甘味処アステライト 1

 リタが王立学院に入学して一月が経っていた。

 緑の月のとある休日の朝。


 グランヴィル王国は、その国土の多くを森林や草原が占める。あらゆる生命が、日の光の中でその命を謳歌する、そんな季節だ。清々しい朝の空気が部屋を満たしていく。


 開け放たれた窓から入り込む爽やかな風を、胸いっぱいに吸い込みながらリタは台所に立っていた。珍しく彼女が早起きしたのには理由がある。とある目的の為に、報酬を用意するのだ。


 台所に立ったリタは、慣れた手つきで事前に用意していたお菓子の材料と、必要な器具を並べていく。


 リタは意外とお菓子を作るのが好きだった。いい材料は非常に高価であるが、十分に手に入れることが出来る範囲内にある。それに、自分の求める味は何処にも売っていなかった。だから必要に応じて作るのだ。


 多くのレシピは元々、前世で母親から習ったものだ。地球において、本物の食材を使って作るお菓子は、材料も手に入りにくく、幼いころから特別な日にしか食べることは出来なかった。そんな中で、母親は、必ず手作りで振る舞ってくれたのだ。


 それが無駄なことであることも、贅沢なことであることも、特別なことであることも知っていた。だからこそ、その知識と技術を自分のものにしたかった。

 何の役にも立たない知識を求めたのは、中二病だったからだろうか。……今となっては分からない。実際、前世では一度も作ったことなどない。だが、何一つ忘れてはいなかった。


「あれ、白絹糖が減ってる……?」


 リタは、密封された硝子容器を振る。輝く白い粒が、さらさらと動く。やはり、明らかに減っている。

 リタはベッドの上で寝転がるルームメイトに視線を向けた。何かを察したのか、今日は訓練をする気も無いようだ。肌着も同然の薄い生地の部屋着から、よく日焼けした肌を晒しているラキはさっと目を逸らす。


「ラキ? またなの!? この砂糖すっごく高いんだからね!?」


 リタの視線が細められていくのを感じ取ったのか、ラキは慌てて弁明を始める。


「し、仕方ねーだろ!? トレーニングの後には糖分が欲しくなんだよ! ……そんなに甘くて上質な砂糖なんて、オレの故郷には無かったし、ちょっとくらい舐めてもいいだろ? な?」


「全然ちょっとじゃない気がする……」


 リタは溜息をつくと、準備を再開する。今日はエリスはクラスメイトと王立図書館に行くと言っていた。キリカやユミア以外にも友人も出来たようで、少し安心している。帰ってきたら、自慢のお菓子を振る舞ってあげることにしよう。


(普段は馬鹿にされる私の女子力に驚愕するがいい……!)


 そんな野望を胸に、リタは奮発して大量に買ってきた材料を眺める。


(地球じゃ有り得ないよね、壮観だなぁ。……半分は自分用なんだけど)


