学院生活の始まり 3
仕方ないか、とアレクは立ち上がる。何か言いたそうにしているリタを手で制し、周囲でこちらを伺っている少年少女たちを見渡す。
アレクという少年は、その特殊な生まれから、王宮では孤独であった。父である国王陛下はいつも気にかけてくれているし、愛情を受けていたのは間違いない。
しかし、周囲の人間から向けられる蔑みの視線や、孤独感が彼を卑屈にしていった。剣は得意だったが、勉強は大の苦手。それが更に彼に対する偏見を助長させた。出来損ないだとか、王族の恥だという言葉はもう聞き飽きていた。
傍に侍る親衛隊だけが、一方的ではあるが、彼の数少ない理解者だったのかもしれない。
だから、目の前の少女との出会いが、自分にとってどれだけ大きかったことか。
進むなら、今だ。
そんな声が、自分の内側から聞こえた気がした。
本当は、昔から変わりたかった。
自分の鬱屈した感情は、所詮当てつけでしかないと知っていたからだ。
何処にも居場所が無かった自分の、初めての友人を孤立させたくはないし、どうせなら自分も皆の輪に入りたい。
自分勝手かもしれない。市井の人間からは、特権階級だって憎まれていても仕方ない。
それでも、あの時、知ってしまったから。
それが、高望みだとしても、欲してしまった。
せめて、学院を卒業するまでの間だけでも、普通の少年のように過ごしてみたい。
だから、変わるなら、一気にだ。
「皆、驚かせて済まない。余は――いや、俺が王国の第四王子のアレクだ。学院在籍中は、難しいかとは思うが普通の同年代のように接してくれて構わないし、俺はそれを歓迎したい。ここに居るリタは、昔なじみの俺の友人だ。だから、先の彼女の態度は不敬だとは思っていないし、あまり騒がないでくれると助かる。――――迷惑を掛けることもあるだろうが、これから、よろしく頼む」
一瞬静まり返る教室であったが、アレクが席に着いたのを見て、徐々に騒がしさを取り戻しつつある。とはいえ、そう簡単に話しかけられるものでは無いのは分かっている。様子見をしている周囲に、ゆっくりとでも、変わっていけばいいなとアレクは思った。
少し気恥ずかしそうにしているアレクに、立ち上がったリタは小声で話しかける。
(まさか、アレクに助けられるなんてね……でも、悪くないね)
「ふぅん? カッコいいとこあるじゃん、アレク?」
どこか挑発するような、そんな笑みを浮かべるリタに、アレクはしどろもどろになりながら答える。
「な、なんだよ。お、お前がアホなこと言うからだろ?」
「く……まさか、馬鹿にアホ呼ばわりされる日が来るとは……」
「お前なぁ……」
「はいはい。でもさ、やっぱそっちの方がいいよ」
「そ、そうかな……?」
「うん。――――ありがとね、アレク」
耳元で告げられた、お礼の言葉に思わずアレクの心臓は早鐘を打つ。
「だからお前のためじゃねーから!」
目を逸らしながら吐き捨てるアレク。だが、口元は綻んでいる。
「またまた~! 照れちゃって!」
(もし、前世で私に友人が居れば、男同士の友情ってこんな感じだったのかな?)
リタはアレクがきっと望むであろう、普通の友人同士として付き合ってやろうと、そう思った。おどけた笑みで、アレクの背中を叩く。
「――ガハッ……!」
……若干強すぎたのは、ご愛嬌ということにしておきたいリタであった。
涙目で横を見たアレクに笑いかける、オッドアイの少女。それは、“狂犬”なんて呼び名に似つかわしくない、非常に魅力的な微笑みであった。
計算違いがあったとすれば、リタの微笑みに顔を赤くするアレクを見た女子たちにより、その関係を邪推され、リタがからかわれる未来が確定的になったことくらいであろう。
クラスの担当教師の女性が教室に入ってきたため、リタは足早に自席に着いた。数枚の紙が配られる。上質な紙質に、金がかかってるなと思いながら記載された選択科目に目を通す。現時点で特に興味深いものは無い。やはり中二病としては錬金術の授業くらいは受けたいところだが、その辺りはエリスに相談してからにしようと決めていた。
「はい、皆さん! 初めまして、仮クラス四組の担任になりました、セシル・ニコンです。再編までの短い間になりますが、頑張りましょうね!」
そう笑うセシルは、二十歳前後ではないだろうか。他の教師陣に比べると、とても若い。赤茶色の髪に、そばかすのある愛嬌溢れる顔立ちだが、きっとエリートなんだろうなとリタは思った。
セシルに促され、生徒たちは一人ずつ、簡単な自己紹介を済ませていく。リタも無難に済ませたつもりだが、問題は無かっただろうか。後でラキにでも聞いてみよう。
リタは、人の顔と名前を覚えるのが非常に苦手だ。前世で関わる人間が少なすぎたせいかもしれないし、人の領域を超えて長く生きた記憶に脳が圧迫されているのかもしれない。
(そう考えると、長命種の人たちの記憶ってどんな感じなんだろう? 私も気付かないうちに色々鈍くなってきたりしないよね……?)
