エリスの決勝戦 2

 エリスは第一訓練場にて、準決勝の相手を見据えていた。


 間もなく、開始のブザーが鳴るはずだ。会場は熱気に満ちている。リタとキリカの棄権は既に周知の事実となっており、この一戦こそが事実上の決勝戦であったからだ。


 目の前に立つのは、青い髪を肩まで伸ばした背の高い少年だ。どこか達観したような、大人びた視線をしている。顔は十分に優男の部類に入るだろうが、精悍さと武骨さも同居している。手には、立派な長槍を持ち、綺麗な姿勢で立っていた。


「エリス・アステライト殿。俺はフェルナンドだ。よろしく頼む」


 フェルナンドは、慇懃な態度で腰を折った。だが、その視線は鋭く、そこに浮かぶ戦意を隠しきれてはいない。


「よろしく」


 エリスは一言、軽く頭を下げてそう返した。

 特に、ここまで他の試合には興味が湧かなったため、どんな相手なのか、エリスには知る由も無い。そして、知る必要も無い。


 ここが戦場であれば、知らない敵と殺し合うのだから。


 先程姉から聞いた話では、詳細はよく分からなかったが、姉とキリカはまだ戦うべき運命にあると言っていた。その時の姉の視線は、強い決意と優しさに満ちていたのをエリスは感じ取っていた。


(きっと私を巻き込むつもりは無い、とか言うんだろうな……)


 だけどね、お姉ちゃん。

 私はとっくに覚悟を決めてるんだ。


 だから、どんな相手だろうと、こんな所で負けるわけにはいかない。


 エリスは、特に武装をしていなかった。彼女の本来の武装は、物理的に装備するものでは無いからだ。ここまでも、特に必要となる場面は無かった。


 今日は特に、魔術の使用制限も無い。加減さえ間違わなければ、ある程度まで使って問題無いだろう。フェルナンドも、少なくとも準決勝まで勝ち上がった以上、それなりには戦えるはずだ。


 そして、準決勝開始のブザーが会場に鳴り響く。


 先に飛び出したのはフェルナンドであった。こと、近接戦闘を得意する者にとっては、魔術師を相手にした時に最も重視されるのは詠唱時間を与えないことだ。通常の魔術師は、高速詠唱、無詠唱では威力は落ちる。そして、その集中力、思考を乱すことも、魔術師相手では特に有効だからだ。


 よく磨かれた、長槍の切先がエリスの顔面に迫る。だが、その琥珀色の瞳が閉じられることは無い。槍の切先は、眼前数センチでエリスの展開した障壁に弾かれた。




 フェルナンドは思わず笑みを零す。瞬きひとつしないとは、期待以上だ。本音では、“狂犬”もしくは、“黄金の剣姫”との決勝を楽しみにしていた。


 目の前の少女は、首席で“狂犬”の妹だと聞いているが、所詮は魔術師。学力が高く、魔術への造詣がいくら深かろうと、自分とこの槍であれば問題なく退けられるだろう、そんな思いがあったのは事実。


 しかし、実際、彼女の目に浮かんだのは、余裕であり、嘲笑であった。その表情がわざとだってことは分かっている。そして同時に、その感情が事実だということも。


「見くびっていたか……」


 小さな呟きを噛み殺しながら、フェルナンドは何度も槍を振るう。だが、エリスの障壁の前に、現時点で有効打はひとつも与えられていなかった。そして何より、エリスは未だ、立っているだけだ。まだ、一歩も動いていないのだ。


 思わず、唇の端が吊り上がるのをフェルナンドは感じた。


「この魔槍の力――――」


 フェルナンドが、そう声を上げ、自らの持つ槍の能力を発動しようとした時、既にエリスの姿はそこには無かった。


 そしてフェルナンドは、意識を失い倒れ伏した。




「ごめんね、私はお姉ちゃんみたいに戦いを楽しむ趣味は無いんだ。君の槍の能力は知らないけど、使わせてあげる義理も無いからね」


 エリスは、もう聞こえていないだろうことは承知で、倒れた少年の背にそう声を掛けた。会場は歓声に包まれているが、観客の本音は消化不良であろう。そんな微妙な声色をエリスは感じ取っていた。


 だが、優勝者に与えられる特典の為に、手段を選ぶつもりは無かったのは事実。エリスは、若干の罪悪感を抱えつつも、観客席に一礼して歓声に応えた。


 意識を失ったフェルナンドが、教師たちに運ばれていく。そして入れ替わるように、学院長のロゼッタが姿を現した。今日も相変わらず、胸元の空いた赤と黒のドレスに身を包んでいる。


