試験後の少女たち

 リタは、ロゼッタから逃げるように第一訓練場を後にしていた。


 時間が経つに連れて、体内で生成される魔力が不快感を増していく。ひたすら自分に回復魔術を使い続けることで、増え続ける魔力を消費しつつ歩く。何とか早めにエリスを探さなければ。


 だが、姉妹の再会はすぐに叶うことになった。

 リタの姿を見つけたエリスが駆け寄ってくる。隣にはリタの知らない紫の髪の少女を連れている。


 リタは手早く状況をエリスに耳打ちすると、ポケットから取り出した壊れたペン型魔道具をエリスに渡した。三人は、近くにあったベンチに腰掛け、エリスは手早く修理を始める。その間、三人は無言だった。ユミアもまた、リタのぐったりした様子に話しかけることも出来なかった。


 自己紹介すらできていないユミアであったが、ようやくエリスの作業は終わったようだ。魔道具を色々な角度から眺めては、何度も頷いている。そしてエリスは、何の躊躇いも無く、それをリタの頭頂部に突き刺した。


「え!? 嘘!?」


 ユミアはその光景に思わず声を上げた。エリスはユミアの方を見て首を傾げながらリタの髪の毛を一度ほどくと編み込んで綺麗なお団子している。


「あ、これ? お姉ちゃんの魔力を調整する魔道具だよ? お姉ちゃんね、皮膚の裏に魔力の層があってね、強く刺さないと刺さらないんだ」


 エリスはあっけからんと答えるが、ユミアは状況を理解できずにいた。そういうことを聞きたい訳では無かったし、痛くないんだろうか……。


「あぁ~、生き返る~」


 だが、いつの間にか顔に生気を取り戻したリタが、そう言うと、ユミアはたまらず叫んだ。


「エリスちゃんのお姉ちゃんって――――もしかしてヤバい人ですかぁぁぁ!?」


 周囲からの視線が集中する。それを感じたユミアは顔を真っ赤にして黙り込んだ。



 ――――それから暫くして、無事に誤解を解くことが出来たリタは、ようやく自己紹介をすることが出来た。とはいえ、相変わらず女の子の友達がキリカしか居ない彼女は、エリスの姉ということしか特に話すことも無かったのだが。


 それに対してユミアも、孤児院出身ということと、以前エリスと会ったことがあるという程度しか話すことは無かった。彼女には名字が無かったし、流石に孤児院出身の者にその理由を尋ねることは憚られた。


 そうしてお互いに名乗った二人は立ち上がると握手を交わす。丁度目線がその手に向かい、下を向いたリタの視線は、ユミアの張り出した胸部に吸い寄せられた。


(ぐぬぬ……レベルが違う……だと?)


 何故か遠い目をしているリタに、ユミアは首を傾げ、エリスは苦笑いを零す。姉の考えていることが手に取るように分かったからだ。


 だが、リタにはある種の感慨が浮かんでいた。あのエリスが、自ら友人を作るとは。


 ユミアにはどうかエリスと仲良くしてほしいと思う。

 こんなことを言えば、きっとエリスは怒るだろうけれど。


 ――そう、私がいつか居なくなったとしても、ずっと。


「ね、ユミア? エリスとずっと、仲良くしてあげてね? 箱入り娘だから常識が無いけど」


 リタは優しくユミアに微笑んだ。


「お姉ちゃんにだけは言われたくな――」


「そうなんですよ! 聞いてください、リタちゃん。さっき試験でエリスちゃんったら――――」


 ユミアは第四訓練場で起きたことをリタに話す。

 唇を尖らせたエリスが恥ずかしそうにそっぽを向いたのを見て、リタとユミアは目を見合わせて笑い合った。


 学院中を、浮足立つ受験生の希望の声や、夢に破れた挫折の声が満たしている。

 まだまだ冷える季節だが、春が近づき温かくなりつつある風が、少女たちの笑い声を優しく包むと、夕日に向かって運んでいく。


 そんな中、ただ一人、リタ・アステライトだけが、その瞳に違う感情を浮かべていた。




「お姉ちゃんもキリカちゃんも、結局盛大にやらかしたんだ……」


「「だって!」」


 エリスの呆れた声に、リタとキリカの声が重なった。


 ユミアと別れた後、姉妹は露咲き亭に戻っていた。

 もうとっくに日は落ちているが、部屋にはキリカが訪ねてきている。どうやら、周囲の目が気になって姉妹と話せなかったのを気に病んでいたらしい。因みに護衛のブルーノは部屋の外で待機中だ。



