姦しい王都観光 2
小洒落たカフェテリアのテラス席にて、朝日と周囲の注目を浴びながら三人は朝食にありついていた。
エリスは、席について注文しただけだと言うのに、既に疲労感を覚えつつあった。
「あら? ナイフとフォークが無いわね。店員さんにもらわないと……」
細長いパンにたくさんの具が挟まったサンドウィッチの包み紙の裏をめくりながら、キリカは周囲を見渡している。
「キリカちゃん? サンドウィッチはそのまま包み紙を手で持って食べてください、お願いだから」
「あら? これはサンドウィッチなの? うちのと違うから、つい……」
キリカは不思議そうな顔で包み紙を手に取って観察している。まさか、こういうのは食べたことが無いのだろうか。あまりの生活レベルの違いにエリスも驚いてしまう。
「にっが!」
リタは薫り高い黒い液体に口をつけてそう言った。コーヒーとかいう飲み物がこの世界にもあるのかと頼んでみたものの、あまりの苦さに驚く。地球時代には存在は知っていたが、そんな高級な嗜好品には手を出さなかったため、味を知らなかったのだ。とはいえ、初めて飲むから地球のコーヒーと同じかどうかは分からない。香りはすごく好きなのだが……。
「それは、そういう飲み物です。カッコつけてブラックとか言うから……はい、砂糖とミルク」
エリスはさっと、自分の注文についてきた余分な砂糖とミルクの小瓶を姉に手渡す。
全く世話が焼ける姉だ。エリスのそんな視線に気付かず、リタはドバドバと砂糖を投入していく。見てるだけで胸焼けしそうだと、目を逸らす。
「幾らでも使って良いなんて、流石王都。贅沢」
「入れ過ぎ……」
「あっま~い」
両手に頬を当てて、目を輝かせて微笑む姉の顔を見ていたら、やっぱりどうでも良くなった。
既に宿で朝食を済ませていたエリスは、ちょっとした茶菓子をつまみながら、素早い提供時間の割には悪くないコーヒーを飲む。勿論、砂糖とミルクは追加済みだ。
リタはとにかく黙々と、キリカは上品に食事を進めていく。時折テーブルを彩る笑い声に、周囲の注目を集めるも、リタは気付いておらず、キリカは慣れたものと受け流す。一番居心地が悪い思いをしてるのは自分かと苦笑いを零しながら、エリスも気にしないことにした。
会計の時に白金貨をおもむろにポシェットから取り出したキリカに瞠目し、慌てて自分の手持ちの銀貨で支払う場面もあったが、エリスは何とか無事に問題児たちとの朝食タイムを乗り切ることが出来た。
(え? 普通に考えてお釣り凄く嵩張るよね? そもそも普通の店にそんなお釣りのストックある? もしかして……キリカちゃんって……やっぱり……? いやいやいや、箱入り娘だし、仕方がない、よね?)
「さて、今日は何処に案内してくれるの? キリカちゃん」
(どうして一番人見知りで引きこもってる私がまとめてるんだろ……)
「そうね……とりあえず、中央広場の方に行けば色々なお店があってきっと楽しいから、そっちの方にでも行く?」
そんなキリカの案内で、三人は貴族街の方面へ歩く。街並みが上品になるにつれて、不躾な視線は減ってくる。注目を集めていないわけでは無かったが、多少は落ち着いてきているような印象を受けた。
リタとエリスは田舎ではお目にかかれないようなものを物色していく。エリスは古物商で、年代物のペン型魔道具を購入した。リタは、良く分からないデザインの真っ黒で丈の長い外套を購入していた。正直、とても怪しいのだが本人が買うと言って聞かなかったのだ。
キリカはいつでも来れるからと、特に何も購入することは無く姉妹の買い物についてきてくれる。
「そう言えば、キリカ? 今日はブルーノさんだっけ? 護衛はいいの」
リタはふと疑問に思っていたことをキリカに問いかける。
「うん。この辺りは落ち着いてるし、それに貴方もいるから、お父様が不要だろうって」
間違いなく、気を遣ってくれたのだろう、とエリスは思った。ただ、エリスも入れたこの戦力ならば、確かによっぽどのことが無ければ大丈夫だろう。それに、この平和な王都でそんな事態など、そう起こるべくも無いのだ。姉さえ、自重していれば……。
両手に紙袋を抱えた姉妹とキリカは、賑やかな会話をしながら街を歩く。日差しも高く、初夏とは言え暑さを感じる時間帯だ。リタの「お腹空いた」の一声に、三人は食事にすることに決めた。
エリスも、両親から少なくない額のお金を渡されていた。流石に公爵令嬢と遊ぶのであれば、ある程度先立つものが必要だろうと持たされたのだ。報奨金があるからって、奮発しすぎじゃないかと思えるほどの額を渡されていることは、絶対に姉に知られないようにしなければならない。
しかし、朝食の時は正直落ち着かなかった。日差しのこともあるし、個室なんかがある店内でゆっくりしたいものだ。
「キリカちゃん、お昼は個室があるお店で、ゆっくり出来そうなところでお願い」
エリスはとりあえず、そうキリカに提案する。
「はいはーい、私は美味しければどこでもいいでーす!」
リタも笑顔で追随していく。しかし、キリカは何かを考えているような様子だ。
「そ、そう? 個室、個室……知らないわね。やっぱり貸し切りにしてもらう?」
「あのね、多分普通の店員さんだったら子供だけで貸し切りにしたいって言っても追い出すと思うし、白金貨ちらつかせるのも、身分を匂わすのもちょっと遠慮したいなって。普通の町娘みたいに、落ち着いて何事も無く平和に観光したいの、分かる?」
段々遠慮が無くなっていくエリスの物言いに、思わずキリカは怯んでしまう。
「え、ええ。勿論よ? じょ、冗談に決まってるじゃない」
目を逸らしながらそう言ったキリカは、「誰かに聞いてくる」と駆け出していく。
普通に考えて、上品な貴婦人がそこらに居るのだから、その人たちに訊けばよかったのだが何故か彼女はこの場にいることが場違いに思える、いかにも柄の悪そうな武装した三人の男たちに近づいていった。
本人としては、普段騎士団の面々と接することが多く、武装した人間の方が親しみやすかっただけなのであるが、明らかに悪手であることは明白であった。
エリスは思わずため息をつく。
(え、もしかして本当に? キリカちゃんって……ポン……コツ……?)
