リィンハルト・カストバルテ

 王都有数の高級宿である、露咲き亭の客室。

 そこに、差し込む朝陽がアステライト家に滞在二日目の始まりを告げる。リィナがカーテンを開け放ったからだ。そのままリィナが窓を開けると、爽やかな初夏の空気が部屋を流れていく。


 急に明るさを感じた視界に、リタは眩しそうに手を翳しながらゆっくりと目を開けた。昨日は疲れていたからか、いつもより早い時間には寝てしまっていた。珍しく、早い時間に目が覚めたリタは隣で同じような仕草で身体を起こすエリスを尻目に、ふかふかのベッドから抜け出した。


「おはよう、ママ」


「おはよう、リタ。珍しいわね」


 リタは、部屋に置いてあった水差しから、透明なグラスに水を注ぐと一気に飲み干した。グラスをテーブルに置くと、そのまま窓から王都の街並みを覗く。昨日色々あった川面も、朝陽をゆらゆらと受け止めていた。既に多くの人々が通りを行き交い、植えられた街路樹も生き生きとしているように感じた。


「おはよう、お姉ちゃん。何か面白いものでもあった?」


 後ろから肩越しに腕を回し、そっと抱き着いてきたエリスが右肩に顎を乗せてくる。


「ううん、朝早くから皆元気だなって思っただけ」


 エリスはその言葉に、何も返さずに静かに寄り添う。リタは暫く、そのまま街並みがゆっくりと光に染まっていく様子を眺めていた。




 その日、家族はリィナの兄であるリィンハルトの墓参りに行くことにした。

 朝食は宿の食堂で済ませた。相変わらず食事は美味しかった。


 四人は、徒歩で王都の大通りを歩く。クリシェとは異なる街並みに、姉妹は興味を隠せないでいた。大通りは人が多く、家族に向けられる多くの無遠慮な視線に、いい加減辟易していたころ、ようやく目的地に到着した。


 墓地は王城にもほど近く、小高い丘になっていた。丘は背の低い草が生い茂り美しい緑が風に揺られ、光の波を形作る。近づけば、否応にも気が引き締まるような感覚を覚える。


 静かで美しく、王都を見渡せる場所だ。恐らく、ここで眠る人々はある程度身分の高い人間や、何らかの国への貢献を成した人物なのであろう。それほどまでに、いい立地である。また、すれ違う数少ない人々は一様に上品な服を身に纏っていた。


 そして両親は、一つの墓石の前で足を止めた。白く美しい石材は、磨き上げられている。定期的に誰かが手入れをしてくれているのかもしれない。墓前にある、少ししおれかけた花の隣に、道すがら購入した花を手向ける。


 リィンハルト・カストバルテ ここに眠る――――。

 墓石にはそう刻まれている。


「久しぶりね、兄さん。やっと、家族で来れたわ」


 そう、感慨深そうに話すリィナ。クロードも無言で墓石とリィナを見つめている。

 リタにはとても分からない感情があるのだろう。


 実際、自分がノルエルタージュの墓前にいつか行ったとして、どんな顔をするだろうか。

 分からない、けれど、いつかは行きたいと思う。

 その時はきっと、誰かの手を引いて行くのだ。


 リタはそっと、胸の前で両手を合わせて腰を折った。


(ありがとう、リィンハルト伯父さん。父さんを救ってくれて、母さんを守ってくれて。伯父さんがいてくれたから、私はここにいる。伯父さんが繋いでくれた生命の一番先に、私たちがいるよ。私は、この家族に生まれて本当に良かった。……私が次世代に命を繋ぐことは、多分、無い。でもね、きっと、伯父さんが守りたかったものは、守って見せるよ。この命が尽きるまでは。)


