学院生活の始まり 4

 ――――ラッキー! いいところに来た。

 リタはその幸運に感謝した。


 金の短髪に、鍛えられた肉体。冬期休暇ぶりだが、また背が伸びている。とても十四歳になるとは思えない体つきだ。ともすれば、実年齢よりも三・四歳は上に見られそうな風貌である。

 そんな精悍さを増した顔つきのラルゴ・ヤンバルディが、丁度教室の前の廊下を歩いていたのだ。


「ようリタ! き、奇遇だな――――」


 ラルゴは、さも平然を装って、幼馴染の少女に声を掛けた。勿論偶然ではなく、顔を見に来たのだ。今日は上級生は授業がない。あわよくば昼食を一緒にと、誘いに来たのだった。


 だが、久しぶりに見る銀髪の少女は、相変わらず可愛いが、変な奴を引き摺っている。初日からトラブルを起こしてるのかと頭が痛い。


「あ、ラルゴ先ぱーい! この男の子が、いきなり言い寄ってきて困ってるんです! 怖いです! 助けてください!」


 リタは目を輝かせてラルゴに少年を引き摺りながら駆け寄ると、笑顔で返事を返した。面倒事を押し付ける相手を見つけたからだ。やはり、持つべきものは幼馴染、だね。と、下を向いて悪い笑みを浮かべる。


「は? 誰お前!? 怖ッ!?」


 ラルゴは困惑していた。これが、あのリタか? また新しい二つ名も獲得したらしいが……猫を被ってるのか知らないが、変な棒読み口調で訳の分からないことを言っている。

 正直こっちの方が怖すぎるわ。

 思わず間抜けな返事をしてしまった。


 右足に激痛が走る。どうやらリタが思い切り踏みつけてきているようだ。こちらを見たオッドアイが訴えかけている。話を合わせないと殺す――――と。


 いきなりだが、仕方が無い。大体この少女はいつだっていきなりなんだ。

 困惑は一瞬のうちに消し飛んだ。

 ラルゴは、リタの後ろで睨みつけている赤髪の少年を睨みつける。


 どちらにせよ、彼がやるべきことは決まっているのだ。好きな子に頼られて、何もできないなんて男じゃない。折角、良いところを見せる機会が巡ってきたんだ。利用させてもらおう。そう自分に言い聞かせる。


「おい、お前。新入生だよな? ――――俺の幼馴染が怖がってる? だろうが……手を放せよ」


 リタは素早く、鞄を掴んでいた少年の手を手刀で叩き落とすと、ラルゴの後ろに回り込んだ。ラルゴは、結局お前が振りほどくのかよ、と苦笑いが浮かびそうになる表情を引き締めるのに精一杯だ。


 リタはそんな様子のラルゴの背中を見えないようにつねる。


(何で疑問形で喋ってんの!? 私の完璧な演技が台無しじゃん!)


「俺様が誰だか分かって言ってんのか?」


 完全に怒り心頭の様子の、赤髪の少年は声を振り絞るようにそう言った。だが、リタに叩かれた右手が痛むのか、しきりにさすっている。


「「誰……?」」


 ラルゴとリタは顔を見合わせて首を傾げる。


「俺様は、レオン・デル・シャバノル。シャバノル侯爵家の長男だ!」


 どうだ、と言わんばかりに腰に手を当てて言い放ったレオン。


「ね、ラルゴ? 侯爵ってどんくらい偉いの?」


「少なくとも、お前んちよりは偉いな」


「へぇ~」


 恐らく、レオンが思っていた反応と違ったのだろう。青筋を浮かべて小刻みに震えている。


 リタは改めて、三白眼の少年レオンを見る。恐らく、普段は自信に満ち溢れた顔をしているのだろう。これくらいの年齢の少年というものは、自分の持つ他の誰かより優れた才能や、自分だけの特別なものに縋りたくなる年頃なのだ。地球にいた頃に、魔素を操る力に執着していた自分のように。

 だから、彼がその血筋や、この学園に合格したという自身の才能に溺れているのも、分からなくは無い。


「け、決闘だ! “狂犬”! お前ごときが注目されるてるのは気に食わん。俺様の方が優れてるってことを証明してやる。どうやって殿下に取り入ったのかは知らないが、家柄も、実力も、全部! そう、俺様の方が上だ」