どちらにせよ、この中の数名は二か月後にはお別れだ。そんなことを言葉に出せば、冷たいと言われるかもしれないが、少なくともリタは再編後のクラスのメンバーだけ覚えればいいや、とこの時は思っていた。
この日は、特に授業が始まるわけでもなく、午前中で解散となった。
長く続いた話による眠気を覚ますように、リタは大きく上体を伸ばす。身体がほぐれると同時に、教室中を喧騒が満たしていく風景に、深い満足感を覚える。
前世では、教室に集まって授業を受けるなんてことは無かった。地球では、こんな光景は最早物語の中にしか存在しない失われた景色だったのだ。
この人生では、友人も出来たし、大切な家族もいる。
目的はあるにせよ未来に期待できる。
こんなに穏やかで、贅沢な時間がある。
ただ、死期を悟って終わりを待つだけではない。
ただ、死にゆく世界に絶望を抱えるだけではない。
誰かと一緒に、誰かのために生きる。これからも発展していくであろう美しい世界で。
それがどんなに幸福なことだろうか。
――――全部、君がくれたんだ。
だからさ、ノエル。
君がこの世界で、一番幸せじゃないと、私は嫌だ。
「――よし」
リタは立ち上がる。
ノルエルタージュの生まれ変わり候補を探さなければならない。
それはもしかしたら彼女かもしれないし、まだ知らない誰かかもしれない。
けれど、まずは――――目の前で腕組みをして睨みつけている、赤い髪の少年をどうにかせねばならない。あんな目で睨まれる心当たりは……多少あるけれども。どれか分からない。
「お前が、“狂犬”だな?」
(そもそも、この世界の犬って全然可愛くないんだよね。しかも狂ってるとか最悪じゃん。誰? 最初に呼んだ奴……)
「人違いです」
そう言ってリタはさっさと踵を返して歩き始める。少年は慌ててリタの鞄を掴んで止めようとするも、リタは止まらなかった。少年を引き摺るような形で教室を横断していく様子に、周囲の注目が集まる。
(また面倒くさい奴が来ちゃったよ……誰かに押し付けようかな――アレクは? 目を逸らしやがったし、笑ってやがる。今度覚えてろよ……)
「お前、リタ・アステライトだろ!?」
「そうだけど? それじゃ」
正直、早くエリスと合流して、キリカも暇だったら誘って昼食にしたい。せっかくの入学祝いだ。数年前に個室で食事をした、あの店でもいいなと思いながら、リタは歩みを止めない。
真っ赤な顔で引っ張るも、少女一人止めることが出来ない少年は叫ぶ。
「お前、俺様が誰だか分かってんのか?」
「え? 誰? もしかして知り合い?」
リタは振り返って、少年の顔を眺めるが、全く心当たりがない。何処となく、鼻につく顔立ちだ。きっと他の誰よりも自分が優れていると思い込んでいるタイプの人間だと感じた。とりあえず、一人称が俺様の奴に碌な人間は居ない、それがリタの持論だ。
だが、あのタイミングで話しかけてきたことを考えると、クラスメイトであるだろうことは辛うじて分かる。だが、興味のない人間の顔と名前を入学初日から覚えられるほど、優れた頭は持っていないし覚える気も最初から無い。
「ごめん、やっぱり心当たりない。誰だか知らないけど、私、用事があるから。今度にしてくれる?」
リタは淡々とそう返した。
「舐めやがって――!」
よっぽど名前を憶えられてなかったのが気に障ったのか、少年は激昂した様子で今にも掴みかかってきそうな雰囲気だ。正直、初日から面倒事は起こしたくない。そもそも、この不名誉な二つ名は、目の前の少年にこそお似合いだろうとリタは思う。
とりあえず、エリスの教室の方に向かうか。
そんな時、救世主がリタの前に現れた。
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