空白を埋める想い
食事を終えたリタとキリカは、中庭に備え付けられた真っ白なテーブルを囲み、品の良い椅子に腰掛けて向かい合っていた。広大な中庭には美しく整備された芝生が生い茂り、植えられた色とりどりの花が風に揺れている。
テーブルには大きな日傘も備え付けてあり、日を遮ってくれる。相変わらず、ひたすらお菓子を頬張るリタと、上品にお茶を飲むキリカ。二人の間を走り抜ける初夏の風は、庭に咲く花々と華やかな紅茶の香りを運んでいく。
そんな穏やかな昼下がりの庭で、彼女達は空白の六年を埋めるように、夢中で色々なことを話した。時折、少女とは思えない物騒な話題で盛り上がっていたこと以外は、仲の良い友人同士の会話であった。
「なんかさ、こうやって話す前に戦ってるの、私たちらしいよね」
リタはそうキリカに笑いかける。
「ふふ、本当にそうね。でも六年前、先に挑発してきたのはリタだったでしょ」
「え? そうだっけ?」
とぼけて笑うリタに釣られて、キリカも笑う。
「それにしても、いい天気でよかった」
キリカはそう言って背もたれに背中を預けると、晴れ渡る空を見上げて手を伸ばした。空は何処までも高い。リタは、彼女の赤い瞳に反射する蒼穹に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。
「本当に、そうだね。今日みたいな日が、ずっと続けばいいのに……」
リタも同じように空を見上げた。遠くには欠けた二つの月も浮かんでいる。すっかり、彼女にとっては当たり前になった景色だった。
リタは上機嫌に鼻歌を歌い、手指がリズムを奏でる。
「楽しそうね、リタ」
「うん、私はずっとこんな日を待ってたんだ。……そんな気がする」
そう言ってリタは立ち上がると、くるくると回りながら歌う。勿論、地球に住んでいたころに聴いていたアニメソングだ。前世の自分が歌っていた時は正に地獄であったが、声帯が違うからだろう、今は多少様になっている気がする。耳が良くなったからか、歌も上手くなっている気がする。
キリカもそんなリタの様子を見て、笑顔で手拍子をしてくれる。
それに気をよくしたリタは、遥か過去の記憶だけを頼りに振付を付けて歌いながら舞う。思い描いた動きを簡単にトレースできるのは、運動神経のなせる業だろうか。フリルのスカートが回るたびに風になびく。
それにしても、この身体は本当に良く動く、そして関節も柔らかい。普段は模擬戦の時くらいしか性能を実感することが無いが、こんな動きも出来たのかとリタは何処か他人事のように自分を見つめる。
ただ、静かな庭で、一人のために歌を歌い、舞い踊る。
今、この瞬間だけは、キリカと世界に二人きり。そんな不思議な気分だった。
「不思議な歌ね? でも、とてもいい曲だわ。歌詞は何言ってるのか分からないけれど」
一曲歌い終えたリタに、キリカはそう声を掛けた。
「だよね!?」
リタは座っていたキリカに駆け寄ると、その両手をガッチリと掴んだ。まるで愛を囁く恋人同士の距離感だと、キリカは顔を赤くしている。だが、リタはそんなキリカの様子には気付かずに熱く胸の内を語る。
「この歌は、王国で言えば吟遊詩人が物語の合間に歌う歌みたいなものでね、物語の主人公のことを歌っているように見せかけて、実はヒロインの生き様なんだ。だからさ、最高に盛り上がるクライマックスでこの歌が流れて一度泣くじゃない? そのあと歌詞読んでもう一回泣く訳。最高かよ!? でね、実はさ――――」
「ごめん、全然、何言ってるか分からない」
「――――決めた、キリカ!」
リタは目を輝かせて、キリカの両手をブンブンと振っている。
「はい?」
何の脈絡も無いその言葉に、キリカは聞き返す。
「だからね、私は決めたんだ!」
「はいはい、何を?」
キリカは呆れたような笑顔で問いかける。
リタはキリカの両手から手を放すと、ふわっと数メートル後方に飛んだ。
「私は、歌って踊れる
そう叫んでリタは右手を空に掲げた。その瞬間に彼女の背後から沢山の星が舞うような七色の輝きが溢れ出し、爆発音のようなものが響いた。何の効果も無いが、亜空間に居た時に暇すぎて練習していたエフェクトである。
「は、はぁ……凄いね、それ。魔術?」
キリカはその光景にあっけにとられている。だが、確かに歌劇団でこんなのを出してれば、人気は出るかもしれないな、とキリカは思った。容姿も抜群で、歌もかなり上手い。練習すればすぐに一流の歌姫になれるだろう。
「どう思う?」
そう聞かれて、キリカは唸る。けれど、正直に言うほかないだろう。
「うーん。多分、どちらかと言えば歌姫よりは、戦乙女?」
「えぇ~。キリカも一緒にやらない?」
「それは……ちょっと、恥ずかしい、かな」
キリカも歌は好きだったが、人前で歌うのは恥ずかしかった。頬を赤く染めて、俯きつつ答えるキリカに、それを見越していたようにリタは笑顔で返す。
「残念! ……冗談だよ?」
そう言ってリタは笑う。キリカは少しだけ残念なようなホッとしたような不思議な気分だ。
「でもさ、キリカ? 学院にそんな活動する部活動とかあればさ、やろうよ」
「でも、私家から通うし、習い事も沢山あるし――――」
「え? 全寮制って言ってたじゃん!」
「いやでも、家が近いし、私はちょっと寮に入ると色々気を遣わせちゃうから……」
「まぁ、こんな馬鹿でかい家に住んでるお嬢様だからね……」
