エリスの決勝戦 1
リタとキリカが、湖畔で朝焼けを眺めていたころ。
いつも通り早起きをしたエリスは、全ての準備を終えて部屋で寛いでいた。
お茶のお代わりでも淹れようかと思っていた時、控えめなノックの音に気付いた。初夏を迎え、夜明けの時刻は徐々に早くなっている。カーテンの向こうの空も白み始めた時間帯だ。
こんな早朝から、誰だろうか。
エリスは、首を傾げながら扉を開ける。その扉の向こうに居たのは、姉のルームメイトのラキだった。
(この時間にラキちゃんが? 何かトラブル……?)
また、姉が何かやらかしたのだろうか。エリスは、そんな心配が顔に出ないように挨拶する。
「おはよう、ラキちゃん。何かあった?」
ラキは、凄く眠そうな顔だが、どこか言いにくそうに続けた。
「リタから、お前宛の手紙を預かってる。……すまない、事情は聞いてないんだが、深夜に武装して出て行ったきり、戻ってきてない。朝までに戻らなかった時には、お前にこれを渡して欲しいって頼まれてな」
「え……?」
ラキが差し出した手紙を受け取りながら、エリスは心拍数が高くなっていくのを感じる。昨日から感じていた嫌な予感。
(でも、お姉ちゃんに何かあったら分かるはず……。うん、やっぱり大丈夫)
エリスとリタの深層領域は、緊急時用の魔力回廊で接続されている。そこに綻びが無いということは、現在も無事だという事だ。
「オレで力になれることがあったら言ってくれ。それじゃ、部屋に戻ってるよ」
エリスは、何とかラキを見送ると、即座にその手紙の封を開いた。
そこには、確かに姉の字でただ一文、こう記されていた。
『どんな結末も、私は受け入れます』
その文字の意味を認識した途端、エリスの手は一瞬震えた。
(何が――――! 生きているけれど、座して死を待つ状況なんかじゃないよね!?)
エリスは即座に、オメガ・アルス・マグナの機能の内の一つを使い、姉に連絡を試みるのであった。
(これはマズい……)
リタの頭の中に、緊急コールが鳴り響いていた。発信者はエリス・アステライト。優先度は、最大――――。……今の今まで、ラキに託した手紙のことを完全に忘れていた。
横でいきなり震え出したリタを、キリカは訝し気な目で見ている。
(と、とりあえず、繋がないと――――)
「お姉ちゃん!? 大丈夫!?」
慌てたようなエリスの声が周囲に響く。一応キリカにも聞こえるようにしたのだ。心配してくれるのは、素直にすごく嬉しい。だが、あんな手紙を託しておいて、連絡を忘れてたとなれば、その後の展開は想像に難くない。
(さて、何と言い訳したものか……。)
「あ、うん、大丈夫」
「何があったの!?」
切羽詰まったようなエリスの声に、本当に申し訳なくなる。
「いや、大丈夫だから、うん。もうすぐ戻る、から、ね? 心配しないで?」
「……何が、あったの、かな?」
エリスの声の迫力に、リタは完全に敗北することになった。
「えっと、その、話せば長くなるんだけど……」
「今すぐ戻りなさい」
「はい」
横を見れば、苦笑いを零すキリカ。
「そう言えば、私も何も言わずに屋敷を出てきちゃったわ……。それから、エリスさんにも謝らないと」
罪悪感を抱いた様子のキリカにリタは肩をすくめて笑う。
「私も一緒だから、大丈夫」
まずは、皆に謝って、それからだ。
リタはキリカの右手を握って、エリスの部屋に転移した。
部屋に着いた途端、エリスが抱きついて来た。流石に胸に穴が空いた服を着て、血塗れになっていれば仕方ないかもしれない。
とりあえず、一旦キリカには屋敷に戻ってもらうことにした。公爵令嬢が行方不明では、騒ぎが大きくなり過ぎるからだ。
後ほど、出来れば集まりたいとは伝えていたがどうだろうか。少なくとも、リタもキリカも疲労が酷く、準決勝はお互いに棄権するということで一致していた。
涙を浮かべながら、胸元に収まっている妹に、リタは罪悪感を抱く。その頭を優しく撫でながら、リタは意を決してエリスに話し始めた。
「エリス、聞いて欲しい事があるんだ――――」
――――それから暫く。
少し落ち着いたエリスは、ベッドに腰掛けて、ただ静かにリタの話を聞いていた。
リタはその隣で、エリスの手を握って、昨夜の出来事を話す。
そして、全てを聞き終えたエリスは、泣き笑いの顔でこう言った。
「本当に、良かった――――!」
それはきっと、本心からの言葉であったのだろう。
彼女の表情と共に、リタの幸せを心から願うその言葉は、間違いなくリタの奥底まで突き刺さった。
なんて、私は恵まれたんだろう。こんなにも、私のことを想ってくれる家族がいて、キリカだっていてくれる。
(本当に、私にはもったいない、自慢の妹だ……)
リタの両目からも、涙が溢れた。何だか、昨夜から泣いてばっかりだ。
リタは、エリスを強く抱きしめた。首筋に顔を埋め、妹の体温に直に触れる。
「何で、お姉ちゃんが泣いてるの?」
涙声ながらも、ちょっとからかうような声色でエリスがそう問いかけた。
「だって、だって……! 嬉、しくて……。本当にッ……あ゛りがとう、エリス……。私を、受け……入れて、くれて。私の、妹で……、いてくれて――――」
「何を、今更言ってるの? それは、当たり前なの。私は、ずっと、ずっと、妹だよ。いつだって、お姉ちゃんの家族で、味方、だからね?」
「エリス――――」
堪えることなど出来なかった。
リタは、小さな子供のように、声を出して泣きじゃくった。
そして、その嗚咽は、いつしか穏やかな寝息に変わっていく。
「ゆっくりお休み、お姉ちゃん。私は、少しばかり、望みを叶えるために、戦ってくるよ」
リタの頭を優しく撫でて、エリスは立ち上がる。
もうすぐ、準決勝以降が始まる。そろそろ会場に移動しなければならない。
これから、姉とキリカの関係性は嫌でも変わっていくのであろう。どう変わっていくにせよ、姉が幸せならそれで構わない。
それでも、自分の心の奥底に、色々な気持ちが渦巻いてしまうのは仕方が無いだろう。そこまで、大人になれる程、人生経験は豊富じゃない。
ああでも、私にだって譲れない想いはあるんだ。
この人生を賭けようと、思えるものが、あるから。
(まずは、今日勝つ――――)
「行ってきます」
エリスは、リタの寝顔にそう声を掛けて、自らが定めた戦場へ歩き始めた。
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