姦しい王都観光 1

「リタ、そろそろ起きて」


 カーテンの隙間から覗く光に、キリカは朝の訪れを知った。外は徐々に明るくなりつつある。鳥の鳴き声が響く、穏やかな朝だ。


 キリカは、横で眠りこけている親友の肩を揺らす。

 リタはその口から涎を垂らし、幸せそうに眠っている。掛けていたはずの布団は床に落ち、お腹が見えている。昨晩は何度ぶつかってきたことか……。


 キリカはふにふにと、人差し指でリタの頬をつつく。柔らかく、すべすべした触感だ。

 リタは不思議な子だ。見た目は美少女だが、異常な強さを持ち、見たことの無い魔法を何でもないように使う。けれど、今はこんな間抜けな寝顔を晒している。


 それが可笑しくなってキリカは笑う。


「やっぱり、起きないじゃない……」


 思わずため息をついてしまうキリカであったが、何だかその幸せそうな寝顔を眺めていると、少し眠たくなってきた。


「まぁ、ちょっとくらい、いっか」


 そうして彼女は、横になると二度寝の誘惑に屈してしまったのだ。




「……え? 嘘?」


 キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインは、寝転がったまま、ベッド脇に置かれた時計が示した無情な現実に打ちひしがれていた。余談であるが、置時計などはこの国では非常に高価だ。ましてやベッド脇におけるサイズのものは言うまでもない。


(有り得ない……この私が、寝坊した?)


 未だに眠りこけているリタが、後ろから抱き着いてくる。


「ぁっ――ちょ、ちょっと、どこ触ってんの! ……んんっ……ってリタ! もう起きて!」


 だが、リタは全く目を覚ます様子がない。キリカは起き上がりつつ、その腕を振りほどく。


「こら、起きなさーい!!」


 そもそも、二度寝をした自分も悪いが、何だか腹が立ってきた。リタを仰向けに転がすと、腰の上に馬乗りになり、ゆさゆさと強めに肩を揺する。


「おぼぇ!?」


 強く揺すりすぎたのか、一瞬リタの首が曲がってはいけない領域に達してしまった。そして、聞こえてはいけない音が聞こえた気がする。キリカは慌てて手を放す。


 だが、彼女はどうやら無事なようで、ゆっくりと目を開いた。


「う、うん? ……なんか変な夢見たような……? あれ? 凄い首痛い……寝違えたかな?」


 そんなことを言いながら、ようやく目を覚ました親友にキリカは苦笑いを返した。


「おはよう、早速だけど着替えたら出るわよ!」


「え、もう? 朝ご飯は?」


「そんなのは後で! 早く!」


「公爵家の優雅な朝を体験したかったのに……」


「誰のせいよ」


「え、でもキリカも寝てたんだよね?」


「……そうよ。悪かったわね!」


 顔を真っ赤にして騒いでいるキリカも可愛いなと、益体のないことを考える。少しずつ頭が冴えてきたリタは、早速着替えに取り掛かるのであった。


 急いでいるからか、リタの視線にも気づかずに、下着姿で洋服を漁るキリカの姿をリタはじっくりと堪能した。すべてのパーツが完璧なバランスで調和しており、非常に美しい。バランスで言えば、彼女にはあの薄い胸こそが至高であろう……言ったら殴られるだろうが。

 だが、あまり見続けていると、変な気分になりそうだったので、さっさと王都で購入した新しい服に袖を通していく。


(女の子同士なのに、こんなにドキドキするなんて、キリカたんの可愛さしゅごい……)


 恐らく普段は使用人がやってくれるのだろう、キリカはあまり自分の洋服も把握していない様子であった。流石にあまりにも上質な服を着て街を歩けば、余計な面倒を引き起こしかねないため、リタと同程度の上品ではあるが、裕福な家や背伸びした町娘が来ているような服を選んだ。


 リタは白のチュニックに、黒のフレアスカートを合わせ、皮のブーツを履く。

 キリカは白のワンピースに、明るい茶色の皮のサンダルだ。シンプルながら、彼女の美しさを引き立てる上品さである。思わずため息が漏れるリタであった。


「何? その溜息……もしかして、似合ってない?」


「違うよ、キリカの可愛さに嫉妬してただけ」


「そ、そう……じゃなくて、嫌み? 貴方も凄く可愛いわよ?」


 そう言いながら頬を赤く染めるキリカ。確かに可愛いが、彼女の頭は爆発している。そのギャップがとても可笑しい。


「でもキリカ? 髪の毛はどうにかしたほうがいいよ」


「じ、時間が……でも、貴方も大変なことになってるわよ?」


  ジト目でキリカがリタの頭を見つめる。


「長いと大変なんだよね……」


「とりあえず結んで誤魔化しましょ?」


「キリカ、今日はツインテールにしてよ」


 そう言ってリタは両手で自分の髪を持ち上げて、上の方で結ぶ仕草をする。


「二つ結び? いいけど、リタは?」


「お揃いにしようかなって」


「ちょ、ちょっと恥ずかしいけど……悪くないわね」


 そう言いながら二人は手早くリボンで髪を結んで部屋を出た。キリカは使用人からお小遣いを受け取っている。アルベルトが準備してくれていたようだ。当のアルベルトは、今日は王宮に向かったらしい。リタは使用人に丁寧にお礼をして、二人は屋敷を出た。


