変わりつつあるもの

 リタは恐る恐る部屋の隅に転がされている幼女に近づいて行く。どれだけ風呂に入っていないのだろうか、かなり臭う。そんな中に、焦げ臭さも感じれば、案の定焼け焦げた毛皮を身に着けているようだ。


 それにしても何者だろうか。はっきり言えば全く心当たりがない。だが、何処かで感じたことのある魔力波長であるのも事実。後ろから突き刺さるロゼッタの視線を無視しつつ、リタは幼女の目隠しをゆっくり外した。


 こちらを強い視線で睨みつける琥珀色の瞳。どこか爬虫類を思わせる少し縦長の光彩にも若干の既視感を感じる。リタは首を傾げる。


(うーん。私には獣人の知り合いとか殆ど居ないんだけどな)


「えっと、誰?」


 思わずリタの口からそんな本音が漏れる。目の前の幼女が何かを言いたそうにしていることを察したリタは、猿轡を外す。口元からは鋭い犬歯が覗いており、やっぱり種類は分からないが獣人かそのハーフあたりだろうかとリタは予想する。


「ぷはぁ~。死ぬかと思ったのじゃ! 人族とはげに恐ろしや! のう、ヌシ。リタとか言ったかのう? スマンのじゃが、この縄を解いてくれぬか?」


 幼女の発した言葉は、どこか老婆のようでもあり可笑しかった。だが、その顔が露わになってもリタは目の前の幼女の正体に思い当たるところが無かった。まだ、手足を縛る縄を解くことは出来ない。どうやら、魔術で強化された縄で縛られているようで、そう簡単に抜け出すことは出来ないだろう。


「それはまだ出来ないよ、ごめんね。君の名前、聞かせてくれる?」


 リタの言葉に、幼女は何処か恥ずかし気に目を逸らすと、小さく呟いた。


「妾は……ア、アンバーじゃ」


「うん? アンバーって知り合いは……、えっと、マジ? あの時の!?」


 リタは思わず何度も瞬きをしてしまう。言われてみれば、その瞳はあの時のドラゴンのものに見えたし、魔力波長もそうなのかもしれない。


 それにしても、まさか人化出来たとは――――。思ったより位階の高い竜種なのだろうか。それにしては、弱かった気がするが。


「う、うむ。そうじゃ! ヌシを、その……殺しに来たのじゃっ!!」


 こちらを睨みつけて放たれたその言葉に、リタは肩をすくめると、ロゼッタの方を振り返る。


「ちょっと、この幼女を躾けて来ますので、今日はこの辺りで失礼しても?」


「それは構わんが……。貴様、先ほど我の事を散々変態だの何だの罵ってくれたが、何か言うことがあるのでは無いか?」


「えっと、それはすいません。でも、誤解されることをする先生も悪いのかな~って思いません? 思いませんね、ハイ。あはは……」


 リタはロゼッタの微動だにしない鋭い視線から、目を逸らすとアンバーと名乗った異臭を放つ幼女を肩に抱えた。アンバーは抗議するように、身をよじっている。


「おいヌシ! 何をするのじゃ! 妾は誇り高き――――」


「では、先生! また明日!」


 リタはアンバーが余計な事を言う前に退散を決めた。夜中に抜け出して竜狩りに行っていたなど言われては、校則違反で罰則があるかもしれない。


 そうしてリタは苦笑いをしているロゼッタから逃げるように学院長室を後にした。とりあえず、折角お礼参りに来てくれたのだ。楽しませて貰おうじゃないか。


 そうしてリタは、目撃者たちにギョッとした視線を向けられながらも、笑顔で学院の敷地外に走っていくのであった。




 騒々しい少女と、恐らく人化した竜種であろう幼女を見送ったロゼッタは大きなため息を吐いた。急に静けさを取り戻した部屋には、件の幼女の異臭が残っているような気がして、ロゼッタは窓を開けた。


 すっかり夏を感じさせる風が、机の上の羊皮紙を浮かせようとする。ロゼッタは、それを手で押さえると愛しそうにその羊皮紙を撫でた。


「流石は、おとぎ話に語られる魔法詠唱者殿だ――――。この程度の理論、一笑に付すか。……女優としての才能も、間違いなく一級品だな」


 ロゼッタは微笑みながら、紅茶を淹れなおすと窓の枠に腰を下ろす。あの人が居れば、レディとしてはしたない真似をするなと、叱ってくれただろうか。


「我に、何が出来るだろうか。きっと、彼女には我程度の手助けは必要あるまい……。それならば、せめて――――」


 ロゼッタは、窓の外に広がる夏らしい青空に視線を向けた。


 そう言えば、あの別れの日もこんな夏の日だった。

 あの人から託された想いは、自分を縛っているのだろうか。


 それでも、いつか、その目的が果たされてしまったのなら。

 自分はどう生きればいいのだろうか。


 いつの間にか空になったティーカップに気付いたロゼッタは、それらを片付けると机の引き出しから一通の書面を取り出す。


「聖女、か」


 今年は忙しい一年になりそうだ。ロゼッタはそんな予感を胸に、部屋の窓を閉めた。




 その日の夕方、リタはエリスの部屋にていつものように寛いでいた。アンバーとは王都郊外の荒野でじゃれ合ってみたものの、人化していると期待外れの戦闘力しかなかった。そして何より臭かった。


