波乱の入学試験 6
無機質に鳴り響いた試験開始のブザーを聞きながら、リタはさてどうしたものかと考える。相手の程度にもよるが、現状出来るだけ動きたくない。高速戦闘をすれば、間違いなく吐瀉物まみれになるだろう。流石に人として、数百人の観客の前でそれを許容することは出来なかった。
対して、マグノリア・ステインレーブルは、目の前の銀髪の少女をただ真っすぐに見据えていた。
リタと呼ばれる少女は、マグノリアが慕うミハイルの幼馴染で、剣の大先輩とのことだ。はっきり言えば信じられなかった。目の前の少女は明らかに小柄であるし、手足も細い。白雪のような柔肌には傷一つ無い。聞けば子爵令嬢と言うが、これでミハイルよりも強いとは、どんな冗談だと思う。
マグノリアにとってミハイルは恩人であった。あの時、彼が助けてくれたから自分はまだ立っていられると思っている。あの笑顔が、こんな生意気なガキに向けられていると思うと胸を掻き毟りたくたくなる。
何のつもりか、目の前の少女は自分から動く気は無いようだ。そのオッドアイは微かに揺れているだろうか。何を考えているのか分からない不気味さがある。
マグノリアは駆け出した。剣の腕はミハイルには遠く及ばないが、同年代ではそれなりに使える自信はある。正直、ミハイルの言葉は信じていなかった。だから彼女は身体強化の魔術を自身に掛けると、一息に駆け出した。
少し毛先のカールした桃色の髪が風になびく。マグノリアは正しく疾走していた。彼岸の距離は二メートル強、互いの剣の間合いが間もなく交錯する。
リタはそれに何の反応も見せていない。
――拍子抜けだ。さっさと倒れていろ。
マグノリアは、脇を小さくたたみながら、右手で剣を抜くように横に振り抜く。そしてインパクトの瞬間に腕を伸ばしながら歩幅を開く。リタの胴に向かって最短距離を走る剣閃は、まるで剣が伸びたようにも錯覚するはずだ。
だが、マグノリアの右手に返ってきた重い衝撃に、彼女は目を見開く。リタは特に何の感情も浮かべていない顔で、訓練用の鉄剣で受け流していた。
(あのタイミングから、予備動作なしに間に合わせることが、出来る筈は――――)
マグノリアは驚きつつも、すぐさま第二、第三の手を打つ。左右にステップを繰り返しながら、数回ほど切り結ぶ。しかし、その全ては簡単に弾かれてしまう。
――馬鹿な。あの華奢な体で、あの訓練用の重い鉄剣であの軌道に割り込めるものか、きっと何か仕掛けがあるはずだ。マグノリアは見当違いな予想をしながら、少し距離を取るように飛びのいた。リタは特に追撃の素振りは見せない。
(クソッ、舐めやがって)
『
マグノリアは左手をリタに向けると、高速詠唱で炎熱系統の火球魔術を発動する。マグノリアは剣によるい近接戦闘を得意としており、魔術は目くらまし程度になればいいと思っていた。
流石に、高速詠唱だと規模もそれなりだ。拳大の炎の塊がリタに向かって飛んでいく。
どう対処する? マグノリアは観察しながらも、リタに向かって再度駆けて行く。だが、その炎はリタが剣を振るうと風圧で掻き消された。
(馬鹿な!? どんな速度だ!?)
マグノリアは歯噛みする。おかしい、そんな筈は無い。目の前の少女が、本当にミハイルより強いなど、あってはならない。彼は、誰よりも強くあろうとしている。大切なものを守るためにと、いつしか誰かを助けるためにと。
それから、何回も攻め立てるが、決定打に欠ける。このまま膠着状態が続くか、マグノリアがそう思ったそんな時だった、リタの振るう剣先が彼女の頬を抉った。
(あ、まずい)
リタは上手く剣を振るえていなかった。幸いにも、相手は大したことは無さそうだ。ここまでは問題なく捌けていた。だが、そこに油断があったのかもしれない。本来の意図とは若干異なる軌道を辿った、リタの鉄剣がマグノリアの頬を切り裂いた。
流石に女の子の顔に傷をつけるのは忍びない。それが例え、多少腹の立つ女だったとしても。
「すいま、せん。……ス、ステインレーブル先輩」
リタは胃の中身がせり上がってくるのを、何とか押しとどめながら、マグノリアに謝罪した。マグノリアは下を向いて震えている。
(絶対怒ってるよ……、でもこの人も大概好き勝手にやってるし、後で治療してあげれば……いいよね?)