「それで? キリカにちょっかい掛けた馬鹿な先輩の名前、聞いといていい?」


 リタはキリカに質問を投げかける。学院で見つけたら、生まれてきたことを後悔させてやる。

 エリスは、この話は長くなりそうだと、ブルーノを不憫に思う。お茶でも淹れてあげようと、備え付けの魔道具でお湯を沸かし始めた。


「知らないわ。興味もないし……大体、弱い癖に私を口説こうだなんて、早いのよ。生まれ変わって出直してこいっての!」


 キリカは肩をすくめて笑った。


「だからって、私に勝てたらデートしてやるから全員纏めてかかってこいなんて、冗談でも言ったらダメだよ?」


 リタは心配そうな表情を向けていた。


「それは、最初の奴がとにかく面倒な奴で……大体、公爵家の娘ってわかるとすぐに逃げ出す腰抜けしか居なかったし――」


「あのさ、キリカも可愛い女の子なんだから、それでもダメだよ」


 リタは真っすぐにキリカの目を見て、そう言った。キリカは少しバツの悪そうな顔で返した。


「そ、そうね……一応私も、まだ婚約者いるし……忌々しいことに――!」


 リタは、その薄い胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚を覚えた。だが、そのことを気取られないよう、あくまで年頃の少女の笑顔で訊き返す。


「え? 誰!? 教えてよ、キリカ!」


 キリカも何故か分からないが、他でもないリタに婚約者のことを話すのはとても嫌だった。

 それはきっと、彼女の本心から望んだものでは無かったから。


「絶対に嫌!!!」


「えぇ~いけず~」


「あ、貴方こそどうなのよ!? 婚約者とか、付き合ってる人とか居ないの?」


 キリカは少しだけ気になってリタに尋ねた。


「居る訳ないじゃん」


 そのあまりにも予想通りな答えに、キリカは思わず笑ってしまう。


「でしょうね」


「え? 何で!? これでも街では結構求婚されるんだよ!?」


「はいはい」


「そこは信じて!?」



 リタとキリカは、何事か分からないが騒いでいる。それを横目に見ながら、エリスはブルーノに淹れたてのお茶を持っていく。扉を開くと慇懃な姿勢で立っていた。お茶を手渡すと、ブルーノは礼儀正しい礼を返した。

 廊下を歩く他の宿泊客の視線が痛い。

 彼も大変だ。きっと今夜は遅くなるだろう。三人とも、合格は決まったようなものだから、気が緩んでいるのもあるだろう。試験の緊張から解放されたからなのか、魔道具のおかげか分からないが、リタもすっかりご機嫌だ。


 エリスが部屋に戻った頃、話題はリタの試験の話へと移っていた。

 どうやら、簡単に言うと試験中に顔に傷がついて激昂した先輩が発した言葉に、リタが怒って素手で蹂躙したようだ。


(お姉ちゃん、相変わらず怒ると素手だよね……)


 だが、その話の中で、聞き捨てならない言葉を、エリスは聞いてしまった。


「――ねぇ、お姉ちゃん? その下劣でふざけたことを抜かした人の名前は?」


「うん? マグノリア・ステインレーブルって言ってたよ。ミハイルの知り合いっぽい。多分、ミハイルのことが好きなんじゃないかな? あいつも結構――――」


 リタは笑顔で、ミハイルってもしかしてモテているんじゃないかということを話している。さも自分が初めて気付いたかのような、自慢げな顔で。

 でもね、それに気付いて無かったのは、お姉ちゃんだけだよ?

 エリスもまた、そんな姉に微笑みを返す。


(マグノリア・ステインレーブル……か)


 その頃、桃色の髪の少女は、寮の自室にて背筋に強烈な寒気を感じていたのかもしれない。


 結局キリカが帰ったのは、かなりの夜更けであった。



 試験翌日は二人とも宿の部屋でゆっくりと過ごした。

 そして、その翌日、王立学院の合格発表の日。


 姉妹は学院の敷地内に張り出された合格発表を念のため確認しに行っていた。王国中、場合によっては外国からも受験者の多い学院は、受験者がそのまま王都滞在中に用事が終わらせられるよう、合格発表が非常に早い。

 姉妹とキリカは当然として、ユミアの番号もあることを確認した二人は、早速体育館に向かい制服の採寸を済ませていく。その後は多くの入学書類を記載し、学院を後にした。王都在住者は採寸や手続きが別日のため、この日はキリカやユミアと顔を合わせることは無かった。



 そうして姉妹の入学試験は多少の波乱を含みつつ終わりを告げた。


 クリシェに戻ったら、忙しくなるだろう。近しい人々への挨拶に、入学の準備。

 胸も高鳴るが、故郷を出る寂しさもある。


 だが、今だけは、希望だけを抱いていたい。

 肌を撫でるそよ風に、ほんの少しの温かさを覚えて、リタは花の咲く季節をこいねがった。

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