あの日と同じ場所で
リタは、自分のベッドで目を覚ました。
昨夜は、考えることが多すぎたせいか、感情が高ぶりすぎたせいか、よく眠れなかった。キリカは、よく眠れただろうか。せめてそうであって欲しいと願いながら、リタはゆっくりと立ち上がった。
体はだるいし、精神状態も良くは無い。相変わらず、胸の奥底にある不安は消えてくれない。だが、もう迷う時間は残されていない。月の日も終わったし、十分に戦える。
ラキは既に、着替えを済ませて静かに椅子に座っていた。集中しているのだろう。彼女にとって、武闘大会は退学を賭けた戦いでは無いだろうが、その闘争本能をさらけ出せる場所なのだ。
残念ながら、ラキとは反対のブロックだった。彼女と戦うことは無いだろう。あちらにはエリスが居るからだ。リタは静かに起き上がると、ラキの邪魔をしないように着替え始めた。今日は、動きやすい服で構わないらしい。
着替え終えたリタは、壁に飾っていたミスリルの長剣を手に取った。準決勝以降は、個人武装の使用が認められているからだ。魔力を通せば、手に吸い付くような感覚を覚える。リタは小さく頷いた。
そもそも、こんな学院が存在し、武闘大会でその武を競うようなことなど、前世では考えられなかったことだ。この世界は、それほどまでに、人類にとっては過酷なのだ。
実際に王国の国土も、大部分は未踏の地である。人々は点在する街に寄り添って暮らしている。そんな未知の世界を切り開くのもまた、冒険者たちの役目であったりもする。
いつしか、そんな道を自分が選ぶこともあるかもしれない。だが、まずは目先の一番大きな問題を解決しないことには始まらないだろう。
朝食代わりのスープのカップを傾けながら、リタはぼんやりとそんなことを考えていた。
この日の朝、リタとラキの間に会話は生まれなかった。だが、それで何か窮屈さを覚えたりすることも特段無い。沈黙を共有し合える間柄になったと思えば、それは嬉しい。
(でもね、キリカ? やっぱり君が一番の親友なんだ。少なくとも、まだ私はそう思ってる)
リタは、昨夜のことを思い出しながら、唇を嚙みしめる。リタは、一回戦のみシードとなっている。だから、五回勝てば彼女と相まみえることになる。
本当は、先に話しておきたかったが仕方が無い。昨夜、少しでも話せただけでも僥倖であろう。彼女は、多少は楽になっただろうか。もっと辛い朝を迎えては居ないだろうか。
だが、もう進むしかない時間だ。
戻ることなど、出来ないのだから。
もし、彼女が未だに、キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインであるのならば、今頃闘志を燃え上がらせているはずだ。ここから先は、その身を剣として、全てを薙ぎ払って突き進むはずだ。
だから、私は、それを信じて待つ。
そして、全力でそれを迎え撃つ。
それが、彼女と交わした約束であり、もう一つの対話手段だ。
(終わったら、今度こそ、ちゃんと話すから)
「そろそろ、行こうか」
リタは、静かに呼吸を整えるルームメイトに声を掛けた。ラキは、それに強い視線で頷く。
「おう!」
二人は、力強い足取りで、それぞれの戦場へと向かって歩き始めた。
エリス・アステライトは、その頃既に訓練場の前に居た。彼女もシードであったし、試合開始の時間はそこまで早くはない。首席の身として、注目されることも多い彼女であったが、決して誰かの模範となるためにこんなに早い時間に来たわけでは無い。
殆どまだ人影が見えない中、一際輝く金髪の少女の姿が見えた。
「キリカちゃん」
エリスは、数日ぶりに見る友人に、そう声を掛けて軽く手を挙げる。少し疲れが残っているような顔をしているが、とりあえず顔を見れたことに安堵した。
昨夜、姉から多少は聞いている。どうやらひどい状態であったと。
「エリスさん……。おはよう」
キリカは、どこかぎこちない笑みを返した。彼女の顔に浮かんでいたのは、罪悪感。エリスは、この時その罪悪感は、自分たちと何日も連絡を取らなかったこと、もしくは姉とのことに関するものだと勘違いしていた。
「大丈夫?」
「ええ。――――大丈夫よ」
キリカは、意図して無表情を作ったような顔でそう頷いた。
その表情にエリスは、どこか不安なものを感じた。
(何か、思い詰めている顔だ。……嫌な予感がする)
「キリカちゃん? 私は、キリカちゃんのこと、
「――――ッ! あり、がとう……」
どこか、驚いたような顔でそう返したキリカは、足早にその場を去っていった。エリスは、キリカが一瞬だけ見せた視線の鋭さと、冷たい気配に気付いていた。
(大会で気が立ってるだけ……?)
