決意と共に飛んだ夜

 ――――オリヴィア・カーマンハイト。その名がここで出てくるのか。リタは千年前に出会った翡翠色の目をしたエルフの騎士団長の姿を思い出していた。だが、同名の別人という可能性も捨てきれない。


「そ、そのオリヴィアって人、もしかしてエルフだったり、する?」


 そんなリタの問いかけに、キリカは少しだけ驚いた顔で話した。


「あら、良く知っているわね。十年前に突然現れて、先代の剣聖を一刀のもとに斬り伏せたと言われているわ。それ以降、彼女に挑戦した剣士たちの悉くを、一撃で終わらせている。あ、殺してはいないみたいだけど」


「へ、へぇ~」


「私はね、リタ。彼女に憧れているの。書物でも寡黙で美しい容姿の人物って書かれているけれど、彼女は剣聖になった目的について尋ねられた時に、たった一言、こう答えたそうよ? ――――頂にて待つ、ってね」


「……そっか」


 リタは遠い目をしていた。きっとあの人だろう。オリヴィアの所属していた国家は既に滅んでいる。自惚れで無ければ、きっと私がノルエルタージュを連れて来るのを待っているはずだ。


 リタは二人掛けのソファに座るキリカの隣に腰掛けた。


「ね、キリカ。もっと聞かせてよ」


 キリカは頷くと、リタに話して聞かせた。今の剣聖がどんな人物だと語られているか、ただ多くは謎で本人は何も語らないこと。今はエルファスティアに居るということ。情報を集めるのが、どれだけ大変だったか。それと、父の説得にどれほどの時間と労力を要したか。


「でもさ、それでもキリカのこと、分かってくれたんだから。凄いと思うな。だって公爵家だよ?」


「……貴方のおかげよ。リタが、あの時私のことを信じるって言ってくれたから。だから、私は諦めなかったし、歩き続けることが出来た」


「そ、そうかな?」


 真っすぐに自分を見つめるキリカの瞳に、少し気恥ずかしさを感じてリタは目を逸らした。


「……多分、お父様は本当の意味で私の言うことを信じているわけじゃないと思う。でも、私の意志が、想いが、本物だってことだけは、きっと分かってくれた、のかな……」


 リタはそっと、キリカの肩を抱き寄せた。右肩に乗せられたキリカの頭の重みを感じる。

 それっきり、二人の間には暫くの沈黙が流れることになった。何となく、リタは続く言葉を発することに気恥ずかしさを覚えてしまったのだ。


 そんな時に、キリカはポツリと漏らした。


「空が、飛べれば、貴方にいつでも会いに行けるのにね」


「……私が飛ぶよ、キリカ。望むなら、君も一緒にね」


 リタは、身体を離すと、キリカは頷いた。リタは笑う。


「じゃ、早速だけど、飛んでみない? 王都遊覧飛行の旅へご案内して差し上げましょう、キリカ様」


 立ち上がったリタは、おどけたように腰を折って手を差し出した。


「何するつもり? でも、面白そうね」


 そう言ってキリカは、その手を取った。




 次の瞬間には、彼女たちは王都の遥か上空に立っていた。


「え? 嘘!?」


 キリカは慌てて周囲を見渡す。

 先ほどまで部屋に居たはずだが、幻術か? いや、違う。この空気も全て、本物だ。キリカはそう直感した。

 足元には何もない。急に不安になるキリカであったが、不思議と怖さは感じなかった。

 周囲は真っ暗だ。上を見上げれば、燦然と輝く幾万の星々。初夏とは思えない冷たい夜風に、キリカは身震いした。

 正面に立つリタの右眼には不思議な模様が輝いている。


 文字通り、彼女たちは手を繋いで夜空に立っていた。


(流石に、高高度だと冷える……パジャマだし。それに空気も薄いしキリカにあまり良くないかな)


 リタは、軽く二人分の空気の膜を作って、温度を少し上げた。

 その様子にキリカは驚きを通り越して、呆れていた。


「これが、リタの魔眼の力?」


「秘密」


 そう笑ったリタは、キリカを抱きしめた。


「これ、落ちない?」


「私から離れたら落ちる」


「絶対、離さないでね」


 キリカはキュっと強くリタの身体にしがみつく。キリカの匂いと体温が、リタの胸を満たしていく。


「行くよ? かっ飛ばすから、覚悟はいい?」


 いきなり、二人の身体はバランスを失い、自由落下を始める。


「え? ちょっと!? 待って、まだ準備が、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 そのまま二人は王都郊外の地面に向かって弾丸のように加速していく。そして大地に衝突する寸前で上昇に転じると、そのまま縦横無尽に夜空を駆け抜けていく。時に回転し、時に最高速で夜空を飛び回る。夜間なら、誰の目にも留まらないだろう。リタは自重を忘れて好き勝手に飛んでいた。


「リタ! 止めて! 吐く!」


 だからリタは、突然胸元から響いたそんな声に驚いて急停止した。


「うっ……急に止まらないで……気持ち悪い」


「ごめん、ちょっとやりすぎた?」


「ちょっとじゃないわよ!」


 二人はその後しばらく、王都上空で手を繋いで浮かんでいた。


「綺麗ね」


 キリカはポツリと漏らした。

 上には満点の星空と、下には人々の営みが形作る夜景。こんな贅沢な景色を見れる人間など、そうはいないだろう。


 そんなキリカを見てリタは笑う。星空を瞳に浮かべた君の方がよっぽど綺麗だってリタは言いたかった。流石にそんな歯の浮くような台詞は言えなかったのだが。


「そろそろ、戻ろっか」


 リタはそう言って、キリカが頷いたのを確認しキリカの部屋に転移した。



 高速で飛び回ったせいか、乱れた髪の毛を二人は指さして笑い合う。


「リタ? 貴方こんなことが出来るんだったら、もっと早く会いに来てくれても良かったんじゃない?」


 キリカはそう言って少し拗ねたような顔で笑う。


「ごめん、でも私が視認できる範囲か、自分がはっきりと記憶してる場所とかにしか行けないんだ。だから、これからはたまに遊びに来るよ。……いいかな?」


「勿論」


「でも、長距離転移が使えるのは秘密ね?」


「うん、これでライシュトリとピチエラの謎が解けたわ」


「そうだね――――そうだ、キリカにこれを」


 そう言ってリタは部屋に置いていた自分の鞄から小さな小箱を取り出してキリカに手渡した。


「開けてもいい?」


 リタがその言葉に頷いたのを確認し、キリカは包装を丁寧に解いていく。箱の中から出てきたのは、真っ赤な宝石の首飾りであった。


「くれるの?」


「うん、そのために準備したんだから」


「ありがとう……友達からプレゼントをもらうなんて、初めて…………嬉しい」


 そう言ってキリカは両手でその首飾りを包むと胸に抱いた。少し彼女の瞳は潤んでいるようにも見える。喜んでもらえてよかったと、リタは安堵の息を漏らした。


 リタは、そっとキリカの両手に触れ、その首飾りを手に取った。そしてそのままキリカの首に首飾りをかけた。彼女の瞳と同じ色の宝石は、思惑通り良く似合う。


 はにかんで笑うキリカの表情はとても魅力的だった。至近距離で向かい合うリタは、キリカの薄い桃色の唇に、視線が吸い寄せられる。


「ありがとう」


 その唇が動いて、言葉を発したことを認識したリタは、慌てて顔を逸らした。


(あ、危ない……私は、何を……)


 そんな挙動不審なリタを見て、キリカは不思議そうな顔で首を傾げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る