 集合場所はリタの家族が宿泊している露咲き亭だ。

 王都の大通りは多くの乗合馬車が運行しているが、走った方が早い。

 二人はそのツインテールを風になびかせながら、文字通り疾走していく。上品な町娘に見える二人の少女が、驚異的な速さで駆け抜けていくその姿は、周囲の人々を驚かせるのには十分であった。



 露咲き亭の前に到着した二人を待ち構えていたのは、噴水の横に佇む無表情のエリス。リタと同じ服を着ている。どうやら、両親はとっくに出発したようだ。


「ごめん、エリス、遅くなったよね?」


 エリスはそう声を掛けた姉を完全に無視し、キリカに挨拶をする。


「おはようございます、キリカ様。愚姉が大変ご迷惑をおかけいたしました。寝坊するという醜態を晒した挙句、キリカ様を走らせるなど、とんだご無礼を――――」


「あ、あの、エリスさん? えっと、その、申し訳ないのだけど……私も、寝坊しちゃって」


「へ?」


 完全に肩透かしを食らったエリスは、間抜けな声を上げてしまう。キリカは視線を逸らし、真っ赤な顔で俯いている。


「そう、今回は私だけのせいじゃ――」


「お姉ちゃんは黙って荷物おいてきて」


「あ、はい」


 リタは即座に露咲き亭のロビーに駆け込んでいった。

 エリスとキリカの間には気まずい沈黙が流れる。


「そ、その、キリカ様?」


「そんなにかしこまらないで? 貴方とも、お友達になりたいの」


 そう言いながら、不安げに瞳を揺らすキリカの顔に、エリスは思わず胸が締め付けられるような感覚を覚えた。――流石は、過去に一度会っただけで姉の親友になっただけはある。

 昨日会った印象とは全く異なる一面を見て、このギャップに姉はやられたのだろうか、とエリスは思った。


「わ、分かった、キリカちゃん? これでいい?」


(昨日から急に友達が増える……嬉しい)


「ありがとう、エリスさん」


 そう言って、キリカは優しい笑みを零す。


「お姉ちゃんが何か迷惑かけなかった?」


 エリスがそう聞くと、キリカはさっと目を逸らす。


(絶対なんかやらかしてる……)


「い、いいえ?」


「本当に?」


 エリスはじっとキリカの顔を見つめる。髪の毛は少し乱れているが、本当に美しい顔立ちをしている。


「ちょっとボコボコにされたり、空中を振り回されて吐きそうになったくらい、かな?」


 そんな時、呑気な声で当人が戻ってきた。


「お待たせ~! お腹空いた!」


「お姉ちゃん、後でお説教」


「何故!?」


 そんな姉妹のやり取りを見て、思わず吹き出してしまうキリカであった。


「とりあえず、お姉ちゃんもキリカちゃんも、もう少し髪の毛綺麗にしたら……?」


 エリスの提案もあり、近くのベンチに腰掛ける三人。リタは魔術で手のひらから水蒸気を出しながら、キリカの髪の毛を梳いていく。そして、そんなリタの髪の毛はエリスが綺麗にしてくれる。

 ものの数分で、美しい艶とまとまりを取り戻した金銀の髪の毛に、キリカは驚きを隠せない。キリカに、今度この魔術を教えると約束しつつ、朝食を求めて三人は歩き出した。


「キリカ? 朝ご飯はね、美味しければいいけど、折角だからお洒落なカフェテリア的な所がいいな!」


「あら、そうなの? てっきり高級店がいいのかと思ってたわ。貸し切りにできるカフェテリアなんてあるのかしら……」


「キリカちゃん? 何で貸し切りにするの?」


「え? だってうちではいつもそうしてるから……」


(これはダメなパターンのやつかもしれない……)


 エリスは強烈に嫌な予感に襲われる。

 いや、彼女はお嬢様なだけなのだ、決して、決して、そうではないと信じたい。


「流石は公爵家!」


 周囲に人がいるのも気にせずに、大声で話す姉に頭が痛くなる。ただでさえ、自分で言うのも恥ずかしいが美少女三人組に周囲の視線が集まっているというのに、空気が読めてないのが現状二人もいる。


「お姉ちゃん、黙って」


「はい」


「あのさ、先に訊いておきたいんだけど、二人とも別に目立ちたい訳じゃないんだよね? 平穏無事に一日を終えられたら、いいよね?」


 エリスの有無を言わさぬ問いかけに、同時に首を傾げて、そのあとに頷く二人。何だか、あのお揃いのツインテールが腹立たしい。エリスは溜息をつくと周囲を見渡す。手頃そうで、テラス席のあるカフェテリアが少し前方に見えた。


(そう、ああいうので十分なんだ、私たちには)


「あそこに行くよ」


 そう言ってエリスが振り返ると、二人は顔を見合わせて肩をすくめている。

 エリスは思わず握った拳に力が入りそうになるのを何とか堪えて、さっさと歩いていく。そのあとをリタとキリカが続いていく。


 眩しい朝陽を反射させるように、少女たちは大通りを歩く。

 道行く人々の視線を集めながら。


 まだ一日は始まったばかりだ。


 けれどエリスには、大変な一日になる。そんな確信があった。

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