 途中で面倒になったリタは適当にアンバーをあしらっていたが、結局彼女は泣きながら何処かに消えてしまって今に至る。


(うーん? 人化出来るし、あんまり餌代掛からないなら実家で飼ってあげようかって提案しただけなのに……。ちゃんと躾ければ飛竜を雇うお金も節約できそうだし。そういえば、マグナタイト結晶のこと伝えるの忘れてた。言葉通じるなら、やっぱりちゃんとしないとダメだよね。ま、また会えるでしょ)


 リタは溜息をつきながら、アンバーとの次の再会に思いを馳せる。間違いなく、また会うことになるだろう。そんな強い予感がある。その時には、もっと強くなっていると嬉しい。


「エリス~、これおかわり!」


 リタはそう言いながら、空になったカップをエリスに手渡す。今日の紅茶はミルクと砂糖たっぷりだ。ロゼッタとの面談で精神を摩耗したであろうリタに、エリスが準備してくれたのだ。


 面談の内容と、その後のアンバーとの一連のやり取りを話したところ、若干引いていた気がするが気のせいだろう。


 エリスに聞いたところ、リタがロゼッタと面談をしていた放課後、ミハイルとラルゴが訪ねて来ていたらしい。どうやら、クリシェへの帰省の日程を聞きに来ていたようだ。


 ラルゴは勿論のこと、ミハイルも律儀に長期休暇の度に帰省しては、クロードにしごかれている。そんな幼馴染たちも、今回の帰省は姉妹と日程を合わせるつもりであったのだ。


 実際のところ、リタの補習次第であったため流動的であったスケジュールもようやくしっかり決められそうだ。リタは早速頭の中で予定を考えながら、エリスの用意してくれた甘い紅茶で脳に糖分を供給する。


「あっま~い」


「それはそうとして、お姉ちゃん? いつキリカちゃんに伝えるつもりなの?」


 だが、そんな幸せな気分もエリスの問い掛けで霧散していく。


「うん、何のこと?」


「好きなんでしょ? キリカちゃんのこと」


 エリスは、真っすぐにリタの瞳を見ていた。リタは思わず目を逸らす。


「えっと、それは――――」


「お姉ちゃん達が言っている日が、いつか来るとして、さ――――。後悔はしないようにね?」


 そう言ってエリスは、右手をリタの頬に添えるとエリスの方に顔を向けさせた。琥珀色の美しい両目は真剣にリタの顔を見つめていた。


(そんなに私って分かりやすいのかな……。キリカには、うん、多分バレてる。というか、隠すつもりがある訳じゃないんだけど)


「そう、だね……。でも、この世界じゃ受け入れられないよ。女の子同士、なんてさ。多分、キリカを困らせちゃうから」


 自分で言ってて情けない。妹にこんな事を話すなんて。けれど、エリスは少しの寂しさと、それ以上の優しさをその瞳に浮かべて微笑んだ。


「大丈夫。――――絶対に大丈夫だよ。きっと、キリカちゃんは待ってるから」


 そう言ってエリスは、優しくリタの手を握った。その暖かさが、確かに心に染み入るように感じた。


「そう、かな――? ありがとう、エリス。ちゃんと、向き合うよ。私だって、もう後悔なんてしたくないから。……でもね、エリスだってそうだよ? ちゃんと、後悔しないように生きてね。自分がやりたいことをやるんだよ。それから、私に出来ることがあれば、言って欲しい」


 エリスがいつもリタのことを案じてくれているのは知っているし、それはとても嬉しい。それでも、エリス自身のことも、もっと大切にして欲しかった。


「最初から、そのつもりだから」


「え――――?」


 そうしてリタの唇に、エリスの柔らかな唇が重ねられた。いつよりずっと優しい感触は、ゆっくりと離れる。思わず絶句するリタに、エリスの切なげな吐息がかかる。その瞳は微かに潤んでいるようにも見えた。


 前々から、少し考えていたことがあった。これは本当に普通の姉妹の関係性なのだろうかと。


「ねえ、もしかしてさ……」


 リタは、エリスに問いかけようとした。何かが、変わってしまうかもしれない問いを。


「今は秘密」


 だがエリスは、リタの唇にその人差し指を当てると、これまでに見たことの無い大人っぽい笑みを返した。


 その表情に、リタは続く言葉を持ち合わせていなかった。

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