今はまだ、親友の二人 1

 一雨、来そうだね――――。


 リタは、湿り気を帯びた風を肌に感じながら、そんなことを思う。もう一週間もすれば、待ちわびた武闘大会の日がやってくる。


 相変わらず、校内は賑やかであったが、徐々に張り詰めた空気を醸し出しつつあることには、流石のリタでも気付いていた。今日クラスで会話を交わした生徒の誰かが、きっと居なくなる。それが、自分かもしれないと感じる生徒も多いだろう。


 今日も訓練場では、多くの生徒たちが必死に自分を高めているはずだ。

 数は少ないが、学術試験を受ける者たちは、今頃図書館や研究室に入り浸っていることであろう。因みに、リタの知り合いの中ではユミアだけがこちらの試験を選択していた。


 だが、リタは純粋に同級生と戦うことが楽しみであったし、その先にあるはずの妹や親友と過ごす時間を信じて疑わなかった。


 実際に、数回の実技の授業を経て、それは確信に変わりつつある。しかし、どうやら件の大会はトーナメント形式で実施されるらしく、くじ運次第では強敵が潜んでいないとも限らない。負けるつもりなど微塵も無いが、油断だけはしないようにしようと気を引き締めるのであった。



(そろそろ、ユミアも作業終わった頃だろうし、性能試験もやりたいんだけどな……)


 リタは見上げた先にある曇天に、溜息をつきつつ、女子寮へ向かって歩みを進めていた。

 今日は何もやる気が出ない。何故なら、あの日だからである。


(相変わらず気持ち悪いなぁ……。部屋に戻ったら夕食までひと眠りしよ)


 二の腕に巻かれた包帯の中には、改良を重ねた極小の針型魔道具が納まり、皮膚に刺さっている。前世でも遥か昔に途絶えた、鍼灸みたいだなと益体も無い事を考える。


 周期的には、エリスも同じはずだが、彼女はリタよりも大丈夫そうだった。クラスメイト達と和やかに魔術談議に興じていたのを確認し、リタはさっさと退散してきたのだ。


 妹は少しずつ、自分の世界を広げているのだろう。夜は毎日会話を交わしているが、クリシェで暮らしていた時のように、四六時中一緒に居るという事は少なくなった。


 リタにはそれが少し寂しいような、嬉しいような、複雑な気持ちであった。


 実際のところ、エリスもリタと過ごしたいのは山々であった。だが、クラスメイト達からはその知識の深さを買われ引っ張りだこであったし、それらが及ぼす影響と繋がりが、必ず将来役に立つと見越してのことと割り切っていたのだ。


「久々に、母さんに連絡してみようかな……」


 リタの口から、思わずそんな呟きが漏れる。

 生理中で少々不安定になっているからか、家族の声が聞きたくなったのだ。


(そういえば、父さんは毎日連絡しろとか言ってたけど、もう一週間もしてないや……)


 リタは、きっと家で寂しがっているだろう父のことを思い出し、思わず口元を綻ばせた。そもそも、この世界で遠距離通信手段を個人で持っている存在なんて殆ど居ないというのに、贅沢な悩みだ。


 そんなことを考えながら、歩みを進めていると、後ろから駆け寄る足音が響いた。その音は、振り返らなくても分かる。


「もういいの、エリス?」


 隣に並んだ妹に、リタはそう問いかける。


「うん。お姉ちゃん、きついんでしょ?」


 エリスは、心配そうな顔でリタを覗き込んでいる。自分も多少はきついだろうに、よく出来た妹だ。


「うん、凄くだるい」


 そんなリタの声に、微笑みながらエリスは隣を歩く。


「後でキリカちゃんも来てくれるって」


「へ?」


 思いがけない妹の言葉に、思わずリタは首を傾げる。


「さっき廊下で会ったんだけどね。お姉ちゃんがいつものアレでさっさと帰ったって言ったら、家にあるハーブティーを持って来るって言ってたよ? 前にキリカちゃんが飲んでみて、凄く落ち着いたからって」