 エリスもまた、静かに祈りを捧げている。

 雲が太陽にかかったようで、辺り薄暗くなった。立地のせいか、風が少し涼しく感じる。


「そろそろ、行きましょうか」


 リィナがそう言うと、クロードも頷いた。


「ああ。しけた顔してたら義兄さんにぶっ飛ばされるからな」


 そう言ってにかっとクロードは笑う。姉妹も頷くと、四人は丘を下り始める。

 ふと見上げると、丁度雲が過ぎ去り、初夏の日差しが燦爛と降り注ぐ。途端に暖かさを取り戻した、爽やかな風に誘われるようにリタは振り返る。


 勿論、そこには誰もいない。

 けれど、白銀の髪の青年が笑っている。そんな気がした。




 その後、四人は王立図書館に向かった。目を輝かせるエリスと、げんなりした顔のリタ。確かに、王国最大と言うだけあって、その蔵書の量は正に驚愕であった。芸術的な建築様式の大きな建物の壁は、天井まで本で埋まっている。そもそも天井が何メートルあるかも分からないくらいに高い。高所の本は梯子を掛けて取らなければならないようだ。また、一部の高所の本棚には足場も取り付けられている。


 気は進まないが、学院に進学したらエリスとまた来ることになるだろう。そうエリスを説得し、さっさと退散を決めるリタであった。


 次に一行は、解放されている王城の第一城壁に向かう。こちらは、観光客でも城壁に上がることが出来るのだ。簡単な手続きだけを行い、早速壁の上を歩く。吹き抜ける風がとても気持ちいい。王城は小高い場所にあるため、街並みを良く見渡すことが出来る。白い大通りや建物の外壁に、オレンジの屋根。そして植物の緑のコントラストはとても美しい。ここから、日没を眺めれば、まさに絶景であろう。


 とはいえ、ここも来ようと思えばいつでも来れるようになる。

 そんな日常が来るのだと思えば、今日は少し急ぎ足の観光でも構わないというものだ。




「いよいよ明日は、キリカのお家にお泊りか~。楽しみ」


「お姉ちゃん、早く準備しないと。どうせ起きれないんだから」


「はいはい、分かってますよ」


 そう言いながらリタは先ほど購入したばかりの品のいい白のチュニックを綺麗に畳んで鞄に詰める。これは、明後日、両親の謁見の日に着るものだ。エリスと合流して、王都観光の予定だからキリカと一緒にいても浮かない程度の服装はしなくてはいけない。流石にキリカも先日のようなドレスで街を歩いたりしないと思いたいが。


 リタは次々に必要なものを詰めていき、それが一段落すると先ほど宝飾店で購入した小さい箱を取り出した。キリカへのプレゼント用に、そこそこの値段の物を両親に購入してもらった。白金の線が真っ赤な宝石に絡み合う、精緻で美しいデザインの首飾りだ。


「よし、作りますかね」


「私も見てていい?」


「いいよ」


 そう言いながら、リタはテーブルの上に首飾りを置くと、囲むように魔法陣を描く。右眼にも魔法陣が煌めき、拡大された視界の中で、精緻な装飾よりさらに細かくその宝石の内部に直接魔法陣を刻み込んでいく。


「ちなみに、何作ってるの?」


 エリスは邪魔にならないように、作業の合間に声を掛ける。


「携帯電話」


「けいたいでんわ?」


「遠くの人と話せる魔道具だよ」


「クリシェまで届けるのって、相当な出力が必要じゃないの?」


「それは魔力で直接やろうとするからだよ」


「違うやり方があるの?」


「うん、より減衰が少ない波を使うんだ。このあたりの話はちょっと私の知識じゃ中々分かりやすく言語化するのが難しいところなんだけど」


「確かに全然分からない」


「まぁ、それでも減衰量を考えたら中継が必要な訳で――――」


 リタは良く分からないことをぶつぶつ呟きながら、とても普段の態度からは考えられない集中力で細かい作業を進めている。そんな様子をエリスは静かに見守る。すこしずつ魔法の理を姉から学んでいる身ではあるが、まだまだ良く分からないことが多すぎる。


「よし、終わった!」


 リタはおじさん臭い動きで肩を回している。肩が凝るほどの時間は経過してないはずだが、とエリスは溜息を吐きながら苦笑いを零す。


「で? どうせ余計な機能も付けたんでしょ?」


「え? あの小さな魔法陣でそこまで分かるようになったの?」


「いや、お姉ちゃんの性格的に……というか、やっぱり付けたんだ……」


「あ、あはは……」




 彼女は、喜んでくれるだろうか。きっと、楽しい二日間になる。

 そんな確信を胸に、リタは眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る