「馬鹿でかいは余計よ。貴方も子爵令嬢になるんでしょ? もうちょっと言葉遣いとか気を付けた方が――――」
「聞きたくない。エリスにも毎日言われてるのに……」
「妹さんよね? さぞかし苦労されてるんでしょうね……」
口を尖らせるリタと、窘めるキリカ。二人はそれぞれに、共に穏やかな時間を過ごせる幸せを噛みしめていた。
その後も、取り留めのない会話が彼女たちを彩る。笑顔が咲くその光景は、誰もが眩しいと思ったに違いない。実際に、お茶のお代わりを運んできたメイドも、戻って同僚たちに「尊死した」などと伝えていたくらいには。
すっかり日が暮れるまで、時間を忘れて話し込んだ二人も腹の虫の鳴き声を聞いて、邸宅への道を歩いていた。ニヤニヤと笑うリタと、真っ赤な顔で俯くキリカ。
リタは、そっとキリカの手を握った。すべすべした肌触りに、少し熱い体温が伝わる。なんだか、急に気恥ずかしさが襲ってきたのを誤魔化すように、リタは手を引いて走り出す。
邸宅の玄関口では、老執事が出迎えてくれた。大きな玄関を潜る。正面には恐らく十人は横に並んで昇れるのではないかと思える大きな階段。大理石のような美しい石材で造られた階段には赤い絨毯がひかれ、芸術的な装飾の施された手すりも美しく輝く。
そんな階段を横目に二人は食堂へ急ぐ。食堂では既にアルベルトが席について待っていた。
流石に公爵の前では自重して、ゆっくりと食事をするリタであった。夕食は王都の名物料理である、鶏肉の煮込みを中心に色とりどりの料理が食卓を彩った。最早リタには、美味しい以外の感情が浮かぶことは無かった。
そんなリタに気をよくしたのか、アルベルトもクロードが飲んでいる酒より遥かに高そうなワインを嗜みながら上機嫌であった。アルベルトはリタに普段のキリカの様子を話して聞かせた。リタの知らない彼女の一面は、とても新鮮だった。
そもそも、彼女と実際に過ごした時間はまだ短いのだ。それでも、家族以外で、この人生で初めてのかけがえのない存在であることは、最早疑いようも無かった。
「そう言えば、リタ君は将来はどうするつもりなんだい? 君のご両親は陞爵に伴い、領地を子供に継ぐこともできるようになったけれど、クロード君はそのつもりはないと言っていたからね。学院に通うとはキリカから聞いているけれど」
「そうですね、まだ検討中ではありますが、回復術師として生計を立てつつ人探しをと考えています」
「え? 回復術師?」
キリカは信じられないものを見たといった目をしている。
「か、回復術師? あ、いや、すまない。馬鹿にしてるわけでは無いんだ。てっきりあれ程の腕前だから、冒険者とか傭兵とか、もしくは剣聖を目指すと言っても納得だと、そう思っていたからね」
「両親も以前は冒険者でしたので、冒険者という道もあるかとは思っています。国境も関係ありませんので。しかし、恐らく周囲から貴族令嬢と言った色眼鏡で見られることは避けられないかと……」
「確かに、そうかもしれない。……もし、何か将来困ることがあれば、うちに来るといい。君ほどの腕前なら、うちの騎士団でも大歓迎だからね」
「ありがとうございます」
「とは言っても、君はなんだかんだ上手くやりそうだから、きっと来ないだろうね。残念だよ」
そう言ってアルベルトは笑った。どう答えたらいいか分からないリタは、ただ曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。
そうして、食事の時間も終わり、リタはキリカの部屋で寛いでいた。リタとエリスの部屋の二倍はあろうかという広さに、一目で一級品だと分かる家具の数々。上品で女の子らしい部屋だった。
特に目を引いたのは、天蓋付きの巨大なベッドである。
「このベッド、凄いね。お姫様じゃん」
「そ、そう?」
キリカは恥ずかしそうに笑った。
(それから、この部屋、めっちゃいい匂いがします)
相変わらず鼻をひくつかせる親友の姿に苦笑いを零しながら、キリカは二人掛けのソファで一人寛ぐ。リタは飾られた絵画などを眺めてうんうんと頷いていた。はっきり言って絵の価値なんて毛ほども分からないが、こうしてれば貴族令嬢っぽい気がしたのだ。
「そう、私は違いが分かる女になるのだ」
「声に出てるわよ?」
後ろから投げかけられた声に、リタはびくっとして振り返った。寝間着に着替えたキリカは、相変わらず可愛くて綺麗だった。
「そういえば、キリカは将来どうするの?」
「まずは、剣聖を目指すわ」
「まずは?」
「――私にも貴族の責務があるのは分かってる。けどね、前も話したと思うけれど、どうしてもやらなければいけないことがある。だから、何度も、何度もお父様と話したの。……それで、お父様が、もし剣聖に、剣の頂に到達できたなら、好きに生きていいと言ってくれたから」
きっと、その説得には壮絶な苦労があったに違いない。公爵家の一人娘がその立場を放棄しようと言うのだから。キリカの表情がそれを物語る。
「そっか、じゃ頑張らないとね」
リタはキリカに笑いかけた。
彼女の瞳にあるのは自信。
必ず、成し遂げるという覚悟。
「うん、ありがと。だから見ててね、リタ。……私は、必ず――――“剣聖”オリヴィア・カーマンハイトを打ち倒してみせる」
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