今はまだ、親友の二人 3

 リタは、喉の渇きを覚えて目を覚ました。


 まだ早朝とも呼べる時間だろう。薄暗い部屋には、窓枠を滴る雨露の音が響いている。

 どうやら、今日も雨のようだ。


(そっか、あのまま寝ちゃったのか……)


 リタは、上体を起こす。隣では、エリスが寝息を立てている。エリスを起こさないように、そっとベッドから足を下したリタは、静かに台所に向かって歩く。

 下着の中が少し気持ち悪い。後でナプキン、変えないと。そんなことを、冴えない頭で考えながら綺麗に洗われたグラスを手に取った。


 そのグラスに水を注いだリタは、ふと気になって、その水面に映った自分の顔を眺めた。ぼさぼさの髪に、眠そうなオッドアイが揺れている。


 今日も、私は私だ。


 その現実に安堵の息を漏らすと、一息に飲み干す。少しだけ、口の端から漏れた水滴が頬を伝い首筋を濡らす。それを乱暴に拭ったリタは、グラスを置いてベッドに歩いた。


 寝転がったリタは、妹の寝顔を眺める。自分も目を閉じれば、こんな顔をしているはずだ。


 第二次性徴を迎えたからだろうか。最近どうにも、不安定な気がする。


 例えば、女の子として少女の肉体を持て余したような感覚。

 例えば、自分という存在が薄まって揺らいでいるかもしれないという感覚。


(生理中だし、雨のせいかも……。まぁ、それは今度でいいや)


 リタは、エリスの頭を抱えるように抱きしめる。その穏やかな寝息のリズムと、十数年を共に過ごした匂いに、リタはすぐに眠りに落ちていった。




「お姉ちゃん、起きて? 起きないなら――――」


 そんな妹の声が聞こえる。気だるさと眠気で、瞼が非常に重い。

 どうやら上半身を軽く揺さぶられているようだ。数か月までは、毎日のように感じていた懐かしい感覚であった。だが、数か月前よりは、少し弱めな気もする。


 そんな違和感を感じつつ、リタは薄っすらと瞼を開いた。


 目の前にあった、少し驚いたような、しまったと言いたそうな妹の顔。その髪の毛がリタの頬を撫で、くすぐったさに身をよじる。


「おはよう、エリス」


「……おはよう」


 何とも言えない表情で、ベッド脇に屈んでいたエリスはゆっくりと立ち上がる。部屋には、美味しそうな匂いが漂っていた。

 寮の食堂でも良かったが、きっとエリスのことだ。自分のことを気遣った朝食を作ってくれたのだろう。リタは、伸びをして身体をほぐすと、台所に向かって歩く。


 制服で台所に立つ、エリスの首に後ろから手を回す。


「いつもありがとう、エリス」


 エリスは、耳元で告げられたそんな言葉に、耳を赤くしている。


「……どうしたの? 急に」


「ううん……。よく出来た妹だと思って」


 そう言ってリタは、エリスのうなじに顔を埋めながら、彼女の頭を撫でる。

 エリスは、二人分の食器に、出来たての朝食を盛りつけながら、その温もりを感じていた。




 姉妹は、一つの傘の中で寄り添いながら校舎を目指していた。傘の内側は、リタが張った魔術障壁で快適に保たれており、濡れることも無い。

 そう考えれば、傘など必要は無いのだがこんな時間も大切なのだと、もうリタは知っていた。


 学院の特性上、敷地内での魔術の使用は認められている。とはいえ、年頃の、特にプライドの高い少年少女たちが多く集まる場所では、その自制心だけに頼ることは出来ない。


(そういえば、学院の敷地内って魔術監視結界があるらしいけど、どれくらいのレベルなんだろ……)


 リタにも仕組みは分からない――そもそも、興味も無い――が、攻撃性の高い魔術が発動される兆候が観測されると、警報が鳴り、術者は恐ろしい目に遭うらしい……。それで退学になった生徒も、それなりに居るとエリスから聞いた。




 そんなことを考えている間に、二人は校舎に到着した。エリスは濡れていない傘を丁寧に畳んで、手を振っている。そのまま廊下で別れたリタは、仮クラス四組の教室へ向かう。


 廊下には相変わらず多くの生徒たちが雑談に興じる姿がある。こっちを向いて噂話をしているのも、多少慣れてきたところだ。


 教室に入るなり、珍しく早く来ていたラキが声を掛けてきた。


「おっす、リタ」


「おはよう、ラキ」


「朝帰りとは、大胆だな? 男か?」


 冗談めかしてそんなことをのたまう彼女の言葉に、一瞬静まり返る教室。続くリタの言葉に、注目が集まる。


「な訳ないじゃん。エリスの部屋で寝ちゃってただけだよ」


 淡々と答えたリタの返答に、集中していた視線が霧散していくのを感じた。


(皆、本当に好きだよね、こういうの)


「だよなー。そう言えばよ、さっきユミアとか言う奴が訪ねてきてたぞ?」


 ラキの言葉に、リタは彼女に頼んでいた用事を思い出した。数回の打ち合わせで進捗は聞いていたが、やはり完成したのだろう。今度、とびっきりのお礼を作らないと。


「ありがと。後で会いに行くよ」

 

 今日も、一日が始まる。

 自分の席についたリタは、新作装備の性能試験概要を取りまとめるために、自分のノートを開くのであった。




 時間は流れ、放課後。


「おい、“狂犬”? 模擬戦付き合えよ!」


 目の前には、腕組みしている赤髪の少年。多少丸くなったようだが、レオンは相変わらず偉そうだ。正直、リタと接する態度はアレクより尊大だった。

 尚、雨は降っているが訓練場の屋根は開閉式のため、今日のような日でも使用可能だ。だが、校庭が使えない分、課外活動に励めない生徒たちも集まって人が多いのが難点であるが。


