剣戟は語る 1

 ――――王立メルカヴァル魔導戦術学院第二訓練場。


 日ごろから切磋琢磨する少年少女で放課後は賑わうこの場所だが、この日はいつにも増して賑やかだった。いつもは訓練に汗を流しているはずの在校生たちも、客席に座ってうわさ話に興じている。


 そんな客席の最前列に、華やかさが際立つ一角があった。そこに座る少女たちの美貌に、周囲から注目が集まるのも仕方が無いと言えるだろう。その真ん中に座る、銀髪の少女が渦中の存在であることも、その雰囲気を加速させていた。


 この騒動の原因、リタ・アステライトは、冷や汗を流しながら妹の説教を受けている。


「――――で、こんな事になったと……」


 エリスの真っすぐな視線に、思わず俯くリタ。


「ごめん……」


「それはちゃんとラル君に言うんだよ? 大体、幼馴染だからって、商人の息子に貴族の令息押し付けるのは流石にダメじゃないかな?」


「はい」


 リタはしゅんとしている。ラルゴは、姉妹にとって最初の友人であった。リタからすれば、気が置けない間柄であり、本人には言わないが信頼しているからこそでもある。だが、確かにふざけすぎたのは間違いないだろう。


「そもそも、いつもだったらお姉ちゃんが鉄拳制裁してるのに、今日はどうかしたの? 頭でも打った?」


 エリスが心配そうな顔で首を傾げる姿に、リタは日頃の行いを大いに反省することになった。


「ちょっと流石に、“狂犬”は無いなって思ってさ。だって、あいつら目玉四つある種類ばっかじゃん!」


 リタは少しだけ目を逸らしている。嘘では無いが、まだ隠している顔だ。


「――――本音は?」


「私の考えた最強のラルゴが、すっごく面白そうだったから……」


 エリスは深いため息をつく。


「お姉ちゃん? 正座」


「アッハイ」


 エリスは、少し疲れた顔で周囲を見渡した。


 いつの間にか大事になっているような気がする。学院生の私闘は厳禁だが、あくまで訓練という名目で試合をするのは、勿論認められている。


 恐らく、この客席の熱気を鑑みるに、こんな事態はそこまで珍しい事では無いのだろう。街を覆う壁の外と同じ、いたってシンプルなルールだ。強い者こそが、この世界では正義なのである。それは、この大陸の歴史が証明している。この学院では、特にそうなのかもしれない。


 涙目で正座している姉を、横からキリカが慰めている。流石に、衆目に晒されながら正座するのは堪えたのだろう。それにしても相変わらずフットワークの軽い公爵令嬢だ、とエリスは思う。


 だが、キリカは姉と似た者同士、こんなイベントを見逃す性格では無いのには違いない。


 姉妹とキリカの周囲には、キリカの取り巻きたちが、あわよくばお近づきになりたそいと十人程度座っている。普段は見せないキリカの表情を独り占めするリタに、嫉妬の視線が突き刺さるのは仕方が無い事であった。

 新たな面倒事の火種にならなければいいが、とエリスは思いながら訓練場の中央に目を向ける。


 そこには、ゆっくりとした足取りで歩み寄る、二人の少年の姿があった。


「そろそろね、リタ。貴方の幼馴染、本当に大丈夫? あのレオンとか言う男、以前王都の剣術大会で戦ったことがあるけれど、結構強いわよ?」


 キリカは訓練場の中央を見据えながら、心配そうにそう話す。


「大丈夫、ラルゴは負けないよ。――――絶対にね」


 キリカの言葉に対し、リタは、確定した未来を告げた。


「貴方が言うんだから、きっと凄く強いんでしょうね」


 キリカは、リタの強さをよく知っている。だから、幼馴染の彼も恐らく才能に溢れ、かなりの腕前を持っているのだと思っていた。しかし、リタの返答は少し予想外のものであった。


「それはどうかな……。ラルゴってさ、剣の筋は悪くないけど、特別な才能とかは何も無いんだ。だから多分、単純な剣だったらそこまで強くは無いと思う。ただひたすら、根性だけで、私たちと一緒に同じメニューで、何年も稽古してきたんだよね」


 一度、言葉を切ったリタは、少し恥ずかしそうに続ける。


「でもさ、才能が無くても、後から混ざった奴に追い抜かされても、ラルゴは止まらなかったし腐らなかった。諦めずに、ずっとずっと努力し続けてきた。それを私は知ってるから……正直ちょっと尊敬してる。――――だから、負けないよ。ラルゴの諦めの悪さは世界一だからね」


 そう言って訓練場の方を向いて笑うリタの表情は、今まで見たことの無いような表情だった。寂しさのような、嫉妬のような、憧れのような、少なくともキリカの人生経験では推し測れない何かであった。


 それにさ、とリタは続けた。


「あの剣は、私の特製。この意味、分かるよね?」


 こっちを向いて、自信たっぷりに笑う親友に、キリカはこの表情の方がやっぱり彼女らしいと、微笑みを返した。




 ラルゴは、冬期休暇の際にリタに魔改造された大剣を担いで、訓練場を歩く。周囲を見渡せば、観客席には多くの生徒たちが座っている。新入生は勿論、上級生の姿も多い。暇な奴らだ、と思うと同時に自分もこういう時はいつも観戦に来てたよな、と苦笑いを漏らす。まさか自分がこの場に立つとは思ってもいなかったのだが。


 このような事態になったことには、正直色々と物申したいラルゴであったが、それは終わってから考えればいいことだ。今、やるべきことはただ一つ。訓練場の中央で待つ、あの少年を打ち負かすことだけだ。