「それにしても、やっぱりおかしい……。いや、うーん。でも」
エリスは一人唸る。
彼女は、何を隠しているのだろうか。
彼女は、何をしようとしているのだろうか。
分からないが、もし、万が一。
彼女が絶対にしてはいけない選択をした時には――――。
「早まらないでね、キリカちゃん」
エリスは、深層領域で待機状態にあった複合魔法のひとつを、発動待機状態に移行しながら、自分の会場に向かって歩き始めた。
もし、太陽が出ていたのなら、朝から十分に明るく大地を照らしている季節だ。どんよりとした曇天の下、生ぬるい風を全身に浴びながら、リタは初戦の舞台に立っていた。
彼女も、ある程度注目される存在だ。それなりに視線を集めているのは、決して自意識過剰では無いだろう。足元を確かめるように、地面を革靴で踏み鳴らしながら、会場を眺める。
基本的には、入学試験と同じルールだ。
人数が多いこともあって、途中までは訓練場を四分割にして行われる。大それた開会式があるわけでもなく、だがそれぞれの生徒たちが闘志を燃やして、この場所には集まっていた。
魔術は、五回戦までは、学院の基準で初級と称されるものに使用は限られている。元より、リタは使うつもりなど無かったのだが。
相手の殺傷も、後遺症の残る攻撃も禁止だ。未遂であっても、場合によっては即退学もあり得る。これは言うまでも無いだろう。
リタは眼前に立つ少女を見据えた。
一回戦を突破したということは、ほぼほぼ退学に成らずに済む確率は高い。だが、一回戦負けでも、内容次第であるように、彼女にとってのこの二回戦は出来れば落としたく無いものであろう。
緊張した面持ちの少女に、リタはほんの少しの罪悪感を覚える。
でも、ごめんね。
私は、一秒でも早く、キリカと試合がしたいんだ。
だから、一撃で決めさせてもらうよ。
油断など無い。
慈悲も、容赦も、躊躇も、だ。
訓練場を、静寂が満たしていく。
それぞれの戦いが始まる時間だ。目の前の少女が、強い視線で槍を構えた。
――――そして、試合開始のブザーと共にリタは少女の意識を刈り取った。
リタの戦いに、名前も知らない生徒から、多くの言葉を掛けられることになった。だが、傲慢だとは分かっているが、今は上辺だけの称賛など、聞きたくも無かった。
とにかく彼女と早く会いたかったし、出来ることならその先に同じクラスで学びたい。だからリタは、ここまでの三戦全てを、一瞬で終わらせてきた。
そして現在、リタにとっての四戦目であり、この大会の五回戦の出番を待つ控室で、ひたすらに足踏みを繰り返している。
(長すぎる! このままじゃ――――)
人数が多いのは勿論のこと、やはり王立学院の生徒ともなれば、この大会への意気込みはかなりのものだろう。会場のあちこちに、熱気の満ちた声が響いている。
それぞれの戦いはヒートアップし、多くのドラマを生んでいることに違いない。もし、自分がこんな状態じゃ無ければ、友人たちの勇姿にエールを送っていたのかもしれない。
だが、徐々に時間は迫りつつあった。
今日中に終わらなかった分は、明日以降に持ち越されるのだ。
(これ以上焦らされるのは、勘弁して欲しいな……)
リタはもう何度目か分からない溜息をつく。
――――そして、彼女が五戦全てを終わらせたとき、無情にも準決勝以降は明日以降に持ち越しとの通達が下ったのだ。
リタは、誰とも話さず、肩を落として歩いていた。周囲を歩き回りキリカの姿を探したが、何処にも見えなかった。
