波乱の入学試験 7
リタは目の前の美しいダークエルフを改めて見据える。
背は百六十センチくらいだろうか。全体的に体つきは華奢である。胸元の空いたドレスから覗く谷間は――うん、ステインレーブル先輩の方が凄いな。あの程度、成長したら私は優に超えていくはずだ。……多分。
(それにしても……気まずい!)
リタは学院長と呼ばれた女性におずおずと声を掛けた。
「あ、あの~、大変失礼いたしました。学院長、先生? えっと、私はリタ・アステライトと申し――」
だが、彼女は続くリタの声を手で制した。
「知っている。貴様が、エリスとやらの姉だな?」
その言葉にリタは思わず首を傾げる。
さては……エリス、何かやらかしたな。リタは思わず緩みそうになる頬を気合で引き締めた。
「はい、確かにエリスは妹ですが……。妹が、何か? 箱入り娘で常識が無いものですから、ご迷惑をお掛けしていなければいいのですが」
そんなリタの返答に、学院長ロゼッタは引き攣った笑みを返した。
「き、貴様がそれを言うのか!?」
そう言いながら、学院長は周囲を見渡す。リタもつられて周囲を見る。阿鼻叫喚の様相を呈す観客席の喧騒と、ボロボロに破れ砂の色に変わった制服を纏う、吐瀉物と血にまみれたマグノリア。
ロゼッタが手で合図をすると、マグノリアはフラフラと歩き去っていった。一瞬こちらを見たようだが、リタが笑顔を見せると怯えるように逃げて行った。
「えっと、ちょっと体調悪くって魔力が暴走したというか……一応、実技試験ですし? 私も、合格したいので……。――――って、まずい!」
「……どうした?」
「えっと、まだステインレーブル先輩に参ったって言わせてませんでした……。特別試験は降参させないと駄目なんですよね? ちょっと見つけて殴ってきますね?」
リタは頬を掻きながらそう答える。それに対し、彼女は諦めたような目をしていた。
「いや、それはもういい。我が直接見ていたからな」
「えっと、じゃあ合格、ですか?」
リタは目を輝かせてロゼッタを見ている。
「ああ、そうだな」
ロゼッタは最早苦笑いを隠すこともやめて頷いた。
(やった! これで馬鹿にされない! 私も学費免除のエリート学生! 浮いた学費でご飯食べ放題! あとは、私のことをどうせ落ちるとか言ってた、ジャック筆頭下僕どもは戻ったら説教だ)
リタはガッツポーズをしながら、何かをブツブツと呟いている。
特別試験が要請され、無事にその難題をクリアして見せたのだから、普通であれば歓迎すべき事態であるし、特別待遇にて合格させるのは当たり前だ。
しかし、この少女は少々頭がお花畑のようだ。出来れば、少し考えたいところではあったが、早まっただろうか。少しだけ、ロゼッタの胸にはそんな思いが過った。
「……それより、その腕はどうした?」
ロゼッタは、リタの肘先から真っ黒に変色した左腕を見てそう言った。慌ててリタは回復魔術で元の傷一つ無い腕に戻した。
欠損を修復する高度な回復魔術を、無詠唱であの練度か――。
そう、欠損だ。あの腕は、人のモノでは無かった。その魔術も気になるが……。
だが成程、あの回復魔術は確かに教会筋から聞いていた、“クリシェの撲殺聖女”と一致する。
そもそも、ロゼッタは最初から姉妹のことを知っていたのだ。S級冒険者をも殺した魔人を含め、複数の魔人を屠った一家。その子供の双子は、クリシェでは神童と呼ばれていると。
同年代は勿論、大人よりも強く、美しい姉妹。
その姉は教会の手伝いをしながら街の人々の怪我を癒している。時に部位欠損さえ治す高度な回復魔術を使い、一部の老人たちからは聖女の再来とまで噂されていると聞いていた。
「焦げました」
だが、目の前の少女は、そんなあまりにも馬鹿らしい返答を返した。
「は?」
ロゼッタの間抜けな顔を見て、言葉が通じて無かったかなと勘違いしたリタは繰り返す。
「ステインレーブル先輩の魔術を受け止めたら焦げました」
特に何でもないことのように言い切っている。
「そ、そうか……」
ロゼッタは完全に頭を抱えることになった。
一応これでも、自分はそこそこ名の通った魔術師という自覚はあった。だが、目の前の少女はあれで誤魔化せたと思い込んでいるようだ。これ程までとは、完全に予想外である。正直、今すぐ不合格と言い渡して帰らせたい気持ちが強まるが、一人の教育者として、魔導戦術の道を追い求めた身として、それは出来なかった。
――――それに何より、目の前の少女は、違う。
先程の魔力に、異常な戦闘能力。
貴族令嬢とは思えないほど、全く暴力に忌避感を覚えない様子。
正しく、自分の大切なもの以外に、一切の価値を感じていない眼。
そして、それだけではない。
彼女もまた、いや、先ほど会った妹以上に、何かを隠している。
「リタ・アステライト――――貴様、本当に
「え……?」
リタはその問いに目を見開いた。
そして次第にその両目は細められていく。
その眼に浮かべた表情は困惑だろうか。
逡巡が、その長い睫毛を下げる。
その口からどんな言葉が続くのか。
ロゼッタの視線も鋭くなる。
そしてリタは、ロゼッタを真っすぐに見据え、こう発した。
「――あの、もしかして学院長も、私の幼馴染みたいに、私がゴリラ系の魔物の亜種だって疑ってます? 流石に年頃の女の子としては傷つくんですけど? というか、教育者としてあるまじき発言では?」
リタはジト目でロゼッタを見ていた。
その言葉は、彼女の本心からの言葉のようだ。
「い、いや、そういう意味じゃなかったんだが……済まない、忘れてくれ」
ロゼッタ・ウォルト・メルカヴァルは、恐らく数十年ぶりとなる、心からの深いため息をついた。
――それから暫く、リタはロゼッタと共に、客席で気絶した受験生たちを起こしたり、怪我を癒したりした後、ようやく解放された。
リタは大きく伸びをすると、「疲れた~」と溜息をついた。
「おい、貴様、溜息をつきたいのは我の方だ。貴様の後に、今から受験する者たちが不憫でならん」
「あ、あはは……。そ、それでは、学院長! また花の月になったらお会いしましょう!」
笑顔でリタはそう告げると、逃げるように走り去って行った。
その後姿を眺めながら、思わず微笑みを浮かべてしまっていたロゼッタは、その顔を引き締めると次の事件現場へと向かっていく。金髪赤眼の少女が、第三試験場にて三十人の在校生相手に暴れていると聞いたからだ。
今年の新入生はどうかしている……。
久しぶりに、自分が教壇に立つ日が来るかもしれないな。
ロゼッタには、そんな予感があった。
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