一応先輩にあたる人物だ。リタは恐る恐る言葉を続けた。
「あ、あの……後で傷が、残らないように、治療、しますので――――」
「てめえ、この顔に傷つけやがったな!? 絶対に許さねぇ! ミハイル様にこのあと会うんだぞ!?」
リタの剣先は頬を抉り口内まで貫通していたようだ。マグノリアは溜まった血を吐き捨てる。凄まじい形相で睨みつけながら、マグノリアは低い声で発した。
「で、ですから、後から治療――」
「お前も、妹も、どうせ色仕掛けでミハイル様を誑かしたんだろ!? てめえみたいなクズが、ミハイル様の寵愛を受けるなど、許されると思うなよ! 絶対にぐちゃぐちゃにして、潰してやる! どうせ妹もクズみたいな女――――」
「ねぇ、それ以上、言ったら――許さないよ」
確かに、顔に傷をつけたのは悪かったし、生意気な後輩に腹を立てるのは百歩譲って分かる。だが、エリスのことまで貶めるようなら、我慢が出来そうに無い。
「何度でも言ってやるよ、お前も、妹も、クズでゴミだ。そんなに男を引っかけたかったら、売春婦にでもなったらどうだ? ああ、てめえみたいな幼児体系でも、汚いオヤジには需要が――――」
だが、愚かにも頭に血が上ったマグノリアは、斬首台への階段を昇ってしまった。
「黙れよ」
低く響いたリタの声に、マグノリアは声を失ってしまう。だが、彼女は目の前の少女に怯えているという事実を認めることが出来なかった。
「な、てめえ、そんな言葉遣いしやがって――」
「それ以上、囀るなって言ったの。分かる?」
幽鬼のようにフラフラと身体を揺らしているリタの姿に、マグノリアは思わず後ずさってしまう。だが、数百人の観客の前で、小柄な少女から後ずさりをしている自分はどう映るだろうか。
また、恥をかかされた。
他でもない、ミハイルも見ているかもしれないのに。
――許さない。
このガキは、どんな手段を使ってでも、地獄に落としてやる。
必死に距離を取ろうとする、その足を止めると、彼女は自ら斬首刀に結びつけられた紐を切った。
「てめえも、妹も、手足を斬り落として並べて、男どもに輪姦させ――――」
マグノリアの発言を聞いた時、瞬時にリタの頭は沸騰した。
こいつは、私にとって、世界一つよりも大切な家族を、穢そうと、そう言ったのか?
「ぅがあ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁ!」
リタの咆哮が会場に響き渡る。体中から噴出する凄まじい量の魔力は、紫電を纏いながら周囲に拡散されていく。その紫電に直接触れた観客たちは、次々に気絶する。観客席は悲鳴と怒号に満たされていった。
マグノリアは、そのあまりにも異様な雰囲気に声を発することも出来ない。
「フシュゥゥゥゥ……!」
上体をだらんと下げたリタの身体からは湯気が上がっている。口元からは不気味なうめき声を漏らす。彼女はとにかく必死だったのだ。目の前の相手に対する殺意を抑え込むことに。
だが、体内の魔力をかなり発散したことで、リタの頭に冷静な思考が戻ってくる。今なら、行ける。この女、必ず後悔させてやる。リタは左手の先に魔力を集め、呪文を紡いだ。
「渇望、それが汝に与えられし意義。飢餓、それが汝に許されし意味。汝が欲望を縛りし牢獄は、我が悠久に等しき退屈。さすれば同義、反転は相違。双極の深淵に浮かびし声に、応えるは虚無のみと知れ! 喰らい尽くせ――――
左手の先には、真っ黒な球体状の塊が現れた。表面は何処かタールのような粘度の高い液体がドロドロと渦巻いているようでもあり、無限に続く光が届かない穴のようでもあった。それが発する異常な気配に、マグノリアは恐怖を感じる。まるで心臓を握られているような、そんな息苦しさだった。
リタは躊躇いなくその塊にその左腕を突っ込んだ。自身の暴走する魔力を、食わせるために。
「――――ッ!!」
リタが苦痛に顔を顰めて、その左腕を引き抜いた時、その肘から先はもう存在していなかった。鮮血を噴き上げるその肘から、真っ黒な触手のようなものが何本も生えてくると、絡まり合いながら、左手の形を形成していく。
