待ちわびた夏へ 1

 夏季休暇を迎えて五日目。リタは実家への帰省の朝を迎えていた。


 この日の朝は妹の部屋で迎えた。既に二日目にルームメイトのラキは帰省していたからだ。彼女の地元はどうやら王国の南にある都市国家連合体のひとつらしい。


 昨日までの四日間は、クラスメイトと歌劇を観覧したり、闘技場を観覧したりと遊んで過ごした。前世では叶わなかった友人たちの時間はとても有意義だったと言えるだろう。


 惜しむらくは、学院の校則で闘技場に参戦出来なかったことだろう。とはいえ、流行りの出店で購入した甘い菓子を片手に、他愛も無い話をしながら友人たちと同じ時間を過ごすだけでリタにとっては十分に贅沢な時間だった。


 尚、アレクとモニカは案の定補習を受けている。

 補習組の二人から、抗議の視線を向けられることになったリタは、憤慨しつつもあまりの優越感に笑いが止まらなかった。


 外の気温はかなり高いものの、特製の下着のおかげか分からないが、室内では快適に過ごせている。だが、流石に強すぎる日差しは堪える。湿気が無いことは救いだが、帽子は手放せない季節だ。


 寝ぼけ眼を擦りながらも、父親からの催促にもいい加減うんざりしていたことを思い出したリタは、さっさと準備を済ませようと立ち上がってテーブルについた。


「おはよう、お姉ちゃん」


 エリスの声に、リタは意識して普段通りの挨拶を返す。


「おはよう、エリス」


 今日もばっちりと髪を梳いて、小綺麗な私服に身を包んだエリスの笑顔が眩しい。色々と考えないといけないことはある。それでもせめて、この夏くらいは、親友と妹と過ごす夏でも大丈夫だろう。


(私たちが、どう変わっていくにせよ、ね……)


 リタはそんな事を考えながら、エリスの準備してくれた朝食に手を付ける。小麦の香りのするパンを齧れば、パリッと焼けたクラストの香ばしさが広がる。噛みしめれば、ほんのり甘くふっくらとしたクラムが香り立つ。


 仕上げに、冷たく冷やされた果実水で喉を潤したリタは、出発の準備へと取り掛かるのであった。




「お姉ちゃん、ちゃんと冒険者証は持った?」


「勿論! 折角登録したからね」


 二人は、夏季休暇に入りすっかり静かになった女子寮を後にして、校門の方へ歩いていた。つい先日、キリカも十三歳になったこともあり、三人は冒険者登録をしていた。


 王国内は、学院の在籍証明書が身分証代わりになるが、今回の旅行では国境を越える予定だったからだ。とはいえ、同盟を結んでいる都市国家連合体のひとつに行くつもりであった彼女たちには、必須というほどのものでは無かったが、今後役に立つこともあると見越しての事だった。


 因みに、旅行先はラキの故郷ともほど近い、とある港町を予定していた。何故なら、リタの脳内では夏休みと言えば海で海水浴しか思い浮かばなかったからだ。尚、王国には海水浴の習慣は無い。勿論水着も特注だ。


「折角私がパーティー名考えたのに」


 そう言いながらリタは溜息を漏らす。登録の際に、三人一組でパーティー登録もしたのだ。これにより、報酬面において冒険者組合の仲介を受ける際や、万が一メンバーが死傷した際の後処理などにも役に立つ。とはいえ、現時点でそれが必要になる場面は思い浮かばないが、気分だ。


「まだ言ってる……」


 そんなリタの声に、エリスは面倒くさそうに返事を返した。リタの提案したパーティー名が悉く不採用になった為、登録した日の夜、リタは盛大に不貞腐れていたのだ。


 結局のところ、ちゃんとしたパーティー名は決まっていない。そもそも、高位の冒険者でもない限りパーティー名が必要になる場面など少ない。それでも、駆け出しの冒険者パーティーであろうと、殆どが名前を付けるのは、自らの命を預ける場所だという意識があるからだろう。


 校門では既に二人の男子生徒が待っていた。周囲の注目を集めるプラチナブロンドの美少年ミハイルと、精悍な顔つきで金髪を短く刈り上げたラルゴだ。言うまでもなく、姉妹の幼馴染であるが、最近また一段と身長差が開いた気がする。


