今はまだ、すれ違う二人 1

 外は、相変わらず雨が降り続いている。


 耳朶を打つ雨音。どんよりとした空。朝だと分かっているというのに、明るさを感じない部屋。リタ・アステライトは、憂鬱な朝を迎えていた。


「キリカ……」


 朝起きて、開口一番がこれだ。アンニュイを通り越して、絶望に近い表情を浮かべるルームメイトの様子に、思わずラキも溜息が漏れる。


 部屋中を、辛気臭い沈痛な空気が満たしていた。



 ラキは、腕組みをして、リタを見つめていた。彼女は最早、ラキから見られていることにも気付いていない。


 銀髪のルームメイトは、小さく何事かを呟いたかと思えば頭を抱え、朝食も摂らずに部屋を右往左往している。先日から生理で多少調子が悪いのは知っていたが、これは異常だ。


「リタ、お前大丈夫か?」


 ラキは堪らず声を掛ける。昨日の夕方からずっとこの調子なのである。正直、こっちも見ていて気が滅入る。今日は、出来るなら学院も休むべきだろう。


 そんなラキの言葉に、リタは初めてラキの存在を認識したような顔で、頷く。


「大丈夫……多分。 ――――行かなくちゃ、話さなきゃ、ダメなんだ」


 リタの言葉には、切望に近い響きがあった。何かが、報われると信じていたい人間の目だった。


「そうかよ」


 ラキは肩をすくめると、荷物を持って部屋を出る。


「先行ってるからな。来るつもりなら遅れるなよ?」


 そう笑顔を向けたラキは思う。どんな事情なのかは知らない。だが、普段は快活に笑う彼女のあんな沈痛な表情は、見ていられなかった。


 多少、仲良くなれたとは思っているが、こんな状態であれば、自分は役不足だ。それに、一人で考える時間も必要だろうと思う。だから、本音ではゆっくり休んで欲しいところではあった。


 だが、彼女が休むつもりは無いと言うならば、仕方が無い。後のことは、他の奴に任せるとしよう。


 そんなことを考えながら、閉まる扉の向こうで何かを呟き続けるリタの姿を確認したラキは、角部屋に向かって歩き始めるのであった。



「――――お姉ちゃんが、おかしい? ……えっと、その、妹の私が言うのも大概だと思うけど、いつものことじゃないの?」


 珍しく朝の早い時間に、部屋を訪ねて来たラキから、どうやら姉の様子がおかしいという事を聞いたエリスは、そんな言葉を発した。念のため、いつもの病気では無いかという事は聞いておいて損は無いだろう。


「いや、何つーか、スマン。言葉が足りてなかったな。昨日から、良く分からんが、スゲぇ落ち込んでんだよ。剣姫と直前まで会ってたからな。何かあったのかもしれんが、オレじゃ聞けなくてな……」


 ラキは何処か、罪悪感を抱えたような表情で、そう話した。姉は、ルームメイトに恵まれたようだ。


「ありがと。ちょっと様子を見てみるよ」


 実際のところ、エリスは何となく察していた。微かにだが、エリスには姉の感情が流れ込んでくる時があるのだ。それが魔力の波長であるのか、それ以外によるものなのかは分からないが。