 多くの人間に見られながら模擬戦をするのは、意外と緊張するものだとラルゴは思う。

 それとも、彼女が見ているからだろうか。


 どっちでもいい。

 負けるな、と彼女が言ったのだ。


 ――――だから、俺は負けない。


 その覚悟だけがあればいい。



 目の前には、赤髪の少年。逆立てた髪の毛に、怒りに燃える相貌。まるで、示し合わせていたかのように風が吹くと、砂埃が巻き上がり、ゆっくりと晴れていく。


「レオンとか言ったな? すまない、待たせたか?」


 ラルゴの飄々とした態度に、レオンは眉尻を吊り上げるも、既に戦闘態勢なのか静かに返した。


「御託はいい。さっさと始めるぞ、無能」


 レオンが片刃の少し反った双剣を手に取った。堂に入った構えだ。それを見て、ラルゴはふっと笑う。


「俺はあんまり礼儀とかには詳しく無くってな。――――痛かったら御免な、坊ちゃん?」


 ラルゴは右足を引き、大剣を抜き去ると鞘を投げ捨てる。両手で持った握りを顔の後ろに構え、切先をレオンに向けた。二人の様子に、客席も途端に静かになる。


 訓練場に張り詰める緊張と静寂。ラルゴは静かに集中していく。周囲の音が遠くなっていくような感覚に、ラルゴはいい感じだと口元を吊り上げた。


 堪えきれず静寂を破ったのは、客席の誰かが思わず荷物を落とした音。

 その音を合図に、少年たちの戦いが始まった。



 先に駆け出したのは、レオンだった。彼の戦闘スタイルは、双剣での高速戦闘。突き出される右手の剣をラルゴは軽く頭を振って躱す。全く遠慮のないその突きは、避けなければ左の眼球を抉っていただろう。更に、流れるように繰り出された左手の剣を、ラルゴは大剣で受け流す。


 先ほどまで激昂していた人物と本当に同一人物だろうかとラルゴが疑いたくなるほどに、冷静で正確な剣戟が次々に襲い掛かる。何より、相手は手数が多い。まずは様子を見つつ隙を探したいところだが、あいにくレオンはかなりの腕前のようで息つく暇も与えずに攻め立ててくる。


 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。時間の感覚が無いから分からないが、実際にはそこまで長い時間では無いのだろう。

 まるで果てしなく続く剣閃の波を、大剣で掻き分けて進んでいるみたいだと、ラルゴは思う。レオンはかなり鍛えているようで、未だに剣筋はその勢いを失っていない。


 その状況に、ラルゴは攻め入る隙を見いだせず、歯噛みしていた。だが、まだまだ状況は悪くないと堪える。レオンは怒りからか、視野狭窄のようだ。フェイントで僅かに振った右足に、反応すら見せていない。

 だが、この間合いでは、蹴りも上手く使えない。砂を蹴飛ばしてもいいが、レオンは正面から正々堂々と剣を振るっている。


 だったら、付き合ってやろうじゃないか。

 レオンの剣は、怒りに濁りながらも、その芯は美しく、真っすぐだ。


 それを受け止めながら、ラルゴは思い出していた。いつしかリタが言っていたのだ。剣ほど雄弁に、その人間を語るものは無い、と。だから、戦う人間とは剣を交わすのが一番手っ取り早いと彼女は言う。


 確かに、ラルゴはレオンに対して親近感のようなものを少しずつ抱きつつあった。剣を通して、その心に触れているような感覚だ。錯覚だと、皆は笑うかもしれない。


 いつしか、リタが語っていたのはこの感覚だったのだろうか。


 これまで、幾度となく剣を交わしたはずの少女の姿が過る。


 俺は彼女のことを知れただろうか。

 彼女は俺のことを知ってくれただろうか。


 分からない。


 だが、少なくとも今感じているものの正体は、分かりそうな気がする。


 凄まじい数の剣戟が、ラルゴに襲い掛かっている。


 だが、頭は冷静だし、視界もクリアだ。まだまだ行ける。


 ラルゴは正確に大剣を動かして捌きつつ、目の前のレオンを見据える。その両手の剣が交差し、今にも左右から翻ろうとしていた時だった。


 ――――見えた!


 そこにラルゴは、辿るべき剣筋が光ったように感じた。

 その光を追うようにラルゴが振り抜いた大剣の一閃が煌めくと、甲高い音を立てて双剣ごとレオンを弾き飛した。

 

「がはッ――!」


 思い切り吹き飛ばされたレオンは、後ろ向きに回転しながら地面に身体を打ち付ける。

 剣を支えにして、呻き声を上げながら立ち上がる彼の姿に、闘志の衰えは見いだせない。客席からは歓声が聞こえた気がしたが、今のラルゴの耳は、それを音として認識しなかった。


 まだ、戦意の燃え滾るレオンの三白眼の奥にある、怒りと焦燥。きっと彼を突き動かしているもの。それには覚えがある。彼は、それが大きすぎただけなのかもしれない。


 でもな、それじゃ駄目だ。


 そう言えば、初めてだな、後輩が出来るのは。


 俺が、お前に教えてやるよ、レオン――――。

 大切な幼馴染たちが、俺に教えてくれた、強さを。



「クソッ!」


 レオンは血の混じった唾液を吐き捨てた。

 ラルゴは少し苦しそうにしているレオンが、もう一度無言で双剣を構えなおすのを待って、告げる。



「遊びはここまでだ。ここからは教育的指導の時間と行こうじゃないか――――新入生ルーキー?」

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