エリスの決勝戦 4
エリスはロゼッタの言葉に、即座に距離を取った。ロゼッタの頭上では、火球が膨らみ続けている。膨大な熱量に、髪が焦げる匂いがした。
(全く! 仮にも教育者じゃないの!?)
だが、彼女はまだ魔術を放たない。それにしても、彼女は何を待っている? まさか――――。
「まだ、
ロゼッタは、不思議そうな顔でこちらを見ている。その視線の奥底に、何かに縋るような感情が過ったような気がした。
だが、どちらにせよ、アレを正面から受け止めるのはどう考えても悪手だろう。見た目通りの熱量は勿論として、あんなに分かりやすい魔術を、ロゼッタが使うはずが無い。間違いなく、二重、三重に策があるはずだ。
「さて、どうする? エリス・アステライト!」
ロゼッタが、最後通告とばかりに、彼女の右手に左手を添えた。
(来る――――!)
「決まっています。正面から、打ち破ってみせましょう」
ロゼッタの顔に、確かに笑みが浮かんだのが見えた。そして、エリスの視界は巨大な橙色の光で埋まる。大きく成長した火球が、凄まじい速度で迫っている。
同時に、両側から二人のロゼッタがエリスを追い詰めるように迫っていた。ご丁寧に、いくつかの中級魔術のプレゼント付きだ。さらに、エリスの後ろにも遅れてもう一人出現する。
(火球の奥のを含めて、四人……か。何処まで増えるんだか)
そしてエリスは、昨日から既に発動待機状態にあった魔法を左手に宿した。
「概念回帰型存在干渉魔法―――シグマドライブ・
待機状態にあったその魔法は、高速詠唱で即座に発現した。左手に持っていた剣が、瞬時に漆黒の長剣に姿を変える。まるで、闇が輝いているような剣であった。エリスの願いを叶えるため、その魂と共鳴した剣のひとつ。
そして、エリスが漆黒の剣を振り抜くと同時に、眼前に迫っていた火球と、内包された七つの魔術は消え去った。そのまま円を描くように、更に一閃。両側のロゼッタが放った魔術ごと、三人のロゼッタは砂にもならず消失する。エリスはそれを確認して即座に魔法を解除した。これ以上、見せてやる義理も無いからだ。
先ほどまで、轟音と光熱に満ちていた一帯は、既に平穏を取り戻していた。風が凪ぎ、静寂がエリスとロゼッタの間を満たす。
「それで? 質問にも答えましたし、死にませんでしたけど、これで終わりでいいですか?」
エリスは、ロゼッタを睨みつけながら声を掛けた。生徒に対して、あんな魔術を使ったのだ。これくらいは許されるだろう。
ロゼッタは、微かに微笑んで小さく発した。
「ああ、大体分かったから十分だ。待ちわびたぞ……!」
ロゼッタの頬を伝う涙を見て、エリスは何と言っていいのか分からなかった。
(何を言っている? お姉ちゃんは、学院長のことを何も知らなそうだったけど……。それに、公開情報が事実なら、この人はまだ八四〇歳くらいのはず)
「ようやく我は、解放されるのだな……」
エリスの表情を見て、何かに納得したような顔をしたロゼッタは蒼穹をその瞳に浮かべて呟く。
「あの、学院長?」
エリスは、天を見上げるロゼッタにおずおずと声を掛けた。
「すまない、こちらの話だ。エリス、今度約束通り、とっておきの魔法を教えてやろう」
「は、はい。ありがとう、ございます?」
エリスは、よく状況もつかめないまま、とりあえず礼を言った。恐らく、ロゼッタはもう確信に至ったはずだ。自分のことだと、勘違いしてくれてもいいが、そう都合よくはいかないだろう。
(どちらにせよ、この人は気付いてそうだったし……。わざわざペラペラ喋らないとは思うけど、この人が言うと言葉の重みが違うんだよね)
エリスは元々、この世界で魔法師を名乗る予定であった。だから、他でもないロゼッタの前で使うことは迂闊だったとは思わない。予定が少し早まるだけの話だ。
それに姉なら、きっとこの程度の想定外は些事だと切り捨てることであろう。
「なるほどなるほど。そうか、それが貴様の事情か……。試験の結果にしても、普段の様子を聞く限り貴様の方が優れているように見えていたが、全て正体を隠すためのブラフだったわけだな。それにしても、貴様の姉は演技が上手い。今にして思えば、少々やりすぎかもしれないが、あんなに馬鹿なフリが出来るとはな」
顎に手を当てて頷きながら話すロゼッタにエリスは苦笑いを返すしかなかった。
「えっと、それは……、その、フリじゃないというか……」
エリスは、勝手に納得しているロゼッタに本当の事を告げるべきか迷った。
「エリス――――」
「はい?」
「次からは我のことは先生と呼べ。来週からは、貴様らの担任だ」
「分かりました。――――先生が至った結論のことはあえて聞きません。ですが、出来ればあの人が自ら名乗るその日まで、口外しないでいただけると助かります」
「ああ、約束しよう」
そしてロゼッタは、思い立ったように両手を一度合わせると、それをゆっくりと開く。その両手の間に紫電が迸ったかと思えば、エリスは重力が何倍にもなったかのような感覚を覚えた。
(あれは、鎌?)