何事か、恐らく失礼なことを男の一人が言ったのだろう。キリカは顔を真っ赤にして先頭に立つ斧を担いだ男を睨みつけている。男は下卑た笑みでキリカを舐めるように見ている。それを認識した次の瞬間にはリタが飛んでいって、その男の顔面に拳をめり込ませていた。
肉の潰れる音に続き崩れ落ちる男と、それを見て驚く周囲の人々。
倒れた男の連れの二人は激昂し、今にも剣の柄に手を伸ばそうとしている。
(これ以上は、本当に勘弁)
エリスは即座にトップスピードで駆けると、二人の少女と、二人の男の間に割り込む。
「申し訳ありません、姉がご迷惑をおかけしました。――――しかし、先に剣を抜いたら、犯罪ですよ」
男たち二人を睨みつけながら、エリスは静かにそう告げた。これで引いてくれるような、最低限理知的な人間であればいいのだが。
「何言ってやがる、そこのメスガキがいきなりリーダーに殴りかかってきたんだろうが!」
「そうだぞ! そんな謝罪で足りるとでも思ってんのか!」
髭面の男たちが唾を飛ばしながら叫ぶ。非常に不愉快ではあるが、キリカが最初に何か失礼なことを言ったのかもしれないし、確かに先に手を出したのは姉だ。エリスは腰を折った。
「失礼いたしました。――そちらの方の治療費と、謝罪金をお支払いいたします」
「ちょ、ちょっとエリス!」
「エリスさん?」
後ろで二人が何かを言いかけるのを、エリスは手で制した。これ以上、事を荒立てたくはない。……もう手遅れな気がしなくはないが。
「いや、そんなものよりも、だ――」
だが、目の前の男たちは、エリスの想像の何倍も愚かであった。
舌なめずりをする男たちの瞳に灯った獣欲の炎が、リタを捉えるのをエリスは見逃さなかった。
こいつらは、私の姉にそんな眼を向けて、許されるとでも思っているのか?
――否。他でもないこの私が、許してなるものか。
エリスの中で、平静を保とうとしていた何かの糸が切れた。
「そこの失礼なメスガキに――――ヒィ」
威勢よく喋り出した男であったが、それ以上言葉を続けることが出来なかった。
目の前に立つ、琥珀色の瞳の少女から吹き上がる殺気が世界を黒く塗りつぶしていくような錯覚を覚えたためだ。足元が覚束ない。周囲がとても暗く感じる。
生物としての格の違いを思い知らされた二人の男は、その膝を折った。
「それ以上、何か言ったら――分かるよね?」
膝を地につけた男たちは、その両目に涙を浮かべながら揃って首を必死に縦に振る。
「そこの男を連れて、さっさと消えてくれる?」
道端の塵を見るような冷たい目で睨まれた男たちは、震える手足を必死に使い、倒れ伏した男を引きずりながらどこかに消えていった。
「あーあ、結局エリスが一番目立ってるじゃん……」
「確かにそうね……」
後ろから聞こえる呑気な声に、エリスは笑顔で振り返る。その表情を見た、二人の少女のツインテールは同時に震えた。
「お姉ちゃん? キリカさん? ちょっと付いてきて」
二人は顔を見合わせた後、無言で頷くとエリスの後に続く。周囲の視線が痛い。
そして三人は、人通りの無い裏路地に到着した。
エリスは、二人に笑いかける。
「そこに正座」
「「アッハイ」」
――――エリスの説教は、リタのお腹の音が鳴り響くまで終わらなかった。
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