 この二人も、もっと強ければさぞかしモテただろうに、とリタは見当違いなことを考えながら校門へと駆け出した。




 いつも通り、美辞麗句で姉妹の私服を褒めたたえるミハイルと、それに対して苦言を呈すラルゴの睨み合いを見ながら、四人は校門前に迎えに来た馬車に乗り込んだ。馬車は貴族街のシャルロスヴェイン邸でキリカを拾うと、そのまま王都郊外まで走った。


 そうして、広々とした空き地に停められた馬車から、五人は降りる。目の前には、立派な体躯の飛竜が二頭と、最低限の居住性はありそうな馬車の居室部分だけを切り取ったような籠がある。


 今回の帰省は飛竜を予定していたが、五人乗りとなると規模が大きくなるのだ。飛竜もかなり体格のいい個体の二頭立てとなり、とても王都の市街地から飛び立つことが出来ない。費用もかなり嵩むのだが、一刻も早く姉妹に会いたがっていたクロードと、シャルロスヴェイン家から有難いご融資があったのだ。とはいえ、男子二人も一応お金は出している。勿論、リタとエリスも言わずもがなである。


 本音を言えば、リタには転移という手段が最初に頭を過っていた。だが、流石に有名人のキリカが居る以上は、それぞれの街や国境で記録を残していた方がいい。それに加え、子供だけでの初めての旅行だ。移動時間もきっと思い出に残るだろう。


「狭そうね」


 隣で贅沢な事を言っているキリカの脇腹を肘でつつきながら、リタはまあまあと宥める。馬車に比べれば、移動時間は大した時間でも無い。


 それに、どんな場所だって彼女が隣にいてくれるなら、リタには十分すぎるほどだ。今回は、更に可愛い妹と、腐れ縁の幼馴染だっているのだ。楽しいに決まっている。


「お、中々鍛えてるじゃん!」


 リタは、率先して飛竜の籠に馬車から荷物を移している男子二人に声を掛ける。出会った時は、あんなに頼りない虚弱体質モヤシっ子だった二人も、中々の成長を見せている。今回もそれぞれ大荷物だが、軽々と持ち上げ、足取りもしっかりとしていた。


「あたぼうよ!」


 分厚い胸板を叩きながら、歯を見せて笑うラルゴと、肩をすくめながら「まだまだだけどね」と爽やかに続けるミハイルも楽しそうだ。汗ばむ二人に、エリスが魔術で冷やしたタオルを手渡している。流石は我が妹、女子力が高すぎる。


 それに比べて……。日傘を差し、一歩も動く気の無いキリカはいつも通りだ。恐らく普段から使用人が荷物は運ぶのだろう。そしてリタ自身も、見ているだけには違いない。


「あの飛竜、戦ったらどれくらい強いのかしら?」


 キリカは飛竜を眺めながら、そんなことを呟いている。色々と諦めたリタはキリカと共に、御者にお金を支払うとさっさと籠に乗り込むことにしたのであった。




 それから少し経って、飛び立った二頭の飛竜にしっかりと固定された籠というには大きい居室の中で、五人は思い思いの時間を過ごしていた。


 今回は籠が大きいこともあってか、一日半程度の空の旅となるようだ。明日の夕方には到着できるだろう。年頃の男女が、夜を明かすことにはなるが、この居室は二つに区切れるようになっている。


 リタは女性陣の貞操を守るために一応結界を張ろうかと考えているが、恐らく不要であろう。いくら幼馴染二人がお年頃であろうとも、それくらいの理性はあるはずだ。


(まぁ、そんなことより、私がキリカの隣で眠れるかどうかが問題なんだけどね……)


 リタは隣に座るキリカから香る仄かな甘い匂いを意識しないようにしながら、外の景色に視線を向けた。


 居室内は、穏やかな笑顔に満たされる空間であった。キリカも、姉妹に気を遣ってくれたのか、男子二人ともにこやかに会話を交わしている。


 初めて飛竜を使うというラルゴは、デカい図体に見合わず外の景色に目を輝かせていた。ミハイルは、そんなラルゴに蘊蓄を披露しつつ、魔術の修行がてら室内の温度を一定に保っている。エリスは器用にポットを魔術で加熱し、人数分の紅茶を準備しているようだ。


 すっかり小さくなった王都の街を見下ろして、キリカが呟いた「高い所が苦手になりそう」という言葉に、思わずリタが謝罪する場面もあったが、至って平和な旅路であった。



 ――そうして迎えたその日の夜、リタは案の定一睡も出来なかった。

 その時、キリカも実は寝たふりをしていただけなのだが、一人悶々としているリタがそれに気付くことは無かった。

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