鬼教官と勉強会 1

 ――――いよいよ、期末試験まであと三日か。

 リタは、午後の授業の終了を告げる鐘の音を聞きながら、大きく溜息を吐いた。


 先日の誕生会は楽しかったな、と思い返す。十日ほどしか経っていないというのに、もうずっと前のことのようにも感じた。


 その夜、早速プレゼントした下着に着替えた妹のあられもない姿に、思わず言葉を失ってしまったことも懐かしい。可愛い妹を持って、本当に幸せだと思うが、最近姉としての威厳が地に落ちている気がするのは気のせいだろうか。


 エリスに追及されて、誤魔化し続けたアクセサリーの金額を白状した途端に、雰囲気は一変した。確かに、プレゼントくらい自分で稼いだお金で買えるものを準備すべきだったかもしれない。あわせて、子供が持つにしては高価なものを用意したことには違いない。だが、それでも下着姿で何時間も説教される程だろうか。


(やっぱり金額は秘密にしとくんだった……。私が密かに溜めてたお小遣いも全部没収されたし……)


 そして続けて追及された、マグナタイト結晶の価値を聞いた時、エリスはすべての感情が抜け落ちた顔をしていた。尚、結晶は既に厳重な封印を施して、実家に安置してある。


「大体、全部私が悪いみたいに言ってさ。確かに七割……、いや九割は悪いかもしんないけど、あの結晶だって偶然だし――――」


「お姉ちゃん? 何か言った?」


「ヒィ」


 思わず口に出ていたのであろう。隣の席から聞こえたエリスの声にリタは震えあがる。


(昔はあんなに可愛かったのに。いつもお姉ちゃんお姉ちゃんって言って、後ろを付いてきてさ)


 そんな幼いころは天使のようだった妹も、勉強会が始まってからは、鬼教官と化している。リタは何でもないと誤魔化しつつ、授業が始まる前と変わらず白紙のままのノートを見られないように仕舞った。


「で、お姉ちゃんはノートも取らずに授業中は何をしてたのかな?」


「まぁバレてますよね~」


 隣から突き刺さる視線を感じながら、リタは今日も始まる勉強会という名の苦行を前に、もう一度大きなため息をついた。




 放課後を迎えて暫く。エリスは準備をすると先に女子寮へと帰った。リタは最後の抵抗とばかりにゆっくりと帰り支度を進めていた。今日はキリカは来れないらしい。


 気は進まないが、そろそろ帰るか。そんな事を考えていた時、リタに声が掛かる。


「なあリタ?」


「ん? なんだ、アレクじゃん」


「なんだとはなんだ……。まぁいいか。一応聞いておきたくてな。まさかとは思うが、お前――――勉強とかしてないよな?」


 何処か焦った様子でそう話す第四王子の姿に、リタは思わず笑ってしまう。因みにアレクは、いつも通り授業中は魂が抜けたような顔をしている。王族だからか誰も指摘しないが、寝ていた方がマシじゃなかろうかという顔だ。


「してるよ?」


「何……だと……ッ!?」


 想定外の返答に絶句しているアレクの肩を叩きながら、リタは続けた。


「君とは違うのだよ、君とは」


 強制的とはいえ、一応勉強しているのだ。優越感に思わず口元が緩む。


「おいおい、嘘だろ!? お前だけは俺の同類だと思ってたのに……!」


「ご愁傷様。補習、頑張ってね」


 そう言ってリタは立ち去ろうとしたが、アレクが呼び止める。


「そう言うな、リタ! 俺たち、友達だろ? な? 夏休み、一緒に補習受けような!! 先に地獄で待ってるぞ!!!」


「嬉しくない誘い文句!? というか、アレクも勉強したら? ……ぷぷ、それは無理か」


 自分で提案しておきながら、思わず吹き出してしまった。間違いなくアレクに一番似合わないのは、勉強であろう。


「おい、何笑ってんだ!? 言っとくけどな、確かに俺は勉強が嫌いだし授業だって何一つ頭に入ってこないけどな、悪いのは勉強なんだ。お前なら、分かるだろ? 勉強が俺たちの事を嫌いなんだ! そうだよな?」


「うんうん、分かる分かる。相変わらずアレクが馬鹿だってことはね。とりあえず、私は勉強があるからもう行くね?」


 さっきまでは毛ほどもやる気が出なかったが、アレクと一緒に補習は恥ずかしすぎる。嫌な想像を振り払うように、リタはひらひらと手を振って帰ろうとする。そんなリタに、アレクは肩をすくめて笑う。


「分かったよ。まあ、勉強したところでリタはどうせ補習――――ぐふッ!?」


 とりあえずアレクの腹部に軽めのボディブローを叩き込んだリタは寮への道を歩き始める。未だにリタが、“狂犬”の名を欲しいままにしているのには、こんな態度が原因なのであるが、彼女がそれに気づくことは無かった。




 リタがエリスの部屋に到着した時には、ラキは既に勉強を始めていた。何故エリスの部屋なのかと言えば、勿論広いからというのもあるが夏季休暇明けに向けて大きなダイニングテーブルとチェアを購入したためだ。


 リタはエリスから果実水の注がれたグラスを受け取ると、テーブルにつく。美しい木目と端まで綺麗に仕上げられた表面を撫でながら、いい買い物だったと頷く。


「ラキおつかれー。今日は真面目じゃん?」


「いや、そろそろやべーなって思ってな。マジで補習になったら親父に殺されんだよ。ただでさえ無理言って通わせてもらってるからな」


 ラキは、教材から目を離さずにそう答える。リタはその姿を見ながら、果実水に口を付けた。


「だったら授業中起きてればいいのに」


 後ろからは、エリスの呆れたような声が聞こえる。それには全面的に同意だ。だが、出来ればラキにはそのままでいて欲しいと思う。まだ下が居るという安心感を感じさせて欲しいのだ。


 ラキはエリスの声に、それとこれとは話は別だと言い訳をしつつも、雑に綴じられた紙束に筆ペンを走らせている。流れるような筆致は、多少形を崩しているが美しい。


 それを見て、少しだけ悔しくなったリタは渋々ノートを開くのであった。




 暫くの間、真面目に勉強をしていたリタであったが、驚くほどに理解できなかった。開け放たれた窓から吹き抜ける、生ぬるい風にも腹が立つ。諦めたリタは、手元の戦術書を閉じて立ち上がると、窓から投げ捨てた。


「何が地形戦術学だっての! は!? 山があったら何? 森が、河川がどうしたァ! 私が全部平原にしてやろうか、アァァン!?」


 そのまま窓の外に向かって叫ぶリタの頭に、エリスの手刀が落とされる。


「痛ッ!? あーあ、エリスのせいでせっかく勉強したところが全部飛んじゃっ――――すいませんでした」


 頭を押さえながら振り返ったリタであったが、エリスの笑顔の前に思わず姿勢を正し謝罪してしまう。


「拾ってきなさい」


「はい」


 吹き出すラキを睨みつけながら、リタは気分転換がてら外に出る。魔術でも拾えるが、小休憩と行きたいところだ。そろそろ小腹も空いてきたな、と思いながらリタは周囲を見渡す。


 日は傾いているが、普段であれば学院の敷地内は課外活動を含め多くの生徒の姿がある時間帯だ。だが、試験前だからか殆ど他の生徒の姿は見えなかった。欠伸を噛み殺しながら、投げ捨てた本を拾ったリタはわざと遠回りをして妹の部屋に戻るのであった。

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