姦しい王都観光 3

「公爵令嬢を石畳に正座させるなんて……エリス、恐ろしい子!」


「まだ言ってる……」


 結局のところ、エリスが近くの穏やかそうな老紳士を捕まえて紹介してもらったレストランで食事となっていた。子供三人で個室を使いたいと言っても、嫌な顔を一つせずに通してくれた。彼女たちの纏う上質な服のおかげでもあるだろうが、よく教育が行き届いているようだ。


 そんな店の室内はテーブルや椅子を始め、全てが上質で、背伸びをしたい姉妹を喜ばせた。キリカは特に何も感じていないようであったが、彼女なりに友人たちとの昼食を楽しんでいたと言えよう。


 食事に関しては、文句の付けようがない。食事も味付けも、彩りも全てである。


 そんな中で、リタを喜ばせたのは牛肉の香草煮込みであった。クリシェでは中々食べることのできない柔らかい肉質。一口噛めば広がる肉汁と野菜の旨味。噛みしめるごとに感じるのは肉の脂の甘さ。最後に鼻の奥を抜ける香草の香りまで、絶妙に計算されているように感じた。


「これは――――美味しいわね」


 そう、思わずお嬢様のキリカも唸らせるほどには。


「エリス、これ五人前追加で」


「はいはい」


 相変わらずの食欲を見せる姉に、エリスは今日くらいはいいかと奮発して店員に注文を伝える。知ってか知らずかは分からないが、この煮込みは酒類を除けば最も高価なメニューだった。落ち着いた壮年の男性店員も思わず「ご、五人前ですか?」と聞き返したのもご愛嬌であろう。


 この店は、富裕層以外にとってはその値段の高さがネックであろうが、個室や店の門構えも含めたトータルの体験を考えれば、全く持って許容範囲内である。きっと、彼女たちが入学してからも、特別な日にはここで食事を摂ることもあるはずだ。


 エリスも食事を進めるにつれて、徐々に上機嫌になっていく。


 そうして、食後のデザートまで十二分に堪能した彼女たちは甘い紅茶を傾けながら、ガールズトークに興じていた。決して恋する乙女が繰り広げる、甘酸っぱい会話では無かったが。

 重厚な暗色のテーブルに掛けられた白いクロスの上には、小さな花瓶と一輪の花。けれど、それ以上にこの空間を華やかに彩るのは少女たちの笑顔だった。


 キリカは、心から笑い合える友人と出会えたことに、ただただ感謝していた。

 今日だけで、どれだけ多くの楽しみを知っただろうか。

 そしてきっとこれからも、望めばこんな日を過ごすことができる。それがどんなに、彼女にとって救いであったか、それをいつか彼女たちに伝えたい。そう思った。


 落ち着いた店内には若干不釣り合いな、明るい少女たちの笑い声が響く。しかし、しっかりとした造りの個室には外の音は聞こえてこない。彼女たちの声も、決して他の客の邪魔をするほどでは無いだろう。


