冒険の終わり、少年の旅立ち
とある森の最深部。木々は深く、日の光も殆ど届かない。薄暗く、湿った空気に満たされた其処には、そんな雰囲気とは不釣り合いな雰囲気の少女たちの姿があった。
リタは思わず溜息を漏らす。いつも通りキリカと通話していた姉妹であったが、丁度アルベルトが執務で家を出たとのことで、キリカの部屋まで迎えに行き森の中で会話を楽しんでいた。流石にキリカの部屋にいきなり姉妹が来ていたら、屋敷の使用人たちが失神しかねないためだ。
土魔術でドームを作り、中にテーブルと椅子まで拵えていたのはいいのだが、あまりにも周囲が騒がしかった。どうせ魔物だろう、さっさと片付けようと思ってみれば、幼馴染二人が苦戦している場面だった。キリカは張り切って突っ込んで行き、思いきり顔を見られた。あの二人に、キリカのことを説明することは難しい。
(さて、どうやって誤魔化したものか……)
「とりあえず、キリカ送ってくよ。ちょっとあいつらに口止めしないといけないから……色々言いふらされて面倒なことになると困るし」
リタはそう言ってキリカの手を取ると、キリカの部屋に転移していった。
エリスは、寂しそうな顔で姉の手を握る彼女に手を振って見送る。そして、二人の姿が見えなくなった途端に溜息をつく。
「全く、あの二人ときたら……」
エリスの呟きは、木々のせせらぎに消えていった。
「じゃ、またね……」
キリカの部屋に転移して暫く。リタはそう言ってみたものの、中々繋いだ手を離すことが出来ないでいた。それは彼女も同じようで、キリカは下を向いて俯いている。長い睫毛の下で揺れる赤い瞳に、視線が吸い寄せられる。
公爵令嬢ともなれば、普段は多忙である。直接会って話す時間は中々取れない。それでも、彼女たちは恵まれていた方だと言えよう。この世界では初めての、個人で長距離通話手段を持つ友人同士だったのだから。
「もうちょっと……」
そう呟くキリカの声に思わずリタは微笑んでしまう。そして右手を繋いだままま、左手でそっとキリカを抱き寄せた。久しぶりに感じる彼女の温もりと匂い。お互いに全く成長を見せない、慎ましやかな膨らみから伝わる、ほんの少しの柔らかさと確かな鼓動を感じながら、リタはキリカの絹のような髪に顔を埋めた。
リタの頬に、彼女の左耳が触れ、思わず鼓動が跳ねた。少し熱をもった、赤く染まる耳がとても可愛く思えて、リタは気付けば優しく吐息を吹きかけていた。
「く、くすぐったい……もう」
そう言ってキリカは小さく笑いながら、少しだけ身体を離した。だが、リタの右手は彼女の左手と繋がれたままだ。多分、私の顔は赤いだろうなとリタは思いながらも、キリカの瞳から目を離せなかった。このままでは、いつまでも帰れそうにない。
「また、すぐに会いに来るよ」
意を決してそう告げたリタに、キリカは少し照れた笑顔で「絶対だからね?」と言った。リタは強く頷くと、その手を名残惜しそうに離す。キリカが瞬きをする間に、その姿は微笑みを残し消えていった。
急に静かになった広い部屋で、キリカは親友の気配の残滓を感じていた。そして彼女は、公爵令嬢とは思えない見事な姿勢でベッドにダイブすると、いつしかリタが使っていた方の枕を抱きしめる。彼女の温もりを感じながら、ゴロゴロと左右に転がるキリカ。
そうして暫く、目を閉じて転がっていた彼女であったが、そんな自分が急に恥ずかしくなる。熱い顔を覚ますように、手で仰ぎながら皺の寄った服に苦笑いを零すキリカは、次の再会に想いを馳せた。――まだ顔は少し熱い。けれど、悪くない気分であったことは確かだった。
「――遅くない?」
リタが戻った時、そこには不機嫌そうに佇むエリスの姿があった。ジト目で睨む妹から感じるプレッシャーに冷や汗が止まらない。
「え~っと、その、ちょっと……。中々、別れづらくってさ」
「可愛い妹を森に一人で置き去りにして、自分たちは仲良くお話してたんだ……へぇ……」
視線を細めて、口元を綻ばせるエリスが怖い。リタは思わず目を逸らしてしまう。
「いや、それは、そうなんだけど……」
「帰ったら、前作ってくれたプリン? だっけ。あれを、二つね? ちゃんと滑らかな方で」
「えぇ……あっちの方は材料高いんだよ? 私のお小遣いがもう残って無いの知ってるくせに――」
「文句あるの?」
「無いです」
そうして姉妹は、街の近くの物陰に転移していった。
クリシェの街の入り口に近づいたラルゴとミハイルは、門の前で待つ銀髪の姉妹の姿を見て思わず苦笑いを漏らした。競い合うように走り出す二人の少年たち。
「おそーい!」
そう言いながら腕組みをしているリタは、少しだけ曇った笑みを浮かべていた。
