城塞都市と黄金の少女 4

「ゆ、夢か……!」


 クロードは、突然飛び起きると荒い呼吸を落ち着ける。体中は嫌な汗に濡れている。

 それにしても、恐ろしい夢を見た。


「はは、そうだよな。流石にいくらリタが馬鹿でも、なぁ?」


 そう言いながら、彼が見たものはずぶ濡れの長女が首を傾げる姿であった。


「やっぱ無理」


 クロードは笑顔で目を閉じると、再びその意識を失った。



「……何あれ?」


 起きたかと思えばまた寝た父親に、呆れた視線を投げながらリタはエリスに問いかけた。


「知らない。その前に、お姉ちゃん? お願いだから早くお風呂に行って。臭い」


 リタの身体は、どこか生臭い。生活排水も混じる川であるから、当然ではあるのだが。


「つら……」


 リタとエリスは簡単にリィナへの説明を済ませていた。半信半疑であった母も、どうにか納得してくれたようだ。リタが一人で説明していたら、確実に信じなかったであろうが。


「ねぇママ? 私の着替えは?」


「リタ、いい加減自分のことは自分でやりなさい」


 リィナの呆れた視線に根負けしたリタは、気のない返事を返しながら荷物を漁る。


「お姉ちゃん、私の服濡らさないでよ?」


 次々と乱雑に荷物を広げ始めたリタをエリスは睨みながらそう言った。


「いいじゃん、大体一緒の服ばっかりだし」


「……皺が寄ってる方がお姉ちゃんのだよ」


 リタは苦笑いしながら、下着と部屋着を掴むとさっさと風呂場に逃げることにした。


 部屋に備え付けの風呂は、必要十分に広く小綺麗だった。ゆっくりと湯が張られた浴槽にその身体を沈めて、目を閉じてリタは鼻歌を歌う。浴槽には赤や黄色の花びらが浮かび、優しい香りが漂う。


(あぁ、贅沢。これが王都か……大浴場もすごいのかな)


 次は大浴場に行こう、そう決心するリタであった。


「明日、何処に行こうかな」


 リタはぼんやりと考える。王都には観光名所も多い。だが、一日では行ける場所は限られる。


(そういえば、闘技場あったじゃん!)


 ふふ、と笑いを零すリタ。


(ちょうど退屈してたんだよね。飛び入りできるかな?)


 早速、家族に話さなくちゃ。リタは立ち上がると、速足で浴室を後にした。




「――――絶対にダメ」


 エリスとリィナは口を揃えてそう言った。


「えぇ~!? 私に全財産賭けなよ? 絶対倍率凄いから、一瞬で大金持ちだよ?」


「リ、リタ……? いえ、あなたはそんなこと心配しなくていいの」


「ママ……今揺らいだでしょ」


 エリスは呆れた顔でリィナに問いかける。リィナは目を逸らした。


「いいのかなぁ? 高級な服も、美味しいものも、珍しい魔導書も、きっと買えるよ?」


 リタはニヤニヤとそう続ける。


「リタ? 言っておくけど、そこにあるミスリルの剣を売ればすぐにそんなものは買えるんだけど、どうする? お家だって今の何倍も大きい豪邸が建つわ」


「それはちょっと……」


 口ごもるリタと「うわぁ……」と、そんなものを娘に与えた父に引いているエリス。だが確かに、あの剣が尋常な代物ではないのは確かだ。それは決して希少な素材だからとか、シンプルながらも美しく仕上がりがいいから、という理由では勿論ない。姉の魔力がそうさせるのかは分からないが、何か異様な雰囲気を感じることがある。


「聖剣ミストルティン、だっけ?」


 エリスは半笑いで姉に尋ねる。姉は何にでも不思議な名前を付けたがるのだ。


「うん、まだ(仮)だけどね。……そう、この剣の真の名を見つけた時に、本当の能力が発動するんだ。元々、この剣は、剣であって剣ではない。真の存在理由は、女神アルトリシアと対を成す存在である、一柱の神が遺した――――」


 目を輝かせてそう話し始めるリタ。


(また病気が始まった……)


 姉はこういう設定を考えるのもまた、大好物なのである。神など欠片も信じていないくせに、「神話」という単語に異常に執着する。そんなあらゆる設定や詠唱呪文をまとめた、真っ黒な皮の表紙で綴じられた手帳を、机の鍵のかかる引き出しに保管しているくらいだ。紙は高いというのに……勿体ない。


「長いよ。それより疑問なんだけど、お姉ちゃんはどうして剣にこだわるの? 魔法だって使えるじゃん。今の身体が出力に耐えられないのは分かるけど、魔術だってそこらの魔術師よりよっぽど使えるよね?」


 エリスは、いつまでも設定を話し続けるリタの声を遮る。


「う~ん、そうなんだけど、さ。やっぱ……帯剣してるのってカッコいいじゃん? それに、どうしても憧れていることがあるんだ」


「憧れていること……?」


「それは秘密」


 そう言ってリタはニタニタと笑う。あの品の無い方の微笑みは、碌でも無いことか、常人には理解できない類のことを考えている顔だ。本当は話したくて仕方がないのだろう、姉はこっちを期待の眼差しで見ている。


「ふぅん」


 エリスは思わず顔に出そうになった笑みを抑え、無表情を装って姉の視線を流した。


「聞きたくない?」


 リタは食い下がってくる。


「別に」


「お願い! 聞いて!? ねぇ!」


(だったら最初から話せばいいのに……)


 エリスは溜息を吐きながらも、両手を組み上目遣いで此方を見つめる姉に根負けした。


「はいはい、憧れてることは何?」


「投げやり……」


 そのような会話を繰り広げていると、どうやら夕食の時間になったようで宿の従業員が部屋に夕食を運んできた。漂う香りに、既にリタの興味は夕食にシフトしており、話の途中であったことなど忘却の彼方である。そんな姉の姿を微笑ましく思いながらも、きっと碌でも無いことだろうから聞いておいた方が良かったかもしれないな、とエリスは思った。




「俺の晩飯……」


 クロードがようやく復活したころには、既に夜更けであった。夕食はとっくに下げられており、二人分を簡単に完食したリタは非常に満足そうだ。


「美味しかったよ? 肉も魚も野菜も全部。素材も良ければ、調理法も味付けも最高」


 最愛の娘の笑顔に、きっといい酒も出ただろうに、という後悔も飲み込まざるを得ないのが父親というものだ。


「だろうな……ここ人気だし高いからな……リィナ、酒と肴は?」


「はぁ、一杯だけよ?」


 絶望的な表情のクロードに、仕方がないかとリィナは思う。荷物から持って来ていた酒を取り出すと魔術でさっと冷やして、部屋に置かれていたグラスに注ぐ。肴は保存食の干し肉で十分だろう。

 少しだけ、不満そうな顔をしながら干し肉を齧り、一杯の酒をちびちびと大切そうに飲むクロード。その隣でリタはまた焼菓子を頬張っている。


「お姉ちゃん、今日ずっと食べてるけど本当に大丈夫?」


「え~と、明日はたくさん運動します。……ということで、闘技場でも――」


「行きません」


「えぇ~」


 姉妹はそう言って笑い合う。


 王都滞在一日目の夜は、夕方の再会とは打って変わって穏やかに過ぎていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る