エリスのお仕置き

 エリスが、新入生武闘大会で優勝を決めた夕方のこと。


 エリスの部屋には、床に正座する二人の少女の姿があった。言うまでも無く、リタとキリカの二人だ。二人にとっては、譲れない事情があったにせよ心配をかけたのは事実。そして、最悪の事態も有り得たことを十分に理解している二人は黙ってエリスの説教に耳を傾けていた。


 小一時間ほど、喋り続けたエリスも疲れたのか、軽く水を飲んでいる。


「ねぇ、リタ? あの壁に立てかけてある、凶悪な武器は何?」


 キリカは正座しながら、隣で同じように正座しているリタに問いかけた。壁に立てかけてあるのは、キリカの腕よりも遥かに太い金属製の棍棒で、表面を鋭利な棘で覆われている。よく目を凝らせば、その棘一つ一つに、更に返しが付いており突き刺さったが最後、強烈な痛みを与えるであろうことは明白だ。鈍い灰色の光沢を放つ表面には、所々に赤黒い染みがこびり付いている。


「あれはね、“必殺お仕置き棒”って言ってね、うちの父さんが魔人騒動の後に、町娘たちにチヤホヤされて鼻の下を伸ばしてた時に、母さんが作った武器。苦痛を最大化するための仕組みが随所にあるんだ……」


 リタは、何処か遠い目をしながら、キリカの問いに答えた。


「もしかして、あの赤黒い染みって――――」


「父さんの血だよ」


 リタは、キリカに肩をすくめて返した。


「……聞きたくなかったわ」


 鼻歌を歌いながら、エリスはその禍々しい棍棒を手に取った。握りのところには、確かに可愛らしい字で『必殺☆』と刻まれているようだ。窓から射しこむ夕日を浴びて、鋭利な幾つもの棘が妖しく煌めいている。


「誰が、勝手に喋っていいと言った?」


 エリスの優しい声に、びくりと肩を震わせた二人はその口を閉じる。


「「……」」


 そして、エリスの説教は暗くなるまで続いた――――。




「もう、お嫁に行けない……」


 リタは、げんなりとした顔でエリスのベッドに突っ伏していた。件のお仕置き棒で、臀部に穴を増やされる未来はどうにか回避したものの、エリスの放った母直伝の“おしりペンペン”は、あまりにも強烈だった。

 手のひらに集めた魔力で、痛みを最大まで増幅させて放つその技に、リタは思わず涙を流した。おかげで、白く滑らかで最高に柔らかいと自分では思っている自慢の小尻がパンパンに腫れていた。


「あら……? お嫁に行く気が、貴方にもあったのね……」


 横には疲れ果てた表情のキリカが同じように突っ伏している。流石に公爵令嬢の尻を叩くのは気が引けたのか、エリスはキリカには正座をさせただけであった。それでも、昨夜の疲労が抜けないうちに、長時間の正座と説教を食らって、疲れ果てたのは事実。


「今のところ、予定は全く無いです……」


 リタは少し考えてみたが、相変わらず女の子だという意識はあるものの、男の子に対して何かそういう感情を抱いた記憶は無かった。だが、先日から色々モヤモヤするように、丁度前世で言えば第二次性徴を迎えている。これから、心身も変化していく可能性も無いとは言い切れない。


(でも、そんなことに現を抜かすつもりはないよ。君を、ずっと守ると決めているから)


「知ってるわ」


 キリカは少しからかうような笑みを浮かべている。リタはそう言えば、先日聞きそびれていたなと思ってキリカに問いかける。


「というか、この前は教えてくれなかったけど、キリカの婚約者って誰?」


「第四王子よ」


 キリカは淡々とそう答える。その声には、特に何の感情も乗っていないようにリタには聞こえた。


「ああ、アレクね。――――って、えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 リタの脳が、その事実を認識した途端、思わず叫び声を上げてしまった。台所で料理をしているエリスに思い切り睨まれた。怖い。


「それなりに有名だし、もう誰かから聞いたものだと思ってたわ」


 実際に、この話は貴族の子女であればある程度知っているくらいには有名な話なのだ。だが、他人の色恋沙汰に毛ほども興味を持っていないリタのような人種には、聞こえてこなかっただけだ。