ロゼッタの手に現れたのは、彼女の身の丈を優に超える漆黒の大鎌であった。途端に、エリスは背筋に悪寒が走る。彼女はその柄を愛しそうに撫でているが、どう見てもあれは人殺しの道具だ。これまでにも、多くの血を吸ってきたであろう妖しい輝きを放っている。
ロゼッタはその大鎌の感触を確かめるように、何度も振り回した。風を切る轟音と共に振るわれる度、間違いなくエリスの感じる重力は増大している。
(質量に干渉している? もしくは、重力?)
「こいつを使うのも七十年ぶり、か。――――実に見事だ。エリス・アステライト」
「まだ何か?」
エリスは目の前のロゼッタに対して、苦笑いを投げた。
「ここから先は、そうだな……。趣味だ」
「は、はい?」
「我とて八百四じゅ――いや、数百年も生きていれば、退屈もするし、腕もなまるというものだ。少し、付き合え」
「今更年齢を気にされるのですか?」
エリスは、少しだけロゼッタの様子が微笑ましくなって、そう返した。それに、ダークエルフの寿命を考えれば、彼女はまだその四分の一も生きていない。
「それがレディの嗜みだと、遥か昔に教えてもらったのだ」
だが、ロゼッタは恥ずかしがるわけでも無く、どこか遠くを見ながら懐かしい誰かを感じている笑顔を浮かべたのであった。
ラキは、上空を見上げていた。いい加減、首に痛みを感じ始めた頃だ。先程まで、巨大な火球が視認できていたが、何の音も無く消失した。
それが、どちらの魔術なのかは分からないが、少なくとも自分では理解不能なレベルの戦いが繰り広げられていることは想像に難くない。
そして、暫くの沈黙の後、上空では無数の光と爆音が響き始めた。王都の住民が不安になるのでは無いだろうかと、益体も無い考えが頭を過る。
(つーかよ、エキシビジョンとか言っときながら、全然見えねーじゃん)
ラキは溜息をついた。周囲も口々に噂話をしながら、上空を見上げている。その時、上空で何かが一際大きく煌めいた気がした。
次の瞬間、轟音と共に訓練場に爆発的な砂煙が立ち上がる。一瞬だけ見えたが、どちらかが地面に叩きつけられたのだ。誰もが固唾を吞んでその結末に目を凝らしている。
焦らすようにゆっくりと晴れていく砂煙の中、訓練場に立っていたのは大鎌を担いだロゼッタであった。だが、驚くべきことに傷一つ負っておらず、ドレスも綺麗なままだ。そして、空中からはゆっくりと降りてくる、輝く翼を持つ少女。初夏の日差しを浴びて輝く銀髪と相まって、神々しさを感じる程だ。
「天、使――――」
何処かから、そんな呟きが聞こえた。
(あいつは、天使なんて生優しいモンじゃねーけどな)
ラキは、そんなことを思いながら、その拳を強く握りしめる。準決勝前にエリスに聞いたが、リタは無事に戻ってきたらしい。この後会いに行って、稽古の約束を取り付けようと、そう決めたのだ。
エリスふわりと着地すると、その翼は消え、途端に彼女を覆っていた魔素であろう輝きも消える。だが、それでも彼女は輝いているように、誰もが思ってはずだ。
そしてエリスとロゼッタが互いに武装を解除して歩み寄り、握手を交わしたところで、訓練場にはこの日一番の歓声が轟いたのであった。
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