今はまだ、すれ違う二人 2

 午後の授業は、担任のセシル・ニコンの魔術理論概論であった。


 授業が始まる前に、ラキが声を掛けてくれた。リタにとっては、それは単純に嬉しかったし、心配をかけて本当に申し訳なかったと思う。


 これで、全て解決しましたと言えれば、どんなに良かったことか。だが、そんなことを考えても仕方が無い。リタは、黒板の方を見ながら思考の渦に落ちていく。


 セシルは、どうやら現在廃れたと言われる、所謂時空属性の魔術について何かを説明しているようだ。とはいえ、エリスに聞いたが学院長のロゼッタも転移が使えるらしい。使える人間自体は、少ないが存在はしているのだろう。


 殆ど誰にも知られていないが、キリカだって短距離転移が使える。公にしていないのは、面倒事を引き起こすからでもあるし、彼女にとってそれは正に切り札に成り得るものだからだ。


 多くの人間が使えるようになれば、この世界の物流や情報伝達は爆発的に発達し、国々は発展していくだろう。それに、戦争での戦術も大きく変わるはずだ。だが、実際にそうなっていないのは、理由がある。実際に、リタも最初は色々な意味で苦戦したものだ。


 リタは、丁度長距離空間転移の困難さについて触れているセシルの話を適当に聞き流しながら考える。自分は恐らく、この世界の殆どの人間より長距離で転移が可能であろうと。


 だが、それにしてもノルエルタージュは異常だった。


 あれが、邪神と呼ばれた惑星魔法から流れ込むエネルギーによるものなのか、彼女の本に記されていない秘術なのか、それとも他の誰かの意志なのか分からないが、世界の位相を超えるとは、どういう理屈だろうか。


 いくら考えたところで、リタにはその法則も、仕組みも思い浮かばない。リタは、時間に干渉する魔法が苦手であったし、もしかしたらノルエルタージュと自分では時間や空間に対する捉え方が異なるのかもしれない。他の魔法とは逆で、自分の前世の常識や知識が、理解を妨げる一因になっているのだろうか。


 そうだとして、世界の位相を、理を超えた彼女との出逢いが意味するものは何だろうか。

 いつしか、それを知らなければならない時が来る、そんな予感があった。



(だけど、今はキリカ、君に早く会いたい……)


 リタの頭の中は、また最初の思考に戻る。前世で友人など居なかった自分には、親友と喧嘩した時や気まずくなった時にどうすればいいかなんて分からない。


 だから、エリスの言う通り、出たとこ勝負で全部話すしかないのだ。


(ああ、でも……。前世が男って言ったら気持ち悪いって思われるかな……。やだな)


 珍しく、黒板の方を見て何かを呟いているリタの様子に、セシルが質問をする。実際にリタは、黒板そのものを見ているわけでは無かったのだが、彼女にはそう見えたようだ。


「リタさん? それでは、長距離空間転移を可能にするために必要なことはなんでしょう? 勿論、難しい問題ですし、これは単なる思考実験に近いですから、気軽に思ったことを話してくださいね?」


 普段であれば、分からないと答えているリタだったが、彼女の頭の中はキリカのことで一杯だった。キリカのことを考えながら、その口は答えを紡いでいく。


「はい、空間歪曲を用いて行うべきと考えます。ただ、こちらの方法ですと、観測座標に対する重力偏差が引き起こす小さな歪みが、座標のズレを引き起こすことになります。そもそも、場所により異なりますが、重力勾配はアルトヘイヴンでは一定の揺らぎを持っていますよね? ですので、まずはその観測を行うための術式を構築し、変数に格納。空間概念構造体を歪曲し、一時的な連続空間に再定義するための実行関数に引数として渡す必要があります。また、非常にリスクが高い術式に成り得ますので、魔素の状況や他の術者による介入も最低限考慮して構築しなければなりません。これらを、連想配列に格納し、発動時に引数として渡すべきと考えますが――――」


 無表情で淡々と話すリタの言葉の内容に、徐々にセシルの視線が険しくなっていたころ、授業終了を告げる鐘が学院に鳴り響いた。


 途端に学院中が喧噪に包まれていくのが分かる。殆どの生徒にとっては待ちに待った放課後だからだ。三日後に武闘大会を控えた新入生にとっては、最後の追い込みの時期でもある。


 数名のクラスメイトと、セシルから鋭い視線を向けられていることにも気付かず、我に返ったリタは申し訳程度に机に広げていたノートとペンを片付け始めた。


(あれ、今何の話をしてたんだっけ? ……まぁいいや)


 リタは、胸の奥で渦巻く不安にため息をつきつつ、鞄を手に取る。


(ああでも、早く話したいっていうのは、結局自分が楽になりたいだけなのかな……? 分かんない。そうだとすれば、最低だな、私)


 そうしてリタは、自己嫌悪に苛まれながら、心配そうな顔で現れたエリスと共に、寮に戻っていった。




 だが、次の日も、その次の日も、キリカが学院に姿を見せることは無かった――――。



 いよいよ、武闘大会を前日に控えた夜、相変わらずテーブルに突っ伏しているリタに、エリスが声を掛けてきた。


「明日、だね……。キリカちゃん、来るかな?」


「――――キリカは、必ず来るよ」


 確信を持った顔でリタはそう頷いた。何故なら、約束しているからだ。彼女は、約束を反故に出来るような性格をしていない。


「お姉ちゃんとキリカちゃん、当たるのは準決勝だね。とりあえず、五回勝てば会えるよ?」


「そこは心配してないけど……」


 問題は、キリカとブロックが完全に別なことだ。途中までは、学院の訓練場全て、つまり四会場に分かれて試合が行われるのだ。恐らく、実際の試合までキリカと顔を合わせることは無いだろう。


 だが、剣を交わせば、見えるものだってあるかもしれない。

 それは、初めて会ったあの時のように。


 リタは、そう考えて無理やり自分を納得させた。それでも、漏れ出る溜息を抑えることは出来ない。


 何故新入生が武闘大会にて、更に選抜されるのか。それは、かの英雄に端を発するとも聞く。彼のような、爆発的に伸びる才能を持った生徒を見逃さないようにと。

 だが、リタがその過程を冗長に感じてしまうのは仕方が無いと言えるのかもしれない。


「私とは、決勝だね?」


 エリスはにやりと笑った。彼女とて、誰かに負けることなど想像もしていない顔だった。そんな顔を見ていれば、若干気分も楽になる気がする。


「優勝したら、ご褒美あるんだよね?」


 リタは、沈んだ心を誤魔化すように問い掛けた。それくらいの希望はあってもいいだろう。


「うん。学院長の叶えられる範囲で、ね?」


「食堂永久無料かな」


「言うと思った……」


 エリスは静かに、自分の心の中に、叶えたい希望を押し込みながら苦笑いを返した。

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