「嘘!? いや、うん、そうなの? え? 本当に、アレクが!? 馬鹿なのに!?」


 リタは、驚きと同時に納得もしていた。


(家柄も釣り合ってるし、ね。そう言えばアレクが昔、愛想が無くて凄く強いって言ってたもんね。そっか。でも、何かモヤモヤする……。うん、でも、有象無象よりは、いいの、かな? アレクは、悪い奴じゃないのは間違いないし……。ああ、でも、キリカが結婚したら、もう一緒に居られない? どうしよう。ずっと守るためには、張り付いて……いや、それストーカーじゃん)


 思わず頭を抱えてしまったリタの手を取って、キリカはゆっくりと話した。


「ええ、そうよ。……流石に、王族相手にその認識はどうかと思うけれど、ね。――――でも、彼にも言ってあるけれど、学院を卒業するころには婚約は破棄する予定よ。勿論、お互いの家も同意してる。でも、さっさと破棄すると、また求婚の嵐で面倒だから今は継続してるのよ……」


「そ、そうなんだ」


 リタは、思わず安堵の息を漏らしそうになったのを必死で飲み込む。何だか、負けた気がするからだ。


「安心した?」


 そんなリタの様子に、キリカは悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「し、してない! …………ごめん、嘘。ちょっとした。やっぱり近くに居ないと、君を守るっていう約束を果たすのが、どうしても難しくなっちゃうし。――――でもね、私はキリカが幸せなら、何だっていいよ」


 最初こそ、取り繕うことを考えたリタであったが、言葉の途中で気が変わった。もう、彼女に対して隠す必要など無いのだと、思い出したからだ。


「ありがとう。でも、昨夜誓った通り、私は貴方のために生きるわ。だから当初の目標通り、まずは剣聖を目指す」


 キリカの真っすぐな瞳に、リタは何処か気圧されたように目を逸らしてしまった。よく分からないが、真っすぐにその顔を見つめることが出来なかった。


「ま、まぁ、あのアルベルト様を納得させるには、ひとつくらい世界の頂を取らないとね……」


 リタは誤魔化すように、そうキリカの発言に追随した。だが確かに、あの優しくも厳しい父親に対して、貴族の責務を投げ出して自分の意志を通そうとすれば、それしかないのだろうとは思う。


(そうなったら、キリカのお父さんは後妻も迎えてないし、養子でもとるのかな……)


「逆に貴方がもし何処かで素敵な殿方を見つけて、結婚したいと言っても私は止めないわよ?」


 キリカは、優しく微笑む。だが、自惚れで無ければ、その瞳には微かな寂しさも浮かんでいるようにリタには感じられた。


「どうだろう? なんか、そういう気持ちが湧かないんだよね……。前世が男だから、かな?」


「さあ? ……それなら――――」


 何かを言おうとしたキリカの言葉を遮って、エリスが手を叩く音が響く。


「はいはい二人とも! 二人の世界を形成するのもいいけど、ご飯できたから運ぶの手伝って」


 エリスの言葉に、顔を見合わせて笑った二人は、立ち上がる。思わず足元がふらつくリタを、キリカが横で支えてくれた。


 話に夢中で気付かなかったが、部屋をいい匂いが満たしている。今夜は、およそ千年ぶりの再会と、エリスの武闘大会優勝を祝う夕食会だ。エリスが自分で作っていることには、申し訳ないと思うが基本的に料理に関してはリタとキリカは味見以外では、あまり役に立たないはずだ。キリカも、今夜は多少遅くなってもいいと言っていることだ。これから先のことも考えなければならないが、暫くはこんな時間に浸っても許されるだろう。


 痛くてまともに座れないリタの、涙ながらの懇願の甲斐もあって、ようやく妹から回復魔術使用の許可が下りる。そんな様子に、キリカは笑い、エリスは呆れている。


 まとまな家具もまだ無い。高級な食材があるわけでも無い。それでも、この日の夕食は最高に美味しかった。三人の笑い声に包まれた、暖かな時間はそうして過ぎていく。




 そんな和やかな夕食会を終えて、女子寮が静まり返った深夜。


 リタは、今夜はエリスの部屋に泊まることにしていた。昨夜心配を掛けた分だ。隣からは、規則正しい寝息が響いているが、リタは寝苦しさを感じて眠れないでいた。どうも、身体が火照って、疼くのだ。自分の内側から、じっとりと湧き上がってくる色情に操られるように、そっとベッドを抜け出す。