「とりあえず、順当な結果か。まずは、おめでとうと言っておこう、エリス・アステライト」


 鷹揚な態度でそう告げたロゼッタに、エリスは頭を下げた。


「ありがとうございます」


「本来であれば、もう一つの準決勝のカードも気になるところではあったが……。何があったんだろうな、なぁ?」


 ロゼッタは明らかに、訝し気な視線を向けていたが、エリスは肩をすくめて返した。エリスのそんな態度を気にも留めずに、ロゼッタは続けた。


「それはさておき、早速だが先にお前の望みを聞いておこうか」


(先に……? 何をする気?)


 特に表彰式が行われるかどうかは聞いていないが、そんなことは後回しでもいい気がする。そんな疑問を押し殺しながら、エリスはロゼッタの問いに答えた。


「はい、寮の部屋割りの変更を。卒業までの三年間、姉と同じ部屋にしてください」


「は? そ、そんなことで、いいのか……?」


 ロゼッタは、思わず呆けたような返事を返した。これまでにも、王族との縁談を望むものや、異性の寮に一人だけ暮らしたいという馬鹿も確かに居た。だが、入学試験の時に直接面接したが、エリスには才能も高い目標もあるはずだ。


「ええ、勿論。私にとっては大切なことですので」


 だが、エリスは心からそれが一番大切だと言わんばかりの態度で頷いた。


「そ、そうか……。一応、我も自分で言うのも気恥ずかしいが、それなりの魔術の知識や、地位もあるぞ……?」


「では、とりあえず壁を取っ払って、二部屋分の広さにしてください。後は、そうですね、贅沢かもしれませんが、クラスも三年間同じで、席も隣にしていただけますと――――」


「もういい、分かった。全て、お前の望み通りにすることを約束しよう」


 ロゼッタは、諦めた顔で笑った。

 エリスは、何故ロゼッタがそんな表情を浮かべるのか、理解できなかった。それ以上に大切で必要なことなど、何も無いというのに。


(これで、計画は一歩前進……)


 エリスは、小さく結果に頷いたのであった。


「貴様も、もう二年もすれば成人だ。もう少し姉離れしたほうがいいと思うぞ?」


 ロゼッタはそう言って肩をすくめた。


「……考えておきます」


 その言葉を最後に、二人の間を微妙な沈黙が流れた。正直エリスは、さっさと寮に戻りたかった。朝は一方的に姉の話を聞く時間だった。次は、自分が話す番、つまりお説教の時間だ。


 だが、ロゼッタはエリスを解放する気は無いようだ。帰りたそうにしているエリスに対して挑戦的な視線を向けている。相変わらず、教育者とは思えない目だ。


「エリス、決勝も無くなってしまったことだ。貴様、消化不良じゃないか?」


「いえ、まったく」


 取り付く島もないエリスの態度に、ロゼッタは溜息をつきながら話す。


「そうか、だが、貴様に拒否権は無い」


「……知っています」


 淡々と返したエリスにロゼッタは苦笑いを零しながら続けた。


「折角だ、観客も上級生含めこれだけ集まっていることだ。我とエキシビジョンマッチと行こうじゃないか、エリス? 貴様が、力を示せば、そのうちとっておきのを教えてやろう」


 とっておきの“魔法”か……。面白い。

 エリスに心に、興味の炎が灯った。稀代の魔術師、ロゼッタ・ウォルト・メルカヴァルが教える。それに興味を惹かれない訳がない。


「――――分かりました。胸をお借りします、学院長」


「貴様の、正真正銘の本気で来ていいぞ? 全てを出し切らなければ、一瞬で終わるかもしれんからな」


 そんなことを言いながら、ロゼッタの視線が細められる。

 彼女とは、入学式以来、あいさつ程度しか会話をしていない。それにしても、舐められたものだ――。


「こんな大勢の前で、全ての手の内を晒すほど愚かではないつもりですが?」


 ロゼッタは、エリスの返答に満足そうに頷くと、ざわめく観客席に向けて魔術で拡張した声を発した。


「諸君――――。恐らく、先ほどの試合では消化不良だったであろう。もう片方の準決勝、その期待のカードも中止、それに伴い決勝も中止だからな。……そこで、だ。決勝戦に代わり、今から我と今年の優勝者エリス・アステライトのエキシビジョンマッチを行う!」


 ロゼッタの言葉に、第一訓練場は爆発的な歓声に包まれた。

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