甘味処アステライト 2

「冗談とはいえ、そんなに全力で拒否られると多少は傷つくんだが……」


 ラキは苦笑いでこちらを見ていた。勿論冗談だということはリタにも分かっている。リタは笑いながら返した。


「だって、ラキってさ、朝は弱いし、片付けは出来ないし、脳筋だし、おバカだし――――」


「お前がそれを言うな!」


 そんなラキの叫びを肩をすくめて流しつつ、リタもテーブルにつく。そして手早く自分の分を仕上げると、スプーンで掬って口に運ぶ。


 口の中で広がる甘みと鼻を抜ける華やかな香りに、思わず笑みが零れる。その味は、前世食べた物よりも、遥かに美味しかった。


 前世で食べた色々なお菓子も、母親の愛情が籠っている特別な体験で、大切な思い出であることに違いないない。

 だが、やはり味の面で見れば、死にゆく世界の研究室生まれの食材より、きっと生命力に溢れたこの世界の材料の方が優れているのだろう。


(これは、交渉に勝ったも同然かな? きっとこんなの食べたこと無いだろうし、甘いもの好きってのはリサーチ済みだし)


 目の前のラキは、相変わらず目を輝かせて、必死に手と口を動かしている。


 人に自分の作ったものを食べて貰うのが、こんなに嬉しいものだということはこの人生で初めて知ったことだ。前世の母親も、こんな気持ちで忘れ去られていく技術を覚えて作ったのだろうか。



 もし、いつか。

 全ての目的を果たした先で――――。


 リタは頭に浮かびそうになった幸福な未来を、頭を振って追い出した。


 これ以上の幸福を望むことなど、おこがましい。

 何もかもを手に入れることなど、赦される事ではない。


 覚悟は決めているとはいえ、途端に沈みそうになる心を誤魔化すように、リタは無言で席を立つ。そしてそのまま、扉を開けて部屋の外に出て行った。ラキの心配そうな視線にも気付かないままに。


 リタは人気のない廊下まで歩くと、壁にもたれるように背を付けた。

 祈るような気持ちで、いつしかプレゼントした首飾りに繋ぐための魔力を紡ぐ。


 何だか無性に、親友の声が聞きたい気分だった。




「ということでさ、ラキ? 今からキリカ様がお越しになるから!」


 部屋に戻るなり、そう言ったリタの言葉にラキは驚愕する。


「は? えっと、もしかして、あの剣姫?」


「うん」


 急に態度を変えて部屋を出て行った時には若干驚いたが、今は楽しそうに笑っているリタの頷きにラキもまた微笑む。


 それにしても、入学式の時から知り合いだろうというのは気付いていたが、まさか休日に遊びに来るような間柄だったとは。そういえば、初日の騒動の時も一緒にいるのを見かけた気もする。


 自分もかの有名な少女と話してみたいという欲求はある。本音を言えば、模擬戦もしたい。

 とはいえ、この部屋の惨状は公爵令嬢を迎え入れるのには非常に似つかわしくない。


「つーかさ、リタ? お前、何で王子はクラスで呼び捨てなのに、剣姫は様付けなんだ?」


 ラキは呆れた表情で、胸に浮かんだ疑問をリタに投げかけた。


「一応人に聞かれるような場面では、様付けしろって母さんに言われてるんだ!」


 あっけからんと答えるリタの発言に、思わずラキも突っ込んでしまう。


「逆じゃね!? ……いや、普通は両方か」


「あれはアレクがああしろって言うから。だってあいつ殿下って呼ぶと凄く嫌そうな顔するし」


「お前が馬鹿にした態度で呼ぶからだろ!」


 それにしても、リタは子爵令嬢とか聞いていたが、どんな交友関係をしているのか非常に興味深い。人前じゃ様付けとか言っているくらいだ。普段は呼び捨てか愛称で呼んでいるのだろう。