エリスはその後ろでそっぽを向いているようだが、少し口元が綻んでいるようにも見える。
「おいリタ、さっきの子って誰だったんだ?」
「し、知らない。何のこと?」
ラルゴの問いに対して、棒読みで答えるオッドアイの少女。
明らかに視線が泳いでいるが、本人はあれで取り繕えていると思っているのだろうか。後ろに目をやるとエリスは肩をすくめている。
事情はよく分からないが、きっとあの少女は姉妹の友人なのであろう。短い時間のやり取りでも、それは理解していた。だが、何処から現れて何処に消えたのか、それがラルゴには分からなかった。近くの村までは歩いて丸一日以上はかかるはずだ。そもそも、あんなに上品な服装を纏い、綺麗に手入れされた髪を持つ少女が農村に居るはずも無い。
とはいえ、クリシェの街に住んでいれば知らなければおかしいし、目の前の彼女は答えてくれないだろう。
だったら、考えても無駄か、そう結論付けた。
「とりあえずさ、ちょっとオーガに一撃貰って、滅茶苦茶脇腹がいてぇんだ。治療してくんね?」
ラルゴの問いかけに、リタの目が光った。
「いいけど、ちょっとこの後買い物付き合ってよ。も・ち・ろ・ん、治療費としてラルゴの驕りね!」
「はぁ? ……し、仕方ねぇな。だけどうちの店限定な!」
そう、ラルゴの家は田舎にしては大きめの商会であった。
エリスは、本当は嬉しいくせに……と赤い顔のラルゴを見ながら思うも、姉の手作りのお菓子が食べれるならどうでもいいかと笑う。
「僕も付き合うよ。丁度買いたいものもあったしね?」
ミハイルも追随する。彼は大目に見てあげてもいいだろう。旅立ちの日が、もうすぐそこまで迫っているのだから。
リタは即座に魔術を発動し、ラルゴの治療を済ませる。そして四人は賑やかに、門を潜り街に帰っていく。
少年たちにとっての初めて冒険は、こうして終わりを告げた。
――――それから、一週間後。
「わざわざ見送りありがとう」
それは良く晴れた朝であった。もう三週間もすれば、春の花が咲き誇るであろうそんな季節。
長めのプラチナブロンドを爽やかな風になびかせながら、ミハイル・フェルトシアは生まれ育った街と、掛け替えのない友人たちを眺める。
「まさか、ミハイルが首席で王立学院に合格するなんてね」
「お姉ちゃん、ミハ兄はひ弱だけど頭はいいんだよ?」
相変わらず、いつも通りな姉妹の姿にミハイルは思わず笑みを浮かべる。彼は、進学を機に母と共に王都へ引っ越すことを決めていた。今後はクリシェに来る機会も、あまり無いであろう。それでも、長期休暇の時には遊びに来ようと、心に決めていた。
「師匠にも、よろしく伝えといて欲しい」
「うん分かった! 次に会った時には、どれだけ強くなったか確かめてあげる」
そう笑顔で話すリタには、思わずミハイルも乾いた笑みを浮かべるしかない。そうして少しの間、ミハイルと会話していた姉妹は、ミハイルの母にも挨拶を終えた。
彼の乗る馬車は間もなく出発の時間を迎えようとしている。
――だが、そんな中で、一人無言の少年がいた。ラルゴ・ヤンバルディである。
そんな少年たちの姿を、リタは呆れた目で、エリスは生暖かい目で見ていた。
ミハイルは、頑なに目を合わせようとしないラルゴを呼び寄せると耳打ちする。
「なぁ、ラルゴ」
「なんだよ」
「リタちゃんと、エリスちゃんのこと、――――頼むな」
「……え?」
ラルゴは思わず、まじまじとミハイルの顔を見る。
「でも、抜け駆けはするなよ?」
そんなラルゴに、ミハイルはニヤリと笑った。
「ば、馬鹿言え!」
「お前も、学院を目指すんだろ?」
「そ、そうだよ」
「リタちゃんが行くからな」
「うっせぇな」
「……僕もだ」
「ふ、やっぱりかよ」
「悪いか?」
「……いや、悪くねぇな」
ラルゴは思わず笑みを浮かべる。
「ラルゴのことも、仕方ないから待っててやるよ」
ミハイルもまた、挑発的な笑みを浮かべた。
「――ああ、必ず行くから、腕を磨いて待ってろよ」
そう言って二人は笑い合うと、拳をぶつけ合った。
彼らは気付いていた。
恐らく、この想いが実ることは無い、と。
だが、きっと彼らは、いつかの誰かのように「それでも――」と言うのだ。
そして少年は旅立つ。
好きな女の子と、魔術の師匠と、一番の親友に見送られながら。
その姿が見えなくなるまで、ミハイルは手を振り続けた。
柔らかな風が頬を撫で、伝う雫を煌めきに変えていく。
「ありがとう、みんな」
灰色の瞳に映る景色は、滲んでいる。
だがそれは、どんな絵画よりも美しかった――――。
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