あの日と同じ朝焼け
それから暫くの間、二人は抱き合ったまま泣き続けていた。
お互いの服を、お互いの涙が濡らしていく。避暑地でもあるこの湖畔の風は、相変わらず肌寒かったが、今はそれを感じなかった。
嗚咽が少し落ち着いた頃、どちらからともなく隣り合って座ると、肩を寄せ合った。服が汚れることなんて、どうでも良かった。それもきっと、あの日と同じだ。
そして、ほんの少しのぎこちなさと、これから先に対する期待感を抱いて過ごすのも、きっと同じだとリタは感じていた。
「ねぇ、リタ? これからは、シンって呼んだ方がいいのかしら?」
「それは、君が好きな方でいいよ? ちなみに君は?」
「じゃ、リタ、かな。……私もどっちでもいいわ」
「うーん、やっぱり。君はキリカ、かな……?」
顔を見合わせて、少女たちは笑い合う。
リタは、どこか気恥ずかしさを覚えるも、キリカの笑顔から視線を逸らせなかった。
(こんなに、近くに居たなんてね……)
「なんかさ、ちょっとだけ、どう接したらいいか、分かんない」
リタは、キリカにそう本音を告げて笑う。
「そうね……。でも、出来れば、これまで通りがいいわ。今は、ね……」
キリカもそんな曖昧な笑みを返した。リタはそれを聞いて、出来る限りはそうしようと思った。これから先変わっていくにしても、ゆっくりでいいのだ。
「キリカさ、もうちょっと早く話してくれたら良かったのに」
だからリタは、いつものように、キリカに悪戯っぽい笑みでそう話した。
「貴方には言われたくないわ」
(うん、いつも通りだ)
ほんの少し恥ずかしそうに唇を尖らせるキリカの表情に、リタは安堵した。
キリカは、私に全てを捧げる、と話した。
私も、キリカの為に生きたいって思ってる。
だけど私は、キリカはキリカ自身の幸せの為に生きて欲しいって思ってるし、私の勘違いじゃなければ、キリカだって私にそう思っているかもしれない。
(いつか、私たちは、自分の寄る辺をお互いに縋って生きることを――――。いや、それはまた今度でいいか)
今は、せっかくの君との時間を大切にしたい。
「あ、もう限界……」
キリカは、力なくその場に倒れた。リタは慌てて、彼女を抱きとめ回復魔術を掛けるも、彼女は小さく笑うだけだった。
「キリカ!?」
「大丈夫よ……。ちょっと、無理しすぎちゃったみたい」
正直に言えば、ちょっとどころでは無いのだろう。今まで、その気力だけで彼女は意識を繋いでいたが、今の自分が持ちえない力を無理やり振るったのだ。相応の反動はあるに違いない。
(それだけで済めばいいんだけど……)
リタは心の中に、浮かんだ不安を顔を出さないようにキリカに微笑みかける。今日くらいは、ゆっくり休んで欲しい。
「キリカ、家まで送ろうか?」
そんな、リタの言葉に、どこか懇願するような顔で首を振りながら、キリカはリタの手を握る。
「いえ、今夜だけは、このままで居させて? ――――今夜だけは、目覚めた時に……貴方が……居る。今日の、この日が、夢じゃないって……安心に、抱かれた……まま、眠りたい。…………ダメ?」
重たそうな瞼を必死に上げながらそう話すキリカ。眠いからか、言葉尻は子供のようで、とても可愛い。
(これで断れる人、居ないでしょ……)
「いいよ。ゆっくりお休み、キリカ。――――よく、頑張ったね」
リタは優しく、キリカに微笑みかけて、彼女の頭を撫でた。
(前世が男だって分かった君は嫌がるかな? でも、今日くらいは、こうしたい。ずっと頑張ってきた君を、認められる私で居たい)
キリカもそれに、微笑みと、微かな涙を浮かべて瞳を閉じた。
間もなく聞こえてきた寝息と、安らかな寝顔に、リタも小さな欠伸と満足げな笑みを漏らした。
夜空には、満点の星空が広がっている。いつの間にか、雲は去ったようだ。
しばらくしたら、夜も明けるだろう。
