ロゼッタとの個人面談

 ロゼッタに連れられて、教室がある棟とは別の建物にリタは足を踏み入れた。


 この建物には初めて入るが、研究棟なのだろうか。多くの部屋が並び、中が見えないように塗られた窓には、よく分からない模様が刻まれている。それぞれ、分厚い扉が入室を拒むように閉じられており、窮屈な印象を感じさせた。エリスなら来たことがあるのかもしれない。


 その一番奥が今回の目的地らしい。一際重厚で、豪奢な装飾が施された扉が目に入る。所謂学院長室というやつだ。何だか胃が痛くなってきた。


 ロゼッタが扉に手を掛けると、重厚な見た目に反して軋みも無く扉は開く。リタは若干の緊張を感じつつ、部屋に入った。部屋は広いが、置かれた調度品や家具から圧迫感を感じてしまうのは仕方が無いだろう。


 窓際には巨大な机と、いかにも高級そうな椅子がある。普段ロゼッタが執務を行う机であろう。その両側には天井まで続く本棚が鎮座し、それらを分厚い本が埋め尽くすように並んでいる。


 部屋の中央には重厚な木製のテーブルと、二脚のソファが向かい合って並んでいた。恐らく来客対応などに使われているのであろう。ソファに張られた革は光沢を放っており、普段からよく手入れをされていることが伺えた。


 部屋の隅に転がされている謎の物体に、目を向けないように意識しながら、リタはロゼッタに促されソファに腰掛ける。何処か不思議で、落ち着くような香りが部屋を満たしているが、部屋の隅からはすえた匂いが漂う。


 リタが腰掛けたのを確認すると、ロゼッタ自ら窓際の魔道具で茶を淹れて運んできた。あのロゼッタが自ら淹れた茶だ。男子生徒なら泣いて喜んだかもしれない。


(見た目はいいからね、この人。でも私は緊張で味が分かりません……)


 勧められるままに、リタは薫り高い紅茶を口に含む。凄く熱い。そして、ロゼッタは先ほどから一言も発していない。気まずさを感じたリタは、意を決して口を開く。


「えっと、先生?」


 そんなリタの不安そうな顔を見て、ほんの一瞬ロゼッタの顔に優しく寂しげな笑みが過った気がした。だが、そんな雰囲気はすぐに霧散する。


「――――貴様、学院を卒業する気はあるのか?」


「えっと、もしかして……。試験の結果、そんなに悪かったです? 結構頑張ったかなって個人的には思ってるんですけど」


 リタの背筋を冷や汗が流れ落ちる。ロゼッタから手渡された成績表を見ると、散々な結果が待ち受けていた。


(あわわ……。折角学費免除なのに、留年したらどうなるんだろ? 母さんに殺される)


 だが、続くロゼッタの意外な言葉に、リタは首を傾げることになる。


「一応聞いておくが、貴様はいつまで馬鹿なふりを続けるつもりだ?」


「えっと、どういう意味でしょう?」


 ロゼッタは、リタの問い掛けに答えるつもりは無いらしい。そのまま、無表情で続けた。


「あくまで誤魔化す、か。まあいい、貴様とて時間は大切なはずだ。夏季休暇中に補習など受けたくは無いだろう?」


「それは、はい、勿論」


 ロゼッタの言葉に、リタは食い気味に頷く。これはまさかチャンスが貰えるのだろうか。


「特別だ、この問題を解けたら補習は免除してやろう」


 そう言ってロゼッタは、一枚の大きな羊皮紙を机に広げた。そこにはで書かれた走り書きと、未完成の術式が記載されていた。


「これって、もしかして……」


 記載されていたのは、殴り書きされた狂気の理論。人造魂魄を内蔵した人造人間ホムンクルスに、死者の魂を移そうする術式であった。


 どうやったのかは意識が無かったから知らないが、ノルエルタージュは完全に情報生命体と化した慎太郎の存在情報を仮初の魂として定着させてくれた。もしかしたら、それと似たようなものだろうか。いや、あの時の自分は死んでなかったから違うんだろう、多分。


「ほう、見ただけで分かるか。だ。何が足りないと思う?」


 ここは、どう答えるべきか――。とりあえず、自分の魔術の成績は悪くないし、補習は勘弁だ。リタは一目見た瞬間から感じていたことを正直に話す。


「何もかも、ですかね? もし、本当にこの理論でやるのなら、世界の位相を超えるくらいの時空魔術師でも呼ばないと難しいんじゃないですか?」


 そう言ってリタは笑った。そもそも、魂の存在する深層領域は物質世界と位相が異なる。もしかしたらノルエルタージュはそれを見越して、慎太郎の魂を定着させるために亜空間にあんなに長期間幽閉したのかもしれない。