だから、彼女から着信が入ったことに、リタはとても驚いた。頭頂部に立ち上がる髪束を感じながら、人気のない場所へ走る。
周囲を素早く見渡し、静かに通話を繋いだ。
「キリカ――?」
撥ねる鼓動を悟られないように、リタは呼びかけた。
「リタ……。今夜、あの日と同じ時間に。私と貴方の、始まりの場所で、待ってる――――」
キリカは、感情を押し殺したような声でそう言い切ると、一方的に通話を切断した。彼女も待てなかったのだろうか。そもそも、彼女には、あの場所までの移動手段はあるのだろうか。リタの脳内を疑問が満たそうとしたが、頭を振ってそれを追い出した。
いや、そんなことはどうでもいい。
私には、選択肢など、最初から用意されていないのだから。
リタは、寮へと走った。彼女が何を求めているのかは分からない。
だが、何かがそこで変わる。そんな気がした。
「ラキ、お願いがあるんだ」
――――時刻は、深夜。
リタは、神妙な面持ちで、顔を腫らしたルームメイトに声を掛けた。どうやら、名前は忘れたが槍の少年に負けたらしい。治療を提案したが、これは戒めだと断られた。
「どうしたんだ?」
少し眠そうな声色で、ラキは聞き返した。今日の反省が終わるまでは起きているらしい。
「もし、朝までに私が戻らなければ、これをエリスに」
リタは、一通の手紙をラキに手渡した。ラキは特に何も言わずに頷いてそれを受け取った。何も聞かないでくれるのは、とても助かる。
動きやすい服の上に、皮の外套を羽織る。革靴の紐をしっかりと結ぶと、リタはミスリルの長剣を手に取って腰に佩いた。
リタは、鏡で自分の顔を見る。ひどい顔をしている。両手で頬を叩くと、リタは窓を開け放った。
「戸締り、よろしくね」
「おう」
ラキがそう笑顔で頷いたのを確認し、リタは窓から外へ飛び出した。
決して暖かくはない空気を肺に取り込む。まだ、湿り気を帯びているが、雲の隙間から射しこむ月明りに、明日は晴れたらいいなとリタは思う。
リタは、暫く無音で疾走し、夜闇に紛れて転移魔法で姿を消した。
――――ここも、九年ぶりか。
リタは、静かに、あの日と同じようにリュミール湖の湖畔を歩いていた。こちらの風は少し肌寒いが、やはり透き通っている。以前見た時よりも背が低く感じられる草を掻き分けて進む。
そこに、彼女は居る。
私を、呼んでいる。
そして、草を掻き分けた先で、視界が開けた。
キリカは、真紅の鎧を身に纏い、岩の上に座っていた。月明りが照らすその髪と、瞳と、鎧のコントラストに、リタはやっぱり綺麗だと思った。
彼女は、今夜も静かに歌っていた。美しく、儚い旋律を紡ぐ唇。湖面に反射した月も、祝福するように煌めく魔素も、きっとあの日と同じだ。
時が止まったように変わらずに佇む史跡に、リタは深い感慨を覚える。
変わったのは、私と、キリカ――――。
「待たせちゃった、かな」
リタは、顔を上げた少女に声を掛けた。
「ありがとう、来てくれて」
儚く、今にも消えそうな微笑みを返したキリカは、軽やかに地面に降り立った。作り直したのか、あの日よりも大きくなっている、赤い鞘の美しい長剣を手に持っていた。
リタは、話す言葉はもう思いつかなかった。
キリカは、宝石の散りばめられた赤い鞘から、長剣を抜くとその鞘を放り投げた。
リタも、あの日と同じように右手を伸ばして、砂鉄の剣を生成する。
「始めましょうか、私たちだけの、準決勝戦」