 先日の騒動の際は侯爵家の男子からも絡まれていた気がするが……。


「大体ラキだって王子とか剣姫とか、全然敬ってないじゃん!」


 少し考えこみそうになるラキの頭を、リタの発言が現実に戻す。確かに、自分は敬語も苦手だしあまり目上の人間を敬うということに慣れていなかった。


「そ、そうだな……。オレは王国の出身じゃねーし?」


「それは今は置いといて、とりあえずアレどうにかしてくんない?」


 リタは台所の惨状に目を向ける。彼女は作るのは得意だが、片付けは非常に苦手なのだ。そして、片付けが苦手なのは自分も同じだ。


「自分でやれ!」


「へぇ、いいんだ? こっちのこれ、チーズケーキって言うんだけどね。すっごく美味しいのにいらないんだ?」


 リタは勝ち誇った顔でこちらを見ている。……卑怯な奴だ。

 リタの作るお菓子は、ラキがこれまでに食べたことのあるどんなものよりも美味しい。そこらの王都の高級店で出てくると言っても信じられるレベルだ。


「クソっ! ちゃんと大きいやつ寄越せよ!」


 ラキはそう吐き捨てると、空になった容器を持って台所に向かっていった。




 それからあまり時間も経たないうちに、部屋の扉がノックされる音が響く。来訪者はきっと彼女だろう。リタは弾む足取りで、扉に向かう。


 そしてゆっくりと扉を開くと、そこには待ちわびた少女の姿があった。少し息が上がり、頬も赤い。きっと急いで来てくれたのだと思うと、とても嬉しくなった。


「こんにちは、リタ?」


 微笑むリタと目が合うと、花が咲いたような笑みを見せるキリカ。まるで、その瞬間に廊下が明るくなったような気がした。


 ――――キリカ、やっぱり君は特別だ。

 その声が、その笑顔が、先ほどまでの沈んだ感情を洗い流してくれる。


 周囲を見渡せば、学年では有名な人物の来訪先に興味を持った数名の生徒たちが、こちらに視線を向けているようだ。


「ご機嫌麗しゅう、キリカ様? さあ、お入りになって」


 リタは精一杯のカーテシーで迎えると、キリカも苦笑いでその扉を潜った。キリカは部屋中を満たす甘い香りに気付く。


「あら、いい香りね? 私に食べさせたいものってお菓子?」


「ええ、私が腕によりをかけて作りましたの! どうぞお召し上がりになって?」


「す、凄いじゃない? 私なんて生まれてから一度も作ったことなんて無いわ」


 キリカの歯切れの悪い返事に、リタはちょっとムッとする。きっと料理なんて出来ないと思っているに違いない。確かに、普段は料理はしないがお菓子は作れるのだということをキリカに知らしめねばならない。


 リタはそんなキリカをテーブルに案内した。普段はふてぶてしく椅子に座っているラキも、何処か緊張した表情で姿勢を正す。因みに、服もちゃんとしたものに着替えていた。


 微妙な沈黙に部屋が支配されそうになっていた時、キリカが口を開いた。


「こうしてお話するのは初めてよね、ラキさん? リタから話は聞いているわ。私はキリカ=ルナリア・シャルロスヴェイン。リタとは昔からの友人なの、よろしくね」


「オレ――じゃなくて、ワタクシは、ラキ・ミズールです。よろしくおねがいします」


 そんなラキの姿に思わずリタは吹き出してしまう。彼女が敬語が苦手ということは良く知っている。恥を晒さないように、アレクにも近づかないようにしているくらいだ。


「キリカ様? ごめんなさいね、私のルームメイトったら緊張してるみたいで」


 そんなリタの言葉に、キリカは肩をすくめる。


「ラキさん? 別に気を遣う必要は無いわ。……それから、リタ? 前から言ってるけど、貴方のそれ本当に似合ってないから。――いつも通りでいいわ」


「はいはい、じゃキリカの分持ってくるから待っててね」


 そう言ってリタは台所に向かって歩いていく。腰まで伸びた銀髪は、何処か楽し気に揺れているようにラキには感じられた。



 リタの態度に、部屋の空気も弛緩していた。すっかりいつも通りとはいかないまでも、多少は楽になったラキは、改めて目の前に座る少女に声を掛ける。


「失礼だったらスマン。オレはあんまり敬語とか得意じゃないからな……。会えて嬉しいぜ、剣姫」


 そう言いながら、ラキは右手を差し出す。キリカもまた、その右手を握り返した。


「そう。――――いい手をしているわ」


 ほんの少し唇の端を吊り上げたキリカはそう返す。だが、キリカの手はとても普段から剣を扱っているとは思えない感触であった。

 やはり大貴族、リタもそうだが手のケアにも気を遣っているのだろうか、とラキは思った。


 とはいえ、中々会話が続かないのは事実。

 ラキも良く知っているわけでは無いが、周囲から普段のキリカはあまり積極的に他人と関わる人間では無いと聞いていた。今、目の前の少女が発している気配は、確かにそれだ。


 あのリタが、どうやって知り合って、どうやってこの少女の心を解きほぐしたのかにも興味はある。だが、ラキにはそれ以上に興味があることがあった。


「剣姫、よかったら今度オレと手合わせ願えないか?」


 ラキの問い掛けに、彼女の真紅の両眼が、ラキの奥底を見通すように細められる。

 ラキは正面からその視線を受け止めた。

 戦意も何も籠っていないように見受けられる瞳。だが、もう始まっているのだ。


「――――ええ、いいわよ? 楽しみにしてるわ」


 ……どうやら合格だったようだ。リタに稽古つけてもらわないとな。

 ラキがそんなことを思っていた頃、ようやく件の少女がお盆を持って戻ってきた。

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