「そうなんだ」


 エリスの言葉に、思わず笑みを零してしまうのは仕方が無いだろう。


 キリカは普段、周囲の人間とは一定の距離を置いて接している。会話にも応じるし、笑みも浮かべるが、決して相手にも踏み込ませないし、自分から歩み寄ることも無い。


 クラスメイトからも、どうやってあの孤高の剣姫と仲良くなったのかと、何度も聞かれるくらいだ。


 だからこそ、そんな彼女が自分のことを案じてくれるのは、とても嬉しい。


「全く、相変わらずお姉ちゃんに甘いんだから」


 だらしない笑みを浮かべるリタに溜息を吐きつつも、エリスも穏やかな笑みをたたえていた。




 自分の部屋に荷物だけ投げ込んだリタは、さっさとエリスの部屋に置いてある部屋着に着替えると、妹のベッドを我が物顔で占拠していた。


「エリスー。制服綺麗にしといてー」


 脱ぎ散らかされた、まだ姉の温もりの残る制服を拾いながら、エリスは呆れた声で返した。


「はいはい。私は、どうしたらこんなに皺が寄るのか聞きたいよ……」


 そんなことを言いながら台所に向かうエリス。姉の死角に入ったところで、一度思い切りその制服に顔を埋めて匂いを嗅いでから、洗濯の準備に入る。


 台所に溜めたお湯と衣類用の石鹸で手洗いし、魔術で皺を伸ばしながら乾燥させていく。


「料理も洗濯も掃除も完璧、流石は我が妹……」


 力の無い声で、そう発したリタの声を背中で聞きながら、エリスは笑顔で茶菓子の準備に取り掛かるのであった。




 ――――程なくして、キリカが荷物を持って訪ねて来た。


「相変わらずね、リタ?」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべるキリカに、リタは苦笑いを隠せない。彼女は毎回こうなのだ。数年前にからかっただけだというのに、ここまで根に持たれるとは思っていなかった。


 恐る恐るベッドの方に近づくキリカに、エリスは声を掛ける。


「痺れないから大丈夫だよ?」


「分かってるわよ!」


 そんな微笑ましいやり取りをする妹と親友に、リタは胸が満たされていく感覚を覚えた。もうこれだけで、十分に穏やかになれる。


 エリスは早速、キリカの持って来てくれたハーブティーの茶葉を蒸らしている。部屋中を爽やかで、気品のある香りが満たしていく。


 手持無沙汰にベッド脇に置かれた椅子に腰かけるキリカが、小さな欠伸を噛み殺したのを見て、リタは声を掛ける。


「キリカ寝不足? 一緒に寝る?」


 そう言いながら、リタは隣の空間を手で叩く。


(とはいえ、本当に寝るとか言われても、私が落ち着かないんだけど……)


「昨日ちょっと、調べものしてたの……。寝るのは――制服に皺が寄るから、やめておくわ」


 キリカは、ほんの一瞬の逡巡を経て、そう言った。

 そんな彼女が可愛くて、リタはからかうように続ける。


「私の部屋着あるよ? 多分、サイズ的には余裕だと思うけど」


 リタの発言に、キリカは半目で反論する。


「何処見て言ってるのか知らないけれど、私の方が身長も、貴方より上よ」


 どうだと言わんばかりに胸を張るキリカがとても可笑しくて、リタは吹き出す。


「一応言っとくけど、私とキリカ殆ど変わらないよ?」


「変わります!」



 そんな二人の、醜い言い争いに終止符を打つように、エリスが三人分のティーカップを持ってきた。リタは上体を起こすと、礼を言ってまだ熱いそのカップを受け取る。


 吐息を何度も吹きかけ、その表面をちびちびと舐めるように飲む。

 そんなリタの様子に、先ほどからかわれたのがよっぽど悔しかったのか、キリカが笑う。


「リタ? そんなに熱いの?」


 リタは前世から猫舌だった。

 いつも熱々の食事とは、壮絶な戦いを繰り広げているのだ。


 悔しくなったリタは、違う方向を向きながら、キリカがティーカップを傾けた瞬間に、魔術で加熱した。


「熱――――ッ!!」


 キリカのツーサイドアップにまとめられた髪の束が、まるで飛び跳ねたように動く。


「――――何だか最近、キリカちゃんも、お姉ちゃんみたいになってきてるね……」


 エリスは溜息をつきつつ、横で舌を出しているキリカに苦笑いを零した。姉の仕業という事は勿論分かっている。案の定、リタの方を見れば、目を逸らされる。


 とりあえず、ハーブティーの効果では無いかもしれないが、姉もすっかり回復したようだ。

 もうすぐ、横でヒイヒイ言っているキリカも姉の仕業だと気付くだろう。


 この先の展開は容易に想像が出来る。

 零さないうちに、飲んでしまおう。


 エリスは口に広がる優しい渋みと、鼻を抜ける清涼感をゆっくりと味わいながら、心からの笑顔を見せるリタの横顔を眺めていた。

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