キリカは、噛みしめるようにそう発した。
彼女が、何を考えているのか、なぜこの場所に来れたのか、リタには分からない。それでも、やるべきことは分かっていた。
リタは、右手に持った真っ黒な長剣の切先をキリカに向ける。
「
そんなリタの九年前と同じ言葉に、キリカは小さく微笑みを返した。
冷たく、寂しい、微笑みだった。
二人の交錯は、正に刹那であった――。
一瞬の合間に、凄まじい数の剣辿が煌めき、火花が周囲を微かに照らした。
キリカの動きは、九年前とは比べようもないほどの速さだ。時折混ざる、空間跳躍の魔術も含め、攻撃の幅が非常に広がっている。
リタは、いつもであれば、もっと戦いを楽しんでいた筈だった。だが、何度斬り結んでも見えてこない、彼女の心に歯噛みするしかない。
キリカが、背後に転移し、リタの首筋に躊躇の無い突きを放つ。それを一瞥もせず、右手の長剣で弾きながら、回転し蹴りつけるも、既に彼女はそこには居ない。
右前に現れた彼女は、真横にその長剣を振り抜き、それをリタの長剣が弾く。
それから、二人は数えきれないほどの、激突を繰り返した。
かなりの時間が経ったかもしれない、とリタは思う。キリカは肩で息をしている。リタは少し距離を取った。追撃しようと、キリカが空間跳躍を発動しようとした瞬間に、リタは術式破壊で出鼻をくじいた。彼女は驚いた顔をしている。リタは、ここまで単純に温存していた。使う必要も無かったからだ。
キリカには、まだ躊躇があった。
真っすぐなのに、踏み込み切れていないと感じていた。
「キリカ? 悪いけど、そんなんじゃ、私には届かないよ?」
リタのそんな言葉に、キリカは全くその通りだと思った。
彼女は、強すぎる。
そして、これから、もっと強くなるに違いない。
そうなれば、手遅れになる。彼女が、自分の大切な人と敵対した時に守れなくなる。
そして彼女は、特別だった。
これから、私にとって、もっと特別になるだろう。
そうなれば、手遅れになる。彼女が、私の、一番になってしまう。
もう、一秒だって、躊躇してる時間は無い。
ここまで、迷うとは思わなかった。
視界が明滅した気がした。
途端に、脳内を、あの人が胸を刺し貫かれた光景が満たす。
もう、やめてッーーーー!
ちゃんと、終わらせるから。
そんな景色を、もう、見せないで――――。
キリカの叫びは、声に出ることは無かった。
あの時、貴方との未来を願わなければ、こんな事にはならなかったのに。
だけど、もう手遅れだ。
時間は決して戻らない。
覚悟は、今朝、決めてきた。
キリカは、大きく息を吐いて、リタがくれた首飾りを引きちぎると、奥歯で嚙み砕いた。
「――――今までありがとう、リタ」
キリカの表情を見て、リタは返す言葉を見つけることが出来なかった。
月明りの中に、怪しく輝く両目は、鏡で見る自分と同じ目をしていたからだ。
それは、私が、世界で一番嫌いな目だ。
自らが定めた道の為に、自分自身を含めた全てを、
ああ、キリカ。
今、決めたんだね?
私を、殺すことを――――。
「貴方を、殺す――――。大切な貴方を、殺した後悔と罪に、一生苛まれながら、私は生きる。だから、お願い、リタ。私の傲慢で、自分勝手で、逃れられない、呪いで、祝福で、全てである、この誓いの前に、死んで――――」
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