 思わず荒くなりそうな吐息を抑えながら、リタはふらつく足で部屋の浴室に向かった。前世で、この年代と言えば、確かに常時性的欲求を抱えていたような記憶もあるが、女の子になったからだろうか少し感じ方が違うような気もする。


 このうら若き少女の肉体を持て余しているという感覚は、ここ最近覚えるようになったばかりだが、前世の時には簡単に火はつくが、割とすぐ鎮火するような感じだった。抑えきれない事も多々あったが……。

 だが、今はドロドロと少しずつ、その炎が大きくなり続けるような感覚を覚えている。


 リタは、寝間着と下着を乱暴に脱ぎ捨てると、シャワーを全開にする。冷たい水が、しっかりと温度を上げたのを確認して、身体の汗を流す。


「はぁ……はぁ……。ついに、来ちゃったか……、この時が……」


 鏡に映る湯気でぼやけた自分は、肌が上気し視線が蕩けているのが分かった。その姿に、罪悪感を感じるような、不思議な気持ちだった。だが、頭に靄が掛かったように、何も考えられなくなっていく。シャワーを流しっぱなしにしながら、椅子に座ったリタの右手が、柔肌を滑り落ちる水滴に導かれるように、下腹部にそっと伸びていく――――。




 何分程度そうしていたのかは分からない。自らの疼きを慰めたリタは、水滴に濡れた身体をタオルで拭きながら、火照った身体が冷えていく感覚を覚えていた。


(女の子……すごい……)


 よく分からない罪悪感のような変な気持ちを落ち着けるように深呼吸をすると、胸の奥底が締め付けられるような仄かな感触があった。


(何やってんだろ……。でも、思春期だったら、普通だよね……? 折角女の子になったんだし。前からちょっと興味があったのは事実だけど、今までこんな気分にならなかったし……)


 誰に言い訳しているのか分からないな、と思いながら魔術で静かに髪を乾かしたリタは、台所に向かう。そこで、夕食会の時に余った果実水をグラスに注ぎ、一気に飲み干した。


「くぅ~!」


 思わず、小さく声を漏らしてしまった。エリスには、寝る前に果実水を飲むなと言われているが、深夜に飲むこの罪悪感も堪らない。


 リタは、エリスを起こさないようにそっとベッドに戻る。だが、そんな努力も虚しくエリスは寝返りを打つと、その腕をリタの首元に回した。そして、その琥珀色の瞳が薄っすらと開かれる。


「こんな時間にシャワー?」


「ちょっと、寝苦しくてさ、汗かいちゃって」


 リタは、誤魔化すようにそう告げた。


「もし、私に手伝って欲しかったら、いつでも言ってね?」


 カーテンの隙間から射しこむ、月光を浮かべた琥珀色の瞳は、妖艶な輝きを放っていた。リタの鼓動が爆発的に高まる。まさか、シャワーも全開にしていたし、バレるはずは無い。必死に動揺を押し殺す。


「なななな、何を、お、お、おっしゃってるので?」


(失敗した! 私の馬鹿! この口め!!)


 エリスは、そっとその唇をリタの耳元に近づける。吐息がくすぐったいが、我慢だ。エリスの手が、リタのお腹を意味深になぞっている。声を出さなかった自分を褒めたいとリタは思った。


 だが、結局リタの努力は無駄になった。


「声、聞こえてたよ――――」


 耳元で響いたエリスの艶っぽい囁き声が、リタの脳細胞を破壊する音が聞こえた気がした。


(終わった――――!! 妹にバレるなんて、死にたい!)


「もう無理……!」


 リタは、あまりの恥ずかしさにそのまま意識を失い、眠りの世界に旅立っていった。




「ま、聞こえてたっていうのは、嘘なんだけどね――?」


 エリスは、小さく笑うと、白目を剥いているリタの瞼を手のひらで閉じた。そのまま、リタの顔に自らの顔を近づけると、鼻腔をくすぐる甘い果実の香りに気付く。


「もう。また果実水飲んでるし。……お仕置きです」




 翌朝、リタは初夏を迎えて乾燥とは程遠い季節だというのに、荒れ果てた唇に首を傾げることになるのであった。

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