甘味処アステライト 3
「はい、お待たせ~」
リタはテーブルに、キリカの分のクレームブリュレと三人分のレアチーズケーキを並べていく。エリスから貰っていた割と高めの茶葉で淹れた紅茶もセットだ。
ラキは普段紅茶は飲まないし、リタも紅茶を淹れるのは得意では無い。そのため、先ほどまでは出していなかったが、流石にキリカも訪ねてきているのにお茶も出さないのは悪いだろうと思ってのことだ。
「お、待ってました!」
待ちきれないとばかりに、自分の皿を引き寄せるラキに苦笑いを零しながら、リタは折角なのでキリカの目の前でクレームブリュレの仕上げを行う。キリカもその様子に少し驚いているようだ。
チリチリと音を立てながら、溶けた砂糖が透明になり、やがて焦げ目がつく。甘い香りがキリカの鼻腔をくすぐる。
「はい、キリカ」
リタは笑顔で、銀製の立派なスプーンを差し出した。普段使用している物とは異なる来客用である。キリカが礼を言いながら受け取ると、リタもテーブルにつく。
(椅子、一応多めに買っといて良かった)
キリカは、何処か所在なさげに視線を揺らし、口を開いた。
「ちょっとリタ? そんなに見られると、食べづらいんだけど……」
「ごめんごめん、つい」
リタはそう笑みを零すと切り分けたレアチーズケーキの皿を引き寄せる。ラキはさっさと自分の皿に乗ったチーズケーキを豪快にフォークで突き刺しては、口に運んでいる。
「うまっ!」
そんなラキの叫びに、キリカはどこか驚いたような顔をしながら、意を決したようにカラメルごと黄色のクリームをスプーンで掬うと、上品に口に運んだ。
口に入れた瞬間に、目が見開かれ、咀嚼のたびに頬が綻んでいく。その様子にリタは深い満足感を抱いた。
「美味しい――――!」
キリカの思わず零した声と笑みに、リタとラキも破顔する。
リタの得意げな顔に気付いたキリカは慌てて、その表情を引き締める。少し恥ずかしかったのか、若干頬が朱に染まりつつあるキリカは、普通の年頃の少女のようでとても魅力的だった。
「そうだろう、剣姫? 知っての通り、こいつは頭はアレだが、菓子を作る才能は一級品なんだ」
どこかからかうような顔で、ラキはキリカにそんな言葉を投げる。
「なんでラキが得意気なの? ――というか頭がアレってどういうこと!?」
ルームメイト同士のやり取りに、小さく笑い声を零しつつキリカは紅茶を口に含んだ。徐々に眉間に皺が寄っていく。
「リタ? お菓子はとても美味しいけど、紅茶はもう少しどうにかならないの? エリスさんは、あんなに淹れるのが上手なのに」
よっぽど先ほどのやり取りが恥ずかしかったのか、キリカからの口撃を受けたリタはすかさず反撃する。
「あはは……普段自分で淹れないから。――――だったら次は、キリカが淹れてよね」
そんなリタの言葉に、目を逸らしつつキリカは呟く。
「えっと、それは……ちょっと……」
少しずつ言葉尻が小さくなっていくキリカの声に、笑いながらリタは返す。
「冗談だよ! こっちも食べて!」
そう言いながらリタは、チーズケーキの乗ったお皿とフォークをキリカの方に置く。キリカは次は躊躇せずにチーズケーキを口に運んだ。
目を閉じ、咀嚼しながら何度も頷いた彼女は、リタに満面の笑みを返した。
「こっちも、凄く美味しい! リタ、貴方将来お店でも開いたら?」
「ありがと」
キリカのそんな言葉を、リタは笑って濁した。
彼女の言葉はとても嬉しい。
それでも、自分には成さなければならない事がある。
だから今は、彼女のその言葉だけで、十分だ。
そうして三人のお茶会は和やかに過ぎていく。
ラキがリタとキリカの出会いに、興味を示していたため、リタは当時のことを話した。リュミール湖の湖畔で、出会って早々模擬戦をしたという話をすると、ラキは大笑いしていた。キリカも少し恥ずかしそうだった。
「それじゃ、そろそろ」
日も大分傾いてきた。名残惜しそうにキリカは席を立つ。
「送ってくよ。ラキ、片付けはお願いね」
リタもそう言って立ち上がる。ラキは気だるそうな返事を返して、キリカに別れの挨拶を済ませた。
校門を出たキリカとリタは、ゆっくりと貴族街を歩いていた。いつか、王都観光をした時も、夕日の中一緒に歩いたなと思い返しながら。
「何だか、ちょっと自信無くしそう。リタって、剣でも魔術でも私より先を行ってるし、あんなに美味しいお菓子も作れて女の子としても凄いし……」
その声に、寂しさを滲ませながらキリカは呟く。横を見れば、やっぱりあの時と同じように、彼女は黄金に輝いていた。リタはそっと、キリカの手を握る。
「そんなことないよ。私は……、キリカの在り方に憧れてる。真っすぐで、一途で。君の存在に、何度も救われたんだ」
「何言ってるのよ……もう」
握った彼女の手に、少し力が入るのを感じた。横を向けば、少し耳が赤いようにも見える。
「ねえリタ、お願いがあるの」
建物の陰で、急に立ち止まったキリカが、そう切り出した。