こんなにも、幸せな気持ちなんだね。
君が、好きだったこの世界で、君と生きられることが。
きっと、あの彼女が言ったように、私たちにはきっと大きな困難が待っているんだろう。
ああでも、今は凄く眠い。
久しぶりに、君の隣で、私も少し眠ろう。
リタは、キリカと手を繋いだまま、身を寄せ合うように眠りについた。
それから暫く、目を閉じていても感じる明るさにリタは目を覚ました。実際は二時間も経っていないだろうか。
気だるさと眠気を感じつつも、隣で眠るキリカを起こさないようにリタは上体を起こす。朝は弱いし、苦手だが、何となくこの朝焼けを見たいと思ったのだ。
山脈の向こうから、徐々に昇る太陽が空を染め上げていく様子を眺める。
その暖かな光が、胸を満たしていくようなそんな気分であった。
隣で眠るキリカの顔を見る。作り物のように美しい顔だ。けれど、本当の彼女は、表情豊かで寂しがり屋なのを、私はもう知っている。
「ふふ……。本当に、君で良かった。まったく、相変わらず可愛いな〜キリカは。――――そんな顔で寝ちゃって。私がまだ男だったら、とっくに襲ってるよ……。あ、でも流石に年齢的にアウト……?」
リタはそんな独り言を零しながら、キリカの柔らかな頬をつつく。
キリカの顔が徐々に赤く染まる。これは決して、朝陽のせいではない。リタは、背筋が凍ったような気がした。
「嘘……! 起き、てる……?」
だが、キリカは瞳を閉じたままだ。ほんの少し、唇の端が動いた気がする。
「キリカ……さん? ――――もしかして、聞いてました? 聞いてましたよね!?」
(これすっごく恥ずかしくない!? まだ寝たふりしてるんだけど……)
リタはさっきより強くキリカの頬をつつきながら続ける。
「起きてるんでしょ! キリカのバカ! 脳筋! 勘違い暴走少女! ポンコツ令嬢!」
リタの発言に、少しキリカのこめかみに青筋が見えた気がした。
(まだ、起きない……だと……!)
「この貧乳! まな板! ペタン娘! アウロ――――」
「貴方には言われたく無ぁぁぁぁい!!」
目を見開いたキリカは、真っ赤な顔でそう叫びながら、勢いよく上体を起こした。
「やっぱり起きてんじゃん……」
リタは、あまりの恥ずかしさに、顔を逸らした。
キリカは眠いのだろう、涙を浮かべ欠伸を噛み殺しながらも、モジモジしている。
「えっと、その……。言いたくなかったら、いいんだけれど、貴方って、どっちなの? その、性別的に……?」
「多分、女の子……、かな?」
「多分? でも、その割には、前々から私の下着とか――――」
途端に、自分の身を抱きしめるようにしながら、顔を赤く染めたキリカに、リタは慌てて反論する。
「いや、それは違う! 違わない、かも? いや、分かんないけど、君があまりにも綺麗だったから!」
そんなリタの様子に、キリカは思わず吹き出した。
「ま、それはいいわ……。それにしても、今日も綺麗な景色ね」
キリカは、その視線を湖畔を照らす眩しい朝陽に向けた。
朝露に濡れた草木を、穏やかな湖畔の水面を、そして再会を果たした二人を、祝福するように降り注ぐ暖かな光。
その朝陽は、彼女の金髪を神々しく輝かせる。
そして今日も、キリカの瞳に映る朝陽は、燃える意志のように美しく揺らめいていた。
「そうだね。今日も本当に綺麗だよ、キリカは」
九年前のあの日は言えなかった。だが、今日は言いたくなった。
「え――――?」
驚いた顔で、こっちを向いたキリカに、リタは笑う。
「本当は、あの日も私は、朝陽をその目に浮かべた君のことを、綺麗って言ったんだ」
「……相変わらず、恥ずかしいことを言うのね? でも、ありがとう」
はにかんで笑うキリカの表情は、間違いなく朝陽より眩しかった。
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