その吐き気を催す光景に、マグノリアはただ震えるしかなかった。
そして、真っ黒な球体が姿を消すと、途端にマグノリアの身体が自由になったように感じた。
「な、何、それ……。そんな魔術は知らない! どうせハッタリだ! そうに決まってる!」
マグノリアは自分に言い聞かせるように、リタに剣先を向けてそう言った。
「それでもいいよ? じゃあさ、先輩の想いと、私の
そうしてリタは、満面の笑顔を返した。
最低限の魔力を残して、その殆どを放出出来た。
この女には、魔術も、剣も必要ない。リタは鉄剣を放り投げる。
「行くよ? 先輩――――死なないでね」
「速――――ッ!」
そんな悲鳴を置き去りにして、マグノリアの身体は吹き飛んでいた。数十メートル後方の訓練場の壁に叩きつけられ、たまらず嘔吐した。
空中にまき散らされる吐瀉物。いつの間にか横に居たリタは、マグノリアの顔面で空中の吐瀉物を拭うように、髪の毛を掴んでその顔面を地面に叩きつける。
そのまま、彼女の両脚を右足でへし折ってから、左手で髪の毛を掴んでその身体を持ち上げた。
「立ってよ、先輩?」
マグノリアの顔面は潰れており、既に目は開いていない。鼻は完全にひしゃげ、その口元は歯が唇を突き破り流血している。
リタは、なけなしの魔力でマグノリアに回復魔術を掛ける。途端にその顔は生気を取り戻し、元の美しい顔に戻っていった。砂と吐瀉物に塗れてはいたが。
「こ、こうさ――ッグ……」
何事かを発しようとしたマグノリアの首をリタの右手が締め上げる。途端に彼女の顔は真っ青になっていく。
「降参とか、言わないよね?」
笑顔でそう言ったリタは、両手を離した。落下していくマグノリアの身体を、真横に蹴飛ばす。何度も地面をバウンドしながら転がっていくマグノリアの身体。何度目かのバウンドを経て、どうにか受け身を取り立ち上がろうとしたマグノリアだったが、横には既に銀髪の少女の姿があった。
「待っ――」
既に制服も身体もボロボロだった。だが、そんなものはお構いなしに、リタの拳がマグノリアの脇腹に突き刺さった。マグノリアは、呻き声を上げる暇も無く、再度訓練場の壁に叩きつけられる。その彼女の身体を、執拗に襲うリタの拳。リタは勿論手加減していたが、マグノリアにとって正に地獄の時間であった。
内臓は破裂し、折れた肋骨が更に体内をかき混ぜる。あまりの激痛に気を失おうとする瞬間に、リタの回復魔術が発動し、治った途端にまた殴られる。
マグノリアにとっては、永遠にも思えた苦痛の時間は闖入者により突然終わりを迎えた。
「その辺にしといてくれないか?」
リタの隣に立つ、ダークエルフの女。胸元が空いた煽情的なドレスを着ている。リタは胡乱気な視線を向ける。気配には気付いていたが、別に試験の邪魔にはならないので放っておいたのだ。
「えっと、誰でしょう? 私、試験中なんですけど……」
リタは隣に立つ女性に首を傾げる。
「学院長だ」
(いきなり現れて何言ってんのこの人? というか服装的にありえないでしょ。大体こういう魔術とかの学院の学院長って髭のおじいさんか、のじゃロリ幼女って決まってるじゃん。私知ってるんだから!)
リタは前世のアニメの知識と偏見を元に、その女に肩をすくめて返事を返す。
「いやいやいや、嘘……ですよね?」
「事実だ」
リタはこれじゃ埒が明かないと、溜息を吐いた。
即座にマグノリアに回復魔術を掛け、その顔に張り手をかまして起こす。
「ねえ、先輩。そこの女の人が学院長だとか言ってるんですけど……あんなエロいドレス着てる人が教育者だなんて、可笑しいですよね? 笑っちゃいますよね? 不審者なら、このまま私がボコっても――――」
リタに首元を掴まれ、揺さぶられていたマグノリアであったが、ダークエルフの女性を視界に入れた途端、姿勢を正して叫んだ。
「が、学院長!? どうしてここに!?」
「え? 嘘……!?」
振り返ると、学院長と呼ばれたダークエルフの女性は苦笑いで頷いている。
「終わった……私の学院生活……」
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