鬼教官と勉強会 2

 エリスの部屋に戻ったリタを出迎えたのは、感激した表情のラキであった。どうやらエリスから、苦手な科目の解説を受けていたらしい。


「エリス、お前すげーな! あの香水臭いババアより、よっぽど説明が分かりやすいぜ」


 そんなラキに、危機感を感じたリタは堪らず叫ぶ。


「ラキお願い、待って! そっちに行ってはダメ! おバカなままのラキでいて!?」


「お姉ちゃん……」


 ラキの勝ち誇った顔と、妹の呆れた視線に項垂れたリタは夕食を提案するのであった。




 その日は夕食を食堂で済ませた後も、勉強会は続くことになった。最後の追い込みといったところだろうか。ラキは少しずつではあるが、エリスの解説により理解を深めているようで、これまでにないやる気を見せている。


 食後の小休止と言いながら、売店で購入した甘いものと好物の果実水をゆっくりと楽しむリタは疎外感を感じて、渋々と拾ってきた戦術書を開く。地形に応じた基本的な集団戦術について記載されているのであるが、中々リタにとっては興味を持ちづらい内容であった。この世界には、個人で一軍と渡り合える戦力を持つ人間――俗に逸脱者や超越者と呼ばれる――が実在している以上、リタの興味が個別戦闘もしくは一対多で必要な戦術に向くのは仕方が無いことだと言えるだろう。


 例えば、自分とキリカだけで、幾万の敵を討ち滅ぼすような――――。

 最悪は、全てを吹き飛ばせばいいのかもしれない。勿論、キリカのため、もしくは大切な家族や友人を守るためならば、躊躇いなくリタは戦略級魔法を行使するに違いない。

 だが、それは最終手段にしておきたかった。自分のエゴの為に地形を変え、星の生態系を変えるなど極力したくないのだ。


(何より、熱核魔法はリスクがあるからね……。物理法則を超えた熱量交換を行う弊害を受けるのはこの惑星? それとも――――)


 前世から不思議であったのだが、魔法の使用に関しては、地球ともアルトヘイヴンとも異なる何処かと熱量や質量を交換しているとしか考えられない。リタは、熱量や質量のみで構成された仮想構造体――リタは虚数領域と呼んでいる――を定義することで、物理法則の枠にとらわれない魔法を構築している。


 難しい顔をして考え込むリタの肩に、エリスの手が優しく触れた。振り返ると、エリスの心配そうな表情があった。リタは微笑んで頷きつつ、遠くへ行っていた思考を追い出すと、再度戦術書に向き合う。


 来年からは更に発展させ、一般兵卒と強力な兵の混成部隊での戦術なども学ぶらしいが、今から吐き気がしてくる。クラスの特性上仕方ないとはいえ、リタは将来、騎士団や軍を率いる立場になるつもりなど無い。寧ろ真っ平御免である。


 ――――とりあえず、この教科は捨てよう。諦めたリタは、戦術書を鞄に放り込み別の書物を取り出すのであった。




 それから二日後、ついにリタは試験前日を迎えていた。


「マジでヤバくね!?」


 年頃の女学生らしい言葉を発しながら、リタは放課後の教室で頭を抱えていた。エリスのおかげで、多少はマシになったかもしれないが、全く試験に対する自信が湧いてこない。


 ついに自室でも勉強し始めたルームメイトの姿に、リタは焦っていた。だが、焦ったところで理解できるものであれば苦労しなかっただろう。そんな現実が嫌になって外を見れば、綺麗に晴れた空が広がっている。普段であれば、外で身体を動かすか、王都に繰り出すかといったところであるが今日はそうもいかない。ここ数日癖になった溜息を吐くと、リタはそそくさと帰り支度を始めた。


 そんな時、ふと視線を感じた気がして、リタは右後ろを振り返る。どうやら、視線の主はアレクだったようだ。王族とはとても思えない品の無い笑みを浮かべてこちらを見ている。頭を抱えるリタの様子に状況を悟ったのであろう。彼の口が動く。声は聞こえないが分かる。きっと奴は私を同じ場所に引きずり込もうと手招きしているのだ。


 ――だが、私はアレクとは違う。まだ、諦めていないのだ。

 やっと手に入れた、本物の夏を必ず満喫してみせる。その為に、今日も頑張る。気合を入れたリタは、隣で状況を悟って苦笑いしているエリスと、今日も素早く準備を整えているキリカに、自ら声を掛け勉強会へ向かっていった。