「ごめん。ちょっと気分悪いから、今日はパス。――アレク!?」


 そう言って、リタは席を立つと後方の席で寝ぼけている、第四王子に声を掛けた。

 継承権は無いと聞いているが、大丈夫か? こんな調子で。リタは、自分のことは棚に上げて、王国の行く末を心配する。


「お、おい、狂犬――――」


「いいから。レオンだって興味あるでしょ? アレクって、意外と剣の筋いいんだよ?」


 後ろから聞こえるレオンの声を振り返った笑顔で躱して、リタは豪奢な机に向かって歩く。普段の実技の授業では、中々クラスメイトからまともに打ち合ってもらえないと、以前漏らしていたアレクにも丁度いいだろう。

 アレクは、寝ぼけ眼を擦ると、欠伸を噛み殺しながら返事を返した。


「どうか、したのか?」


「アレク? ちょっと、お願いがあるんだけど――――」


「嫌だ」


「待って。早くない!?」


「いやいや、自分の普段の態度を振り返って見て!? ――――って、イテェ!?」


 リタはアレクの耳を引っ張って引き寄せる。


「そういうとこ! そういうと・こ・ろ!!」


 リタは、騒ぐアレクの声を無視して、屈んで耳元に口を近づけると小声で話した。


「あのさ、レオンがアレクと模擬戦したいって。あいつさ、身分とかにうるさいじゃん? だから声掛けづらいんだって」


「そ、そうか……。よし、分かった。それなら、付き合ってやらないとな」


 真っ赤になった左耳を抑えつつ、アレクは立ち上がった。これは、クラスメイトと仲良くなれるチャンスだ。初日はすぐに帰ったからよく知らないが、リタとレオンも、喧嘩して仲良くなったとかそんな話を小耳に挟んだ気がする。


 所在なさげに、こちらを見ている赤髪の少年に、アレクは意を決して声を掛けた。


「――――レオン、俺と手合わせ願えるか?」


「は、はい! 殿下!」




 若干の誤解はありつつ、一方は嬉しそうな顔で、一方は緊張した面持ちで、訓練場に向かった少年たちを見送ったリタは寮への道を急ぐ。


 昼休みに、約束は取り付けていたのだ。

 あまり気分は良くない。性能試験は後日にするしかない。だが、せめて一目見て、羽織ってみるくらいは許されるだろう。


 ユミアは、部屋で既に待ってくれていた。扉を開けた瞬間に、大きな箱を手渡してくれる。


「大儀であった。ユミア。先日の倍以上の礼は出すと約束しよう!」


 リタはアニメで見た敬礼をユミアに送った。


「リタちゃん! ありがとうございますぅ! この前の、すっごく美味しかったんですけど、ルームメイトに取られちゃって。私のルームメイトもすっごく美味しいって言ってましたよ?」


 そのまま、少しの間ユミアの部屋で世間話に興じていた。どうやら、学術試験は無事に突破できそうということだ。試験自体は武闘大会とは異なり、既に実施されていた。それは、本当に良かったと思う。

 この装備の製作に時間を取られて、退学しましたじゃ、流石のリタも罪悪感が凄い。元々、空いた時間で構わないという事は伝えていた。


 そして、ルームメイトが戻ってくる前に、ユミアの部屋を退散したリタは足早に自室へと向かう。浮足立った足音を必死に隠し、誰にも見られずに、無事に部屋への搬入に成功した。


 部屋に入るなり、早速開封したリタは、その出来栄えに笑みを零す。即座に服を脱ぎ去ると、早速着替え始めた。


 黒の伸縮素材のシャツに袖を通す。前世で言うタートルネックのTシャツの形に近いだろうか。注文通りの形状と、中々の着心地だ。その上に、いくつかの収納が付いた厚手のベストを羽織る。

 

 そして、多くのポケットが付けられた黒のタイトなカーゴパンツを履き、ベルトで締め上げた。

 別で用意していた、革製のグローブとロングブーツも、勿論黒だ。


 そして、上からフードのついた、漆黒のロングコートを羽織る。ひざ下まである長さも、袖や腰回りのタイトさも、完璧にフィットしている。

 リタはフードを目深に被ると、最後に魔道具が仕込まれた眼帯を右眼に装着する。


 全身を、真っ黒な装備で覆ったリタは、意識して見ないようにしていた全身鏡の前に移動した。


「クソカッケェ!」


 思わず、汚い言葉が出てしまった。


「たまんねぇ! たまんねぇな、オイ!」


 鏡の前で夢中でポーズを取りながら、リタは狂喜乱舞していた。最早、気分が悪かったことなどとうに忘れている。

 これこそ、――――これこそが、求めていたもの。


 この姿で、月夜を駆ける自分の姿を妄想しながら、リタは鏡に向かって回りながら大見得を切る。


(翻るコートの裾こそ至高!)


「我こそ、常闇の執行者なり――――!」


「……何やってんだ?」


 リタは、鏡に映る自分の後ろで、呆れかえった顔のルームメイトを見つけて、壊れた歯車のようにがくがくと震えながら振り返った。


 ラキの後ろには、キリカが居た。何処か気まずげに、小さく手を振っている。


「ギィヤァァァァァァアア!!!」


 その絶叫は、寮中に響き渡ったという。

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