話したうえで、理解してくれているリタの両親に何か思うところがあったのかもしれない。
「そうだね、私もそう思うよ」
リタは、自分が使っていたベッドで寛ぐキリカに笑顔で答えた。姉妹の部屋にはベッドは二つしかない。どう使うか迷うリタであったが、よくよく考えれば答えは一つしかなかった。キリカがリタのベッドで、姉妹がエリスのベッドである。
「そういえば、リタ? 旅行先の港町って、都市国家連合体のツァイルンだったわよね?」
「うん。ラキの故郷のボレアスの近くだよ」
都市国家連合体は、その名の如くいくつかの独立した統治を実施している都市や、小国の集合体である。リゾートとまではいかないが、王国と同盟関係にあり――実際には殆ど属国に近い――旅行先としては割とメジャーな場所である。
ツァイルン自体は、崖の斜面に色とりどりの住宅が並び、異国情緒あふれる街だとラキから聞いている。そして、一部に美しいビーチがあるらしい。
(海水浴場なんて整備されている訳も無いから、変な魔物とか出なければいいんだけど)
「宿は決まってるいるのかしら?」
「うーん、一応エリスが何個か候補を調べてくれてるけどね」
電話などが無い世界だ。今回は、詳しい人間に心当たりも無かったため、王立図書館でエリスが情報を集めてくれていた。有名な観光地だからこそ可能なことであり、普通の旅は行き当たりばったりになる。
そんなエリスは、リタの隣でロゼッタから出された夏休みの宿題らしい、分厚い魔導書を読みふけっていた。休暇だというのに、真面目なことだ。リタの視線に気付いたのか、本から顔を上げたエリスが言葉を発する。
「お姉ちゃん、あんまり夜更かしすると、明日起きれないよ?」
明日は早朝から、久々にクロードと剣を交える予定である。とはいえ、今日は夕方まで寝ていたせいか、あまり眠くない。
「はいはい、分かってますよだ」
唇を尖らせるリタに、キリカ柔らかな微笑みを向けている。ゆったりとした、姉妹とお揃いの夏用の寝間着を着ている彼女の姿に、リタは嬉しくなった。
(ああ、やっぱりカメラとか欲しいな。こんな瞬間を、沢山残していきたい)
リタは改めて、マルクティ商会に情報収集を依頼しようと心に決めつつ、部屋の照明を落とす。
移動に疲れていたのか、三人の寝息が部屋を満たすまで、それほどの時間は掛からなかった。
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