 ――――とはいえ、やる気は長続きしないものだ。


「こら、リタ! 集中しなさい?」


 欠伸をしながら窓の外を見つめるリタに、キリカの声が掛かる。昨日からは、彼女もまた鬼教官と化している。キリカに関しては夏休み中も多忙なため、スケジュールを狂わせる訳にはいかないという理由も含まれていた。だが、それも裏を返せば自分との時間を望んでくれているということだ。それは素直に嬉しいが、あまり頭を叩かないで欲しい。これ以上馬鹿になったら困る。


 今日ラキは、一人で集中して勉強したいと言っていた。つまりリタは、エリスとキリカという二人の鬼教官に囲まれている状況である。恐らく、この状況は学院中の男子生徒から羨まれるシチュエーションであろう。しかし、二人の指導は本当に容赦がない。今日だけで何十回注意されたか分からない。


 二人はリタが問題を解いている間はエリスの神聖文字の本――以前リィナが準備してくれた、ノルエルタージュも共著で執筆している本――の解釈について議論している。キリカの前世の記憶は曖昧だが、術式を見ると何となく感じる物があるのだと言っていた。


 そんな時であった。リタの肩がビクッと撥ねる。リタの仕掛けた攻性防壁が発動したという警告が右眼より発せられたのだ。それはつまり、誰かがリタの使用した、もしくは何処かに仕掛けた、何らかの魔法や魔道具に対して干渉を試みたということだ。


(術者の推定される脅威度は低。デコイに引っかかっただけか――――)


 リタは念のため、即座に立ち上がると部屋に結界を敷く。何かを言おうとする二人の鬼教官を手で制し、周囲を魔眼で観測するが怪しい存在は感知できない。どうやら、防壁にわざと引っ掛かったふりをしている訳でも無いようだ。


 場所は、王都郊外。リタの魔力波長を元に作成された索敵魔術攪乱機構のひとつだ。人間の魔力波長は、リタとエリスのような例を除き基本的には一人ひとり異なる。これにより、個人を追跡する術式も理論上構築が可能なのだ。だからリタは、いくつかのデコイを各地にばらまいている。一般人が見つけられる訳も無く、誰かが意図的に探さなければ分からない程度の隠ぺいをしながら。


 敵なら構わないが――――。このレベルのデコイに致死性の反撃用魔術は流石に仕掛けていない。せいぜい脅し程度だ。反応してこちらから出向けば余計なトラブルに見舞われるだろう。

 それでもどうか、興味本位で周囲の魔力反応を調査しようとした、善良な市民が犠牲になっていませんように。リタはそう祈りながら結界を解除するのであった。




 一方その頃、王都郊外にある森の中には爆炎が広がる一角があった。言うまでも無く、リタの仕掛けたデコイから放たれた攻性防壁による炎熱系中級術式である。


「に゛ゃ゛ぁぁぁぁ!? いきなり何なのじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 爆炎の中から全身を煤だらけにした少女が転がり出てくる。折角魔獣から剥ぎ取った毛皮も、悉く炭にしてしまったことに頭を抱える一人の少女は、夕刻の森に悲鳴を響き渡らせた。


「妾は、誇り高き竜種ぞ!? 人間の小娘ごときが舐めおって!」


 アンバーは先日の一件以降、リタに復讐を誓い、人の姿で隠れながら旅を続けていた。人間ごときに完膚なきまでに叩きのめされ、挙句好き勝手にされたこと、それは誇り高きドラゴンにとっては筆舌に尽くしがたき屈辱であった。だが、彼女自身、この旅は復讐だと思い込もうとしていたが、生まれて初めて感じた、よく分からない別の気持ちがあったことも事実。


 自分でも人の姿で油断させて殺そうという考えには無理があることは分かっている。人の世に溶け込んで、隙を伺うことも恐らく難しいだろう。それでもアンバーは、奇しくも自らを名で縛ることになった少女に、もう一度会わなければならないという使命感のようなものに突き動かされていた。


 曲がりなりにも、それなりの年数を生きてきた正真正銘の竜種である。鋭敏な感覚は、微かな魔力の残り香を頼りに、王都方面へとアンバーを導いた。しかし、王都付近には何故か複数の反応があったのだ。そのうちの一つを見つけるも、何故か木の幹の中から反応を示している。不審に思ったアンバーが幹に埋まっているだろう何かを取り出そうとした途端、この様だ。


「面白い人間も居たものじゃ。とはいえ、どうしたものかのう……」


 周囲にはまだ多くのリタと呼ばれていた少女らしき魔力波長が存在している。いくら身体が頑丈とはいえ、普通に痛い。そもそも、そこらの魔術師の魔術では傷一つ付かないはずだが、彼女の仕掛けた罠はどうやら違うらしい。


 アンバーは大きく溜息をつくと、哀愁を背負いながら次の反応に向かって歩き始めた。尚、爆発により周囲の小動物も含め逃げ出してしまったらしく、次の毛皮を見つけるのには非常に苦労したという。

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