 リタは、ボウルに卵と砂糖を入れて攪拌する。鼻歌を歌いながら、台所に立つリタを眺めながらラキは、普段からこれならさぞかしモテるだろうにと苦笑いを零した。




 時刻は昼前。部屋中を満たす甘い香りに、リタは幸福感を覚えていた。こんな休日があっても悪くない。それに、誰かの為にお菓子を作るのも、また悪くない。


「これが、エリスの分で、こっちがキリカの分。――――それから、これがあの御方に献上する分っと」


 独り言を呟きながら次々に仕上げていくリタに、ルームメイトから声が掛けられる。


「おい、リタ? オレは腹減ったぞー」


 お腹をさすりながら、こっちを見ているラキにリタは溜息をつく。


「ラキの分は作ってないよ?」


「嘘……だろ……!?」


 途端に絶望に打ちひしがれたように、生気が抜けたラキの顔にリタは思わず吹き出す。


「じゃ、ちょっと手伝ってよ! 味見くらいはさせてあげるから」


「おいおい、ダチだろ!? 味見じゃ足りないっての!」


「はいはい分かったから、これ外のオーブンに運んで」


「へいへい」


 ラキは唇を尖らせながらも、黄色の液体の入ったいくつもの容器をお盆に載せて外に運んでいく。窓から出入りしても一滴も中身を零さないのは、流石の身体能力だ。


 外にはリタが魔術で造った即席オーブンが設置されていた。リタは、その中にそれぞれの容器を綺麗に並べていく。


「ラキ、火の番は出来る?」


「お前、オレが魔術の制御が下手だって知って言ってるだろ!?」


 リタは肩をすくめると、傍にうず高く積まれた薪の山に視線を向ける。


「マジかよ……」


「よく言うでしょ? 働かざる者食うべからず! 頑張ってねラキ」


 リタはひらひらと手を振ると、さっさと部屋に戻っていく。


「そんな言葉誰が作ったんだよ……聞いたことねえよ……」


 ラキの呟きは、春の風に攫われて消えていった。彼女はまだ知らない。このお菓子を蒸し焼きにするのには、それなりに時間が掛かるということを。




 そして、時刻が丁度正午を迎えようとしていた頃――――。


「出来た!」


 リタのそんな声に、ラキもまた苦行から解放された喜びと、ようやく食欲を満たせる幸福に両手を突き上げた。


「よし食うぞ! 今すぐ食うぞ!」


 だが、リタの発した言葉はラキの期待を裏切るものであった。


「冷やさないと食べられないよ? とりあえず食堂でご飯にしよ?」


「……完全に甘いモンの口になってんだが……魔術で冷やせよ!」


 そんなラキの言葉に、舌を出して応えたリタはラキを寮の食堂に引き摺って行く。部屋に残していけば、必ず食い荒らされるという予感があったからだ。

 

 食堂に着いた二人は早速注文を済ませる。リタはいつもより少なめだ。甘いものは別腹と言えど、やはり多少の余裕があった方が美味しいに決まっている。

 ラキはぶつくさと文句を言いつつも、その肉体を維持するために、しっかりと健康的な食事を摂っている。


(こういうの、低脂質、高タンパクとか言うんだよね? 甘い物には目が無いクセに……)


 そうして食事を終えた二人は、足早に部屋に戻る。

 外にオーブンを設置していたからか、その匂いは寮中に広まっているようだ。廊下にたむろする生徒たちの幾人かが、美味しそうだと言っているのを耳にした。


 ま、実際美味しいんだけどね。リタは、優越感に浸りながら部屋の扉を潜った。




 リタはラキに急かされるままに、魔術で急速冷却を行う。そうして完成した、クレームブリュレとレアチーズケーキに、思わず涎が零れそうになる。途中で少しだけ味見したが、抜群の出来栄えだ。砂糖の種類の選定も、柑橘果汁の量も絶妙な塩梅で決まっている。


 プリンは何度か作ったが、この二つは初めて作った。

 ――――実に体感時間で約七百年ぶり、実時間で約千年ぶりだ。


 ラキが一番大きいクレームブリュレの容器に手を伸ばそうとしているのをリタは叩き落とす。それはあの御方に献上するためのものだ。決して、外で座って薪を投入していただけの脳筋に食べさせるものでは無い。


「ラキのは、その隅のやつ!」


 隅に置かれた一際小さな容器にラキは目を見開いて叫ぶ。


「ちっさ!!! お前の胸かよ!?」


「――――ラキ? 何か言った?」


「いやいやマジでスマン。だから、その剣は仕舞おうぜ? な?」


 リタは、無詠唱で手元に呼び寄せていたミストルティンを元の場所に送還した。


「あのね、私はまだ成長途中なの! 分かる? 毎日ミルクだって吐くほど飲んでるから、これから背も伸びるし、胸も爆発的に膨らむ……かもしれない。大体ラキだって、別に大したこと――――」


「分かった! 頼むから食わせてくれ」


 そう言いいながらラキは、中くらいの容器を手に取ると、つい先日購入したばかりの小さめのテーブルに歩いていく。


「ちょっと待って! 仕上げがあるから」


 リタは慌てて砂糖の容器を持ってラキを追いかけると、先にテーブルについていたラキの持つ容器に砂糖を振りかける。ラキはその砂糖の層に贅沢だな、と呟いているが勿論ただ振りかけて食べるためではない。

 リタは右手を翳すと、高温の熱波で砂糖の層を焦がしていく。途端に広がるカラメルの香りが鼻腔をくすぐる。


「これで完成!」


 リタは自慢げな顔で小さめのスプーンをラキに手渡す。彼女の驚く顔が目に浮かぶ。ラキは早口でいただきますと呟くと、スプーンの背で硬いカラメルをコツコツと叩いている。

 そして、意を決したようにその層を割り、カラメルごと薄黄色の柔らかなクリームを掬い上げると、その口に運んだ。


「どう?」


 徐々に見開かれていくラキの両目。その表情にリタは、仕上がりの良さを確信した。


「リタ! オレと結婚してくれ!」


「絶対に嫌!!!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る