 レオンの叫び声に、廊下が一瞬静まり返る。増え続けるギャラリーも、目を輝かせて事の次第を見守っている。流石は、血気盛んな魔導戦術学院の生徒たちだと、リタは思った。


「それは、この俺を倒してからにしてもらおうか」


 リタはラルゴの背後で隠れながら、魔術で声帯を拡張し、低い声で発した。思ったよりラルゴに似た声が出せて、笑いそうになってしまった。


「え? あ、ちょっ……」


 ラルゴは状況が掴めずに、慌てふためいているが、そんな彼を指さしながらレオンは続けた。


「ラルゴとか呼ばれてたな? お前が先輩だろうが、そいつの知り合いなら関係ない。叩き潰す! “狂犬”、お前はその後だ。覆せない差を証明してやる! 伯爵家のステインレーブルの奴が、恥を晒したようだが、この王国にある絶対の上下には意味がある。そしてそれ以上に俺様が優れているってことをな」


「ほう、噛ませ犬にふさわしい台詞だな」


 後ろから聞こえる、自分に少しだけ似た声に、これ以上はまずいとラルゴは慌てて口を開く。


「おい、リ――」


 リタは魔術でラルゴの身体を無理やり縛って黙らせると、その身体を操った。


「自分に酔うのもいいが、実力差も分からないようなら――――俺の大剣の錆になって果てるがいい」


 ラルゴの口はパクパクと、出来の悪い人形のように声と合っていない動きをしている。

 更に、自分の首を掻っ切るジェスチャーで、レオンに大見得を切っている格好だ。周囲から、微妙に黄色い声が聞こえた気がしなくもない。

 

 ラルゴの額には冷や汗が浮かんでいた。流石に、一介の商人の息子である自分が侯爵家の令息に、いきなりこんな態度を取るはずがないと、周囲は信じて――――くれないだろうな。周囲の女子生徒達は、少女を巡ったよく分からない争いに、キャーキャーと騒ぎ立てている。


「……まぐれ合格の平民風情が舐めるなよ。装備を整えたら、第二訓練場に来い。“狂犬”、お前もだ」


 そう吐き捨てると、レオンは踵を返す。廊下は正に騒然となっている。多くの生徒達が、注目するのも仕方が無いと言えるだろう。学生にとっては、恋だの喧嘩だのという話題は、いつの時代も、どの世界でも娯楽の中心なのだから。


 ラルゴは大きく溜息をつくと、自由を取り戻した身体で振り返る。


「お前のせいで、めんどくさいことになったじゃねーか!」


「ラルゴ? 下級生に舐められたままでいいの? 先輩でしょ? ……とりあえずさ、私ご飯でも食べに行ってくるから、適当にあいつボコっといて」


 リタは肩をすくめている。そのまま、何処かに行きそうになるリタの両肩を、ラルゴは思い切り掴んだ。相変わらず、この身体のどこから力が湧いてるのか分からないが、凄まじい膂力で引っ張られそうになる。だが、これでも毎日鍛えてるんだとラルゴは歯を食いしばって、全力を出す。そうして何とか、リタをこの場に押しとどめることに成功した。


「お前も来るんだよ!!」


「えぇ……めんどくさ……」


 振り返った少女は、げんなりした顔でそう呟いた。なびく髪から香った仄かな石鹸の香りに、ラルゴは懐かしい気持ちを抱いた。


「誰のせいだと思ってんだ!! 飯は後で俺が奢ってやるから、行くぞ!?」


「マジ!? 高級店のフルコースゲット!!」


 途端に、目を輝かせて飛び跳ねるリタに、ラルゴは現金なやつめと思う。だが、それは昔からだ。


「フ、フルコース? ……もういいや……入学祝いだしな……」


 そしてこの少女が、とんでもない量の食事を食べることもまた、よく知っている。とりあえず、デートの口実になったとでも、納得しておこうと思う。小遣いが足りることを祈るばかりだ。


「エリスも誘うからね!!」


「はいはい……」


 そうなることは分かっていた。この姉妹は基本的に二人で一セットなのだ。二人きりで無いのは残念だが、美少女二人を侍らせて王都を歩くのも一興だろう。中身を知っている身としては、非常に複雑だが。


 肩を落として寮の部屋に向かって歩き始めたラルゴの背中には、深い哀愁が漂っていた。

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