 そんな中、キリカが少し赤い顔でポシェットを手に立ち上がる。エリスに「キリカ、あの日だから」と耳打ちしているリタが頭をはたかれたのは、自業自得と言えるだろう。


 キリカが個室を出たところで、エリスは切り出す。


「――で、キリカちゃんには、どこまで話したの?」


「……肝心なことは、何も。余計な厄介事に巻き込みたくないからね」


「ふぅん……? 私はいいのに?」


「それは……ほら、ね? 分かるでしょ?」


 少しだけ赤い顔でそう言葉を濁す姉の姿にエリスは微笑む。勿論、分かっていて聞いている。そんな反応を示す可愛い姿を見たかっただけだ。

 自分が、姉の特別であるのなら、それだけで十分だ。


「あ、でも転移が使えることは話したよ? キリカの首飾りで座標はトレースできるし、適当に場所見繕ってもらえればいつでも遊びに来れるはず」


「抜け駆けは無しだよ?」


 そう言ってエリスは悪戯っぽく笑った。


「分かってますよだ」


 エリスはそっとテーブルの上に置かれたリタの手を握った。リタも優しく握り返す。


「学院、楽しみだね」


「うん、まだ三年もあるけどね」


 そう言いながらリタは、何処か遠くを見ている。いつか、成長した三人が街を歩く姿を想像しているのかもしれない。


「――すぐだよ、きっと」


「そうかな?」


「うん。でも、お姉ちゃんは勉強頑張らないとね」


「はぁ、それは王都では聞きたくなかった台詞……」


 彼女たちは笑い合う。丁度戻ってきたキリカもその光景を見て思わず微笑む。


「貴方たちって、顔は似ているけれど、性格は全然違うじゃない? でも、すごく仲良しなのね……少し羨ましいわ」


「キリカちゃん、私に妬いてるの?」


 そう言いながらエリスはキリカをからかう。


「え? そうなの?」


 リタも笑いながら追随する。


「ち、違うから!」


 そんなキリカの姿に、姉妹は笑みを深めるのであった。




 あてもなく、リタを真ん中に手を繋いで歩く三人。


 午後の時間も、行列の店で買い食いをしたり、景色のいい丘に登ったり、きっと年頃の少女たちから見れば少しだけ背伸びをした時間を過ごした。


 そして、少し日が傾き始める時間帯に差し掛かり、いつしか彼女たちは、大きな門の前に来ていた。


「ここが、学院よ――」


 キリカの紹介に、姉妹はその巨大な敷地を眺める。

 校舎であろう大きな建物に、研究施設のようなもの、奥には寮らしき建物や用途不明な建物が立ち並んでいる。

 校庭を歩く少年少女たち。一様に黒を基調とした制服を纏っている。


(あれは、ブレザー? 制服可愛い……)


 リタはアニメで見たような凝った制服に感嘆の溜息を漏らす。


 三人は無言で、その景色を目に焼き付けていた。

 いつしか来る、ここで過ごす時間のことを思い浮かべながら。


「行こうか」


 そう言うと、他の二人を置いてリタはさっさと歩き始めた。


「あら、もういいの?」


「うん、どうせすぐに来るからね」


「お姉ちゃんはもっと勉強しないと無理だよ」


「ふふ」


「あ、今キリカ笑ったでしょ?」




 そして三人は、夕暮れに染まる貴族街を、別れを惜しむようにゆっくりと歩いていた。少女たちの影が長く伸びている。周囲の屋敷からは、夕餉だろうかいい匂いが漂っていた。


 いつの間にか無言になった彼女たちは、貴族街でも一際大きな、シャルロスヴェイン邸の前に到着した。


「……それじゃ、また」


 寂しそうな笑顔で、門の前に立つキリカがそう言った。


「ねぇ、キリカ。今度、その首飾りにさ、魔力を注いで話しかけてよ。そうすれば、私に聞こえるから」


 キリカは驚いた顔をしている。


「相変わらず、貴方って面白いわね。そんな魔道具なんて聞いたことも無いし、作ったの? 売ったら凄い金額になるんじゃない?」


「だからさ、週に一回でもいいから話そう?」


「ありがとう……でも、――――それはやめておく」


 キリカは大切そうに首飾りを握りしめながらも、そう告げた。


「ど、どうして?」


 リタは想定と違う反応に戸惑ってしまう。


「……きっと私は、貴方に、エリスさんに縋ってしまう。リタには話したけれど、私はもっと強くならなければならない。だから、いつか、再会できる。――その約束だけで十分よ」


 そう言い切ったキリカの目には、意志が灯っていた。けれど、その瞳が今にも揺らぎそうであることにエリスは気付いていた。

 エリスは、少し気落ちした様子の姉を心配そうに見つめる。


「……分かった。でもさ、昨日も話したけど、時々なら遊びに来ても、いいんだよね? 例えば、うん、年に一回か二回でもいい。――私と模擬戦した方が強くなれるよ?」


「そ、そう言えば昨日そんな話したわね……? それなら……うん、いいわ。勿論」


 そう言いながら赤い顔で俯くキリカ。

 エリスはさっさと態度を変えたキリカに思わず吹き出しそうになるのを堪えた。


(多分キリカちゃんは一か月もしないうちにあの首飾りを使うよ? お姉ちゃん)


 リタはキリカの様子に、少しだけ安心したような笑みを零す。


「じゃ、またね」


「またね、キリカちゃん」


 姉妹は手を振ると、歩き出した。

 彼女たちが手を繋いで歩く姿に、キリカが感じていた気持ちは寂寥だけでは無かったのかもしれない。


 何度も振り返る姉妹の姿が夕日に消えていくまで、キリカは手を振り続ける。

 この一日を忘れないようにと、力強く。



 そうして姦しい少女たちの、賑やかで幸せな一日は終わりを告げた。






 ――――三日後。


「リ、リタ? ……聞こえるかしら?」


 思ったよりも早く陥落したキリカの寂しそうな声に、満面の笑みを浮かべる姉妹の姿があった。

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