「それでは、答えになっていないが? 貴様の考えでいい、話してみろ」


 視線を鋭くするロゼッタに、リタは肩をすくめる。この質問の意味は、どちらだろうか。魔術への理解度を聞かれているのか、はたまたリタの倫理観を試されているのか。


 この世界には死者を蘇らせたり、時間を戻したりするような都合のいい魔法は存在しない。少なくとも、リタは知らなかった。


「そもそも先生は、死者の魂って何処にあるのか知っていますか? 私は知りません。ですので、仮定に仮定を重ねた空論ですが聞いてください。私の考えでは、世界に存在しているけれど、存在していない状態なんだと思ってます。誰かが、観測し続ければし、忘れ去られればする。決して、それは物質世界と交わるものじゃない。だから、この術式をそのまま使ったとしても、物質世界に作った人造魂魄には、そのまま魂は移せないし定着しないのかなって思います。最初からそう造られている存在を除いて、ですけど。じゃあどうすればいいかっていうのは、分かりませんと答えさせてください。でも、私はそれでいいんじゃないかなって思います。少なくとも、死者を生き返らせる方法なんて、神さえ知らないくらいで丁度いいんだと」


 多少曖昧で、抽象的な表現だったがきっとロゼッタには伝わるだろう。現時点では、彼女にこれ以上深い話をするつもりは無かった。


「確かに空論だが……、そうか。貴様の考えはよく分かった。――――いいだろう、今日の追試は合格にしといてやる」


 何処となく寂しげでありながら、満足そうに笑うロゼッタの表情の意味を計りかねて、リタも曖昧な笑みを返した。


「ありがとうございます」




 そうして二人の間を沈黙が支配する。その沈黙を破ったのは、部屋の隅に転がされている物体であった。くぐもった声と、身じろぎする音が聞こえてくる。


 リタは努めて視界に入れないようにしていたが、諦めて部屋の隅に視線を向ける。目隠しをされ、猿轡を嚙まされたうえ、簀巻きにされている小柄な人影。小汚い申し訳程度の毛皮を身に着けた、薄汚れた女の子らしき姿に、リタは冷や汗を流す。


(ああ、私はあれを見なかったことにしたい。でも、もう無理だよね)


「あの、先生? ずっと気になってたんですけど。あれって……、幼女、ですよね?」


「ああ、そうだ」


「まさか――――」


「うむ、先日学院内をうろついていたからな。捕まえた」


(この人は、何を言ってるんだろう……)


 鷹揚に頷いたロゼッタにリタはどう反応していいのか分からなかった。だが、自分の担任として関わってしまった以上、見過ごすわけにはいかない。そして、自分も同じ空間にいる以上、立場を表明しておく必要がある。


「えっと、その……。性癖は人それぞれだと思いますけど、流石に誘拐と監禁は犯罪じゃないですかね? 王国は奴隷制もありませんし、あれは虐待では?」


「は?」


 ロゼッタは、リタの言葉に驚いたような顔をしている。驚いているのはこっちだ。ロゼッタがこんな変態だったなんて。エリスの貞操は私が守らねばならない。


「だから、その、非常に言いにくいんですけど……。先生、人として終わってますよ? ちょっと通報してくるので待ってて貰っても大丈夫です?」


「おい待て! 貴様何を言って――――」


 リタは無詠唱で呼び寄せたミストルティンをロゼッタの喉元に突き付けると叫んだ。


「黙れ変態!! いつもいつもエロい服着てると思ってたけど、やっぱりそうだったんだな! うちの妹は確かに見た目は若干幼いし可愛いけど――――」


「聞け、リタ・アステライト!」


「……何でしょう? 今更何を言っても、手遅れですよ」


 リタはロゼッタを強く睨みつけながら、そう問いかける。彼女は、現代一の魔術師だ。その一挙手一投足を見逃すわけにはいかない。


「あそこに転がってる奴だが、貴様の知り合いだと言っていたぞ」


「へ?」


 ロゼッタの告げた言葉に、リタは思わず呆けてしまう。少なくとも、ロゼッタからは敵意は感じないし、呆れたような顔で見られている気がする。


 あんな赤い髪の幼女に心当たりは無い。だが、もし、万が一。本当に、自分の知り合いだったとすれば、とんでもない事になるのでは無いだろうか。


「丁度我の結界に引っかかってな。学院の敷地内で、物陰に隠れ潜んで周囲を伺っている不審者が居れば、捕縛するだろう? それが、学院長の務めだと、我は思っている」


 ロゼッタの言葉に、リタは慌ててミストルティンを部屋に送還すると、何でもないように続けた。


「一旦状況を確認しますね」


 そうしてリタは鼻に突き刺さる臭いを努めて意識しないしないようにしながら、部屋の隅へと歩いて行った。

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