「何?」
「武闘大会の日、本気で私と戦ってくれる?」
キリカは真っすぐに、リタの両眼を見据えている。
その覚悟に、リタは応えるべきか、一瞬迷った。
――――だが、きっと彼女は折れない。
他でもない、キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインという剣は、絶対に折れない。
リタはふっと笑みを漏らすと、キリカに告げた。
「……そうだね。キリカにその覚悟があるんだったら、私の全力を引き出して見せてよ」
殺すつもりは無い。だが、彼女が望むなら、徹底的な敗北を刻み込んでやろう。
「リタ? 前に約束したわよね? 私の本気、見せてあげるから」
二人とも、途中で他の誰かに負けることなど、微塵も考えていなかった。
そして、この時リタは、後にこの発言がどんな事態をもたらすことになるのか、まだ知らなかったのだ。
歩き出した二人が、建物の影を出た瞬間に、眩しい夕日が出迎える。
夕日が照らすキリカの両眼は、黄金の炎を灯していた――――。
キリカを送っていったリタは、両手に荷物を抱えながら、音を立てずに女子寮の廊下を歩いていた。幸いにも誰にもすれ違うことも無く、ここまで来れた。
間違いない、この部屋だ。リタは素早く扉をノックする。
「はーい! どなたですかぁ?」
リタのノックに、間延びしたような声が返される。そして、紫髪の少女がゆっくりと扉を開いた。
「あ、リタちゃ――――」
リタは、左手でユミアの口を塞ぐと、滑り込むように部屋に入った。この時間は、ユミアのルームメイトは居ないはずだ。
リタは素早く見渡すが、やはりルームメイトの姿は見えなかった。安堵の息が漏れる。
リタはそのまま、無言で部屋の中に歩いて行く。
「あ、あの~」
振り返れば、ユミアは不審げな視線をリタに向けていた。
リタは姿勢を正すと、ユミアに告げる。
「ユミア大尉。折り入って相談がある」
「は、はい?」
ユミアは呆けたように首を傾げている。
「大尉は、裁縫が非常に得意だと聞いているが、間違いないか?」
「え、ええ。孤児院では、他の子たちの服も含めて、それなりに作っていましたけど……」
「返事はサーと言いたいところだが、仕方が無い。早速だが、これを見て欲しい」
リタは荷物の中から、大きめの羊皮紙を取り出して、ユミアの机に広げた。そこにはリタが夜な夜な書き連ねてきた設計図と文字が並んでいる。
「えっと、とても味のある絵ですね?」
そんなユミアの発言を、リタは苦笑いで躱しつつ、荷物を漁る。その中から、買い集めていた繊維を改良したものと、数年前に王都で購入した黒い外套を取り出して並べた。
「これは、新装備の設計図である。材料は、こちらに」
「は、はぁ?」
「この任務は極秘任務である。まず、大尉にはこのコートを、指定する特殊繊維で改良し、私の背格好に完璧にフィットするように仕立て直して欲しい。それから、次にこの眼帯に必要となる機能だが――――」
それから暫く、部屋にはリタの熱のこもった言葉と、ユミアの間抜けな返事が響いていた。
「――――はい、大体分かりました。出来るか分かりませんが、やってみますね?」
「そうそうユミア! これ、私が作ったお菓子。甘いものが好きって聞いたから、頑張って作ったんだ。いい出来だったら、もっと沢山作ってくるから、頑張ってね」
途中で飽きたのか、すっかりいつも通りの態度でリタは笑う。そしてリタは、昼間に拵えた自慢のお菓子をユミアに手渡した。箱一杯に詰めてあり、それなりに量がある。
「ありがとうございますぅ! ちょっとだけ、今食べてもいいですか?」
その箱から漂う甘い香りに、ユミアは満面の笑みである。
「うん、勿論!」
リタは、小さめのクレームブリュレの容器を取り出すと、ユミアに手渡した。ユミアは小走りで台所から可愛らしいスプーンを取ってくると、丁寧に神への祈りを捧げて、口に入れた。
(お祈りちゃんとするんだ……教会の孤児院出身だもんね)
「――――ッ!! 凄く美味しいです!!!」
感激したように、目を輝かせるユミアに、リタは賭けに勝ったことを確信した。
「それからユミア? この依頼のことは、絶対に誰にも話さないでね? 特に、エリスにだけは!」
そんなリタの言葉に、ユミアは首を傾げつつも、了承の返事を返した。
「あ、はい分かりました……。でも、エリスちゃんだったら、とっても上手な絵で説明してくれそ――――」
危険な発言をし始めたユミアの声を遮ってリタは声を発した。
「ユミア!? ――絶対に、エリスに絵を描かせたらダメだよ」
「えっと……、どうしてですか?」
「ユミアの想像を絶する虚無が待っているから」
そう言ったリタの目は完全に死んでいた。
ユミアはいつか、エリスの描いた絵が見てみたいと心から思うのであった。
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