 昨日、珍しく部屋を訪ねてこなかったことも、それが原因だろう。


 エリスはラキに改めて礼を言って別れると、足早にリタの部屋に向かった。




 ――――私は、間違った。

 リタは、自問自答を繰り返す。


 何故、あの時、両方だと、選べないと答えなかったのか、と。

 だがそれは、自明の理。


 自分が選べるのは、一人しかいない。

 それが、表情に出てしまったのだ。


 けれど、それでも、だ。

 彼女にあんな顔をさせる自分が、情けない。


 溜息をついたリタの頭を、不意に暖かい柔らかさが包み込んだ。


 ――――ここまで、気付かないとは、重症だな。

 自分のことを、他人事のようにそう感じながら、リタは声を発した。


「エリス……」


「うん」


 エリスは、優しくそう発して、リタの頭を撫でた。何だか、とても恥ずかしいが、今は何も考えられない。リタはただ、その暖かさに心から感謝した。



「――――ごめん、エリス。心配かけたね」


 暫く経ってリタは、少し腫れぼったい目でエリスに声を掛けた。彼女の制服の胸元は、微かに濡れている。


 妹のおかげで、少しだが楽になった気がする。そんなリタの様子に、エリスは安堵の表情を浮かべながら問いかけた。


「何があったのか、教えてくれる?」


 リタは、数呼吸を置いて話し始めた。遠くで、一限目の授業開始を告げる鐘の音が鳴るのを聞きながら。




 リタから、事のあらましを聞いたエリスは、姉の言葉に頷きつつも唸っていた。


(キリカちゃんの性格からして、単純な興味本位だけで聞いて、それでショックを受けたとは考えづらいんだよね……。多分、キリカちゃんも、何か抱えているものがあるはず……。お姉ちゃんが、まだ私に話していない事?)


「ねぇ、お姉ちゃん? 私には、お姉ちゃんとキリカちゃんみたいに、特別だなって感じる親友は居ないからさ、上手くアドバイスは出来ないんだけどね。――もし、本当に、特別だと思うんだったら、本当のことを話すのも、一つの選択肢だよ」


 エリスのそんな言葉に、ベッドに腰掛けたリタは苦虫を噛み潰したような顔で俯く。

 それは、何度も自問自答したことだったからだ。


 だが、話せなかった。


 彼女との関係が変わるのが怖かった。

 彼女を自分の事情に巻き込み、傷つけてしまうのが怖かった。


「そう、だね……。そうだよね」


 リタは、両手両足に力を込めた。


 このままじゃ、ダメだ。

 このままじゃ、私が嫌だから。



 キリカ、君に私の秘密を話す時が来たみたい――――。



 君と出逢ったことの意味を、私は確かめなければならない。

 あの場所で君と出逢った理由を、あの時感じた感情の正体を。


 君が、私の待ち望んだ人なのか、そうでないのかを、確かめる時が来たんだ。



 ――――例え、その結末が、悲劇であろうとも。



 リタの両目に、確かに意志の光が灯ったのが見える。

 エリスは、リタの右手を取って立ち上がらせた。


「行こうか、お姉ちゃん」


「うん!」


 既に時刻は昼。今から昼休みを迎える時間帯だ。彼女に約束を取り付けるのには、丁度いいだろう。多少、教師から何か言われるかもしれないが、それは仕方ない。


 姉妹は、手を繋ぎ、校舎に向けて歩き出した。




 だが、キリカの教室に到着した二人を待ち構えていたのは、思いがけない状況であった。


「え、休み?」


 名前も知らない、キリカのクラスメイトに、リタは思わず聞き返した。


 覚悟を決めて来たというのに、拍子抜けだ。それに何より、この胸が締め付けられるような感覚を、まだ感じながら過ごすのは、正直しんどい。


 だが、彼女の家に押し掛ける訳にもいかないだろう。もし、自分と同じ理由であれば、少し落ち着くまでの時間が必要かもしれない。自分には、エリスが居てくれたが、彼女にはどうだろうか。本当は、私がそうなりたかった。そうあるべきだった。


 だから、もう一度、君に会って話さなきゃいけない。


「ええ。今朝、執事の方がいらっしゃって、体調が悪いから休むと仰ったそうよ」


 上品な仕草で、しっかりと答えてくれたキリカのクラスメイトに、礼を言った二人はリタのクラスへ向かっていた。リタの足元は若干ふらついていた。


「お姉ちゃん、大丈夫? やっぱり休む?」


 エリスは、リタの腕を支えながら、心配そうな表情でそう問いかける。


「部屋に居たら、もっと気が滅入りそうだから。午後は、一応出席する」


「分かった。無理しないでね?」


「ありがとう、エリス」


 そうして、自らの教室の扉を潜ったリタに、教室で昼食を摂っていた生徒たちの視線が突き刺さる。そう言えば、初めての遅刻だなとリタは思う。奇跡的に、この二か月弱は、入学式を除いて遅刻も欠席もせずに通っていた。


 だが、そんなことは、どうでも良かった。周囲の視線を無視し、真っすぐ自席に向かうリタ。

 足早に、自分の席についたリタは、そのまま机に突っ伏した。


(早く、会って話したい……。前世で友達が居なかった私には、キッツイな)


 リタの大きなため息が、机の表面を湿らせていく。

 彼女は、午後の授業開始の鐘が鳴るまで